【釜石シーウェイブス支援】 ゴールデンウィークの釜石訪問報告
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今朝、オーストラリア→シンガポール→インドネシアの出張から帰国。 忙しい中、このように思う通りに客先を回る機会を与えてくれる会社 や、こんな上司でも一生懸命業務に取り組んでくれてる部下達に心から 感謝です。 という事で、すっかり遅くなりましたが、GW中の釜石訪問について、 以下に報告を。 今月2〜5日にかけて、岩手・釜石市に行ってきました。 目的は、 ・救援物資を釜石に届ける、 ・現地で必要とされる作業を行う、 ・釜石シーウェイブスのみんなを含む釜石の方々に会ってくる ということでした。 正直、この時期に釜石に行く事が果たして彼らにプラスになるのか、 迷惑になるのではないかとも思いましたが、 「何はともあれ、この段階で釜石に顔を出してくれるだけでも嬉しい。」 とのコメントを釜石側から貰い、行く事にしました。 そして、結果としてこの段階で釜石に行っておいて本当に良かったと 思います。 や電化製品など、サントリーフーズからは飲料を、そして、個人からも 医療や食料品を中心とした様々な救援物資が集まりました。 ート。 多くのマスコミが駆けつけており、何故か我々もその取材を受けました。 写真は、道中トラックを運転してくれたIBM作ちゃんと釜石SW前ヘッド の池村。 今回の釜石訪問を決定した決め手はその池村の一言でした。 を手伝いました。 しかし、これら作業が必要となる家々が何千軒もあると思うと・・・ モノを選んで貰い、その他は釜石市に預けました。 使って頂ける方々に少しでも喜んで頂ければと思います。 酒を飲みながら、いろいろ話が出来て良かった。 三浦、いつもありがとう!! その後、釜石市街地に戻り電気のつかない家でブルーシートの上でみんな で就寝。 (女性陣はグラウンド近くの社宅泊) 5月中旬でも夜中に何回も起きるほど寒かった。 震災はこの2ヶ月前で十分に暖も取れない状況で数多くの方々が生活して いたと思うと・・・ 翌日は大槌町に向かい、昨年釜石SW事務局で手伝いをしていた女性の行方 が未だに掴めないとの事で、住居のあった所での捜索を行いました。 地震、津波、更には火事と、街全体見渡す限り、「通常の建物」は残って いませんでした。 そして、その夜に盛岡に移動、現地で風呂に入れなった事もあり直ぐに 温泉に行って汚れと疲れを落としてから、2チームに分かれ晩飯へ。 一つは、急遽岩手ラグビー協会+盛岡支部の方々に焼肉をご馳走になり、 もう一チームは、色々手伝ってくれた女性陣の慰労も兼ねて岩手料理を 堪能出来る店へ。 学生の時に阪神大震災を神戸市灘区で経験していますが、その時には 震災1週間後には多くのボランティアが入り始め、2ヶ月後には 更に多くのボランティアや行政関係者、建設業者などで現地は多くの 人が行き来しており、確実に復興への足取りが見てとれました。 一方で、今回の釜石は震災から約2ヶ月後、釜石市で最も被害が大きか った場所で作業と宿泊をしましたが、ほとんど他の方々の姿は見えず、 実際の復興作業も全くされていませんでした。 今後、数ヶ月というスパンではなく、数年、数十年という長いスパンでの サポートが必要でしょう。 そして、その必要とされるサポートの形も時間が経つにつれて多様化して いきます。 我々も今後も引き続き、有志で釜石のサポートをしていければと思います。 そしてそれが少しでも住民の方々の助けになり、更にその方々に、 「釜石にラグビー部があるからこそ、これだけの力持ちの若者達が我が 街に来て手伝ってくれている。」 と、感じて貰える事が出来きたとすればそんなに嬉しい事はありません。 そして、次回は学生組も連れていければと思います。 という事で、今回釜石でお世話になった方から頂いたメールを紹介させて 頂きます。 今回の訪問ではあまり役に立てず、むしろ迷惑をかけてしまったのでは、 と考えていましたが、このような温かいメールを頂き、正直胸が熱くなり ました。 昔からこの方のホスピタリティーには見習うところが多くあり、またこの 方に影響された部分も多々あったのですが、今回のこの状況でもその姿勢 は全く変わられておらず、、、 また、会える日を楽しみにしています。 今晩は。 先日はお疲れ様でした。 今日診療室の片付けをしていたら2008年のシャラくんの年賀状が出て来ました。 ビックリ(^O^)/ まだまだ先が見えない状況ですが、顔をあげて、前を向いて、生きて行こうと 思います。 今は無収入ですから無駄な出費は出来るだけしないで、東京にいる娘達の生活 費にしてと…。 それと今回来てくれた方々のお名前と所属を教えておいて下さい。 シャラくんが寝ている間に飲みながら熱い三時間を過ごしました。 震災後、あれだけ飲んだのは初めてでしたよ。 楽しかったです。 |
