シャラリーマンの限界日誌Blog版(仮題)

「ラグビー界の大学、トップリーグや大学・・、ってなちっぽけな枠をぶち壊して、オモロイ事しよう!!」、ってな単純なブログです。

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【協力願い】 GW・釜石訪問予定と釜石シーウェイブス支援に関するお願い

また前回の更新からすっかり間が空いてしまいましたが、、、
怒涛の日々が過ぎています。
あと一日でゴールデンウィーク。
頑張りましょう!!

という事で、今回はそのゴールデンウィークについて。

来月2日から釜石に行く事にしました。
震災後、釜石に出来る事はないかと考えてましたが、釜石のメンバ
ー達と電話で話をしている際に、
「まずは何より、釜石に来て直接話が出来たら嬉しい。」
との話を貰い、この機会に行く事にしました。

俺自身も彼らが元気でやっているか直接会って確かめたいし、被災
地の状況を自分の目で見ておくのも大事な事ではないかと。

という事で、今回は有志を募っての釜石訪問になります。
釜石SWの中にも数人家が流されたメンバーがいるとのことで、
彼らの助けになりそうなものを積んでトラックで行く予定です。


http://blogs.yahoo.co.jp/syarariman/archive/2009/12/26
↑一昨年の「釜石‐フーズ」観戦後に書いたブログ
 今年も釜石の好試合が見れますように。


現地からのヒアリングも参考にして、今回持っていく予定の物資を
以下に決めました。

・冷蔵庫
・テレビ
・Tシャツ
・下着(ヒートテック)
・靴下
・炭酸飲料
などなど。

IBMのメンバーからはテレビ数台の寄付の上に、物資の保存場所
にクラブハウスを提供してくれる事になりました。
またサントリーフーズのメンバーからは飲料が提供される事になり
ました。

そこで、このブログの読んで下さっている皆さんで、ご協力を頂ける
方がもしいらっしゃいましたら、以下アドレスまで是非連絡を頂きたく、
宜しくお願い致します。

syarariman アット yahoo.co.jp
(アットを@に変更下さい。)

また、釜石SWに対する支援の想いを示したポロシャツを製作して、
メンバーみんなが社会人・大学・クラブの自分の所属するそれぞれの
チームで、少なくとも一年間着用する事が出来れば、と思っています。

という事で、この活動は適宜報告していこうと思います。


イメージ 1
↑第一回・釜石SWサポート会議。
就活の模擬面談を終えた法政・小林も強制的に参加させられています。

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4年目のバンコクテンズ・一日目終了!!

現在、バンコクテンズに参戦中です。
今年で4回目の参加、いつもながら我々のチームは、「俺の知り合い」
という枠組みから寄せ集めのメンバー。
今回も様々な社会人チーム・大学から参加してくれています。

そして、今日の予選リーグ戦は2勝1敗の2位で通過、多分明日のカップ
戦に駒を進めます。


チームのメンバー同士の交流はもちろん、
現地に駐在されている社会人の方々、
世界各国から来ている各チームのメンバー、
そして、今回は同じく日本から参加している、
・東大&京大ラグビー部若手OBチーム
・俺の会社のラグビー部
そして、オーバー35の部では、
・東大&京大ラグビー部OBを中心とした学士ラガーの皆さん
など、合計5チームが参加中で、これらチームの参加者とも積極的に関係
を持って欲しいと思ってます。

と思ってたら、今日の大会中、うちのメンバーのそれぞれが色んなところ
で交流を図っている所を見ました。


これら経験は、将来何らかの形で絶対に活きてくるはず。

今日一日を終えて、
「やべっ、楽しすぎる。」
「ラグビーがこんなに面白いことだとは知りませんでした。」
と、各メンバーからしみじみと言われました。

今回、自分の視野を広げる事と同時に、ラグビーをやっている事で得ら
れるメリットは数多くあり、それは自分の行動力次第である、という事を、
この機会に強く認識して欲しいと思います。

という事で、今日はここまで!!

イメージ 1
↑今日の一敗は、優勝候補Jam Boys。南ア現役代表が3人・・・
このチームとの試合後の記念写真。

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ありがたいメールと、就活対策会

前回は重い内容で失礼しました。
ブログへの翼のコメントの書き込みや、数人にメールを頂き有難
い限りです。

「俺はこんな経験をしてるんだぞ!!」
といった事を言うつもりは一切なく、震災の恐ろしさ、そして、
何より、
「人に何かをしてあげられる状況では、一瞬たりとも躊躇せずにして
 貰えれば」
という思いで書きました。


ある選手のお母様からメールを頂き、このブログへの掲載に了承を
頂いたので、ここでそのまま紹介させて頂きます。



シャラさま

今年もよろしくお願いいたします。

昨日のブログ、拝読して、娘にも読ませました。
その後、息子が急に帰宅して、
「読んだ?」と。
「読んだよ。○○(娘さん)も一緒に読んだよ」と答えたあと、
三人でしばし沈黙…。


実は、××(息子さん本人)がシャラさんという方に傾倒(笑)
していく様子を見ていて、私たち両親は少し不安に思うところが
あったのですよ。
今の日本に、何の利益にもならないことに、
力をそそぐホスピタリティあふれる人なんて
いるはずない、というオトナの危惧がありまして。

これはマルチ商法か、カルト宗教か、なんて…(~_~;)


それが、シャラさんにお目にかかって、
誤解は氷解。雲散霧消。
取り越し苦労やったなぁ、と。
なぁんだ、いい人じゃない?と。

シャラさんご自身だけでなく、
シャラさんの周りにいらっしゃる方たちも、
みんなええ人ばっかりやね〜と。

ただ、シャラさんのホスピタリティがどこから来るのかについては、
疑問が残ったままでした。
若いのに、どうしてあれだけ人のために尽くすことができるだろう?って
ふしぎな気持ちでいたのです。

それが昨日のブログを拝読して、
ストン、と胸に落ちた、と。
そういうことがお伝えしたかったのでした。


シャラさんの経験は、
そのホスピタリティを支えるに余りあるものでしたね。
亡くなった方のご冥福を祈るとともに、
今ここにあることを大事にしなくては、と
改めて心に刻んだのでした。

なんかうまく言えないけど、
こういうメールを送ったものか、
いや、××のお母ちゃんが出過ぎやで、とか、
いろいろ考えて躊躇してたんですよ、と
そういうことなのでした。

そんなお母ちゃんですが、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
息子ともども…。



温かさが伝わる文章、会社でこのメールを読みながら、ジーンと
しました。
私自身も息子さんから多くの事を学ばせて頂いております。
本当にありがとうございました。

(あとはやっぱり卓越した文章力ですね。勉強になります・・・。)




イメージ 1
↑今週末は、マンションの会議室で就活対策会。
去年も何回もやったが今年はこれが初めて。
就活中の法政・玉ちゃん、中央・古賀を、俺と今年4月から働く
法政・翼と分かれてそれぞれ一時間ずつ話し合った。

その後は、東海の大竹も入って九州のHさん送って頂いた
もつ鍋をみんなで頂きました。
玉ちゃんはこれで初めてモツが食べられるようになったこと。
こちらもありがとうございました。
かなり旨かったです。


もつ鍋後は噂の動画を見て、その結果全員で号泣。
大泣きすること必至ですので、周りに気をつけてご覧下さい。





俺や俺の周りが、こうやって色んなサポートをやることに対して、その
真意が分からず、親御さんが少し不安になられている、という話を本人
たちから時々聞くことがある。

ブラック企業の斡旋とか、怪しい宗教の勧誘とか、変な趣味があるオッ
サンじゃないか、とか疑われたりするとのこと・・・(笑)

その時にこのブログを紹介することで、その疑問や疑念を払拭出来たり
するらしい。

確かにこの世の中、自分の利害を考えずに人のために何かやってる
人って少なくなってきているからなのか、、、


と、少し思ったけど、そんなことないな、、、
俺の周りにそういうヤツ、結構いるような。

というか今回メール頂いた方の方が遥かに色んな事をやられている
気がします(笑)!!


とにかく、俺自身の信念でやっているので、人に迷惑をかけない限り、
出来る範囲でやっていこうと思います。

これからも宜しくお願い致します。




そして、毎年恒例のバンコクテンズ、今年もあと3週間と迫って来ま
した。
http://www.bangkokrugby10s.net/

ただ海外でラグビーをする目的だけではなく、
・各国から来る外国のラガーマン達
・海外で働きながらラグビーをやられている現地に駐在されている日本人の方々、
・そして、同じく日本から参加する社会人達
との交流を深めて、社会で十二分に活用できるネットワークを各々広げて欲しい
と思います。

という事で今日はここまで!!

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あれからもう16年。一年に一度の節目の日。「伝えなきゃ!!」

人が一生の間で会える人の数は決して多くはない。
そして、その人達にしてあげられる事も決して多くないと思う。
だからこそ、せっかく出会えた人とはいい出会いにしたいし、
自分が出来る事があれば、出来る限りの事をしてあげたい。

後輩の面倒やサポートをしたり、近所の御老人のお世話をしたりした時に、
「シャラさんがこんな事をしようと思ったきっかけは何ですか。」
とよく聞かれるが、多分、上のような考え方が根底ににあるからだと思う。

そして、その考え方をするようになった大きな理由は、紛れもなく16年前
の今日の経験からだろう。


物事の考え方、人の接し方も、あの経験を期に大きく変ったし、
何よりあの日間近で命を落とした学生の分も、最後を見届けた他の犠牲者
の方の分も精一杯に生きて行かなきゃと、ことあるごとに考える。

そして、あの経験を他の人に伝えていくのも俺の使命であるように思う。

ただこの数年、他の人にこの話は出来ていない。

という事で、このブログの趣旨とはかなり離れるが、今回は「阪神大震災」
について書こうと思う。

イメージ 2

イメージ 1

イメージ 3


写真上:
 俺の住んでたマンションの斜め前から撮った写真。
 一帯全て焼け落ちて、ホンマに戦後みたいやった。
写真中:
 下の日記に書いた学生が火にのまれたアパート跡。
 この後に家族が来られて、遺品を捜したり、花を添え
 たりされてました。
写真下:
 マンション南側の道を撮った写真。
 ここは火が回らなかったものの、木造が多く建物がぐちゃ
 ぐちゃになって、下敷きになった人が多い一帯でした。

と、あの頃の光景を思い出しただけでも、ちょっと潤んできた・・・

こうやって、健康で仕事が出来て、満足する生活が出来てる、ということだけ
でも、心から感謝せんと、と思う。


少し前にその時の経験について書いた文章があるので、ここで載せようと思う。
(意を決して(!!)書いているので、何かコメント頂けると助かります・・・)




数年ぶりに松田と再会。
夜に会い会社近くの韓国料理屋へ。
この松田とは奇妙な縁で学生時代に一緒に1ヶ月暮らしていた。


あれは1995年1月17日、友人がチケットをくれた神戸製鋼と大東大の日本
選手権を見るため、東京へ観戦に行った後、神戸の下宿に戻った朝に地震は
起きた。
尋常ではない揺れの後、ムチャクチャになった部屋から外に出て周りを見ると、
以前までの景色とは一変していた。
木造の家やアパートはぺちゃんこに潰れ、マンションも一階部分が潰れている。
そしてすぐ近くの商店街で火が出て、風向きからどんどんこっちに迫ってくる。

しかし、木造の家やアパートの下には外に逃げ出したくても出れない人間が
いるわけで、自分のマンションから近い家から順番に掘り起こし、助けていった。

最初に掘り起こしたのが、一軒家に住む若いお父さんらしき人。
外に出だすとすぐに、
「あの辺に二人子供がいるはずです。探してやって下さい!」
とのこと。

急いで掘り起こすと二人の子供が・・・。
一人目は助け出だすとすぐ自分の足で歩いたが、二人目はショックからか手足に
力が入らず、うなり声しか上げていない。
急いで道まで運びフトンをひいて寝かし、最後はお母さんの捜索に。

運の悪いことにそのお母さんの上家具が倒れていて、助け出すのにかなりの
時間がかかった。
何とか外に出したが意識はないし、手も足もあり得ない方向に曲がってしまって
いた。

「助かるとええんやけど・・・。」と考えていたら、すぐ近くで子供の泣き声が。
さっき助けた2人目の子供だった。
意識が戻ったようで「子供って生命力スゴイな!」とホッとしながら、すぐ
次の隣の家へ救出に向かった。。

何故か近くには若い人間がほとんどおらず、救出が終わって外を歩いていると、
「こっち助けて下さい!」「まだ何人かいるはずです!」と声がかかる。
どこもいつ火が来るか分からず、1人でも多くの人を外に出してやる必要があった。

1階に夫婦で寝てた家での救助。
すっかり1階が潰れてしまっており、2階の床が自分の胸ぐらいの位置まで落ちている。
で、家の梁が倒れていて旦那さんらしき人の頭の上に落ちていた。
多分、即死だっただろう。
そのすぐ横に寝ていた奥さんは、右足だけがどこかに挟まっていて抜け出す事が
出来ない。
家そのものも半分崩れかかっていて、これまた壊れた隣の家に寄りかかっている
状態。
まだまだ余震が続いている状況で、またいつその建物が壊れるか分からない。

学生数人となんとか助けだそうとしたが、我々の使える道具はスコップや
木の棒ぐらいしかなくどうしようもなかった。
地震が起きて既に4,5時間経っていたが、もちろんレスキューが来るわけもなく、
なすすべがないまま、火の向かう方向を確認しながら、水を飲ませてあげたり、
励ましたりするしかなかった。

その後、1時間程経ってやっとレスキュー隊が到着。
といっても3人だったが、今にも壊れそうな家を見て、
「後は我々に任せて下さい!君達は早く外に出て離れて下さい!」
と。

「ここはレスキュー隊に任せよう。」と思い、最後にそこから出ようとしたら、
「あっ、君はここに残って下さい。」
と半命令調で言われた。
なにやら、3人では足りないらしく即席で「レスキュー隊に加われ!」とのこと。
そのレスキュー隊の持ってきたジャッキアップで作業開始。
思ったより簡単で、一時間ぐらいで助け出すことが出来た。
確かに、あの時レスキュー隊に止められていなければ安全な場所に避難していた
だろうが、最後まで助けたいという使命感のようなものがあって、呼び止められた時
には逆にホッとした記憶がある。


その頃、この松田は俺がいたすぐ裏の自分の住むアパートで救助活動をしていた。
彼の住む木造アパートはうちの大学生ばかりであったが、地震で1階が潰れ、
ここも例外ではなく数人がその中に閉じこめられていた。全てうちの大学生だった。
そして不運にも炎がそのアパートに近づいていた。
そして、数人はガレキの中から助け出すことが出来ずに火に飲み込まれていった。

足だけが挟まれてる学生、潰れたアパートから引き出すにも全く体は動かない。
そして迫る火、その学生は言った。
「もういいから逃げてくれ。」
みんな泣きながらその場を離れた。
もちろん、泣きじゃくり離れようとしない学生もいた訳で、無理矢理その場所から
引きずり連れて行った。
そして、遠くから最後の叫び声が聞こえた。
「あ、あついっ・・・!!」
そして直後に潰れた建物が火に飲み込まれ、最後にグシャと倒れた。


松田とは、その救助活動を通して知り合った。
偶然にも同じ学部で共通の知人がいたこと、そして彼のアパートが全焼してしまった
こともあって、俺のマンションで同居する事になった。
その1ヶ月の間は、避難所にボランティアに行ったり、水を汲みに行ったり、
そして通う学校が避難所としてしようされ、閉鎖されていた近所の高校生に勉強を
教えたり・・・、と貴重な体験をした。

そして、俺のマンションもやっぱり基礎が緩くなっていて住めないこと、
そして松田が東工大の大学院に行くことになり、バラバラになった。

確かに一緒に過ごした時間は少ないが、普通ではあり得ない凝縮された時間を共有
した事もあり、こいつとは言葉は良くないが「戦友」のような感覚がある。


東京に来て、地震の話をほとんどしたことがない。
そう簡単に人に話せる話でもないし、話したところで現実を分かってくれるものでもない。
でもやはり簡単に記憶が薄れていくものでもなく、心のどこかにずっとあった。
で、今回松田が上京して来たこともあり、久しぶりに地震の頃の話を夜遅くまでした。


神戸に残った人間達は、その後の神戸の変化を刻々と見ているだろうが、我々は
あの頃の神戸のままで記憶が止まっている。
「近々二人で今の神戸の街を見に行こう。」という結論になり、寝床についた。

追加 :
偶然にも数日前、うちのオカンからメールが来ていた。
「松田君、地震のことで新聞に載ってるで。」

寮の管理人に頼み朝日新聞を貰った。

↓読みずらいとは思いますが、是非内容をご覧ください。
(画像の上にマウスをあてると右下にプラスマークが出てきます。
 そのプラスマークをクリックすると画像が大きくなります。)
イメージ 4

イメージ 5



これを読んで何か安心したというか、胸のつかえが取れたというか。
ずっと松田も同じ事を考えていたんやなー、と。

地震から数日経って、一緒に松田のアパートの焼け跡を、
「何か残っとるんやないか」
と掘り返した。
が、形が残ってたのはスケート靴と水道の蛇口ぐらい。
他は全て見事に燃えており粉状になっていた。
スケート部だった松田は、このスケート靴を大事に持って帰り、汲んできた水を使って
一生懸命に綺麗にしていたのを良く覚えている。

そのすぐ横の数ヵ所に、花とお供え物が置いてあった。
高温に焼かれ骨さえも砂のようになってたらしい。

その場所でしっかり意識があったにも関わらず、逃げられずに炎に巻かれた学生達は
最後にどんなことを考えたのだろう。




あの地震で時が止まってしまった学生達が沢山いた。
俺はその学生達の分まで懸命に生きてこれてるんやろか?

今でも地震の頃のことを思うと、胸が痛くなって涙が出そうになる。
30過ぎたええ年のオッサンやのに。


あの震災を風化させないためにも、これからも少しずつでも伝えていこうと思う。
そして、これが少しでも周りで死んでいった人の供養になれば・・・


年始早々、重い内容ですいません。
って事で、明日から頑張ろっと〜。

全力で生きていかないとな!!

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明後日・法政大ラグビー部山森組最終戦 「あとひとつ」

また一週間空いてもうた。
先週末の観戦報告、日曜の第一回就活セミナーの報告などをしたい
ところながら、もう金曜になってしまったのでまずは明日の大一番
を前に、今回は法政について書きたいと思う。


今週に入ってから、月曜に「10年に一度」と言われる1000億円超
の超大型案件のテンダー発行、取引先各社との忘年会連チャンに加え、
2012年就活組の自己PRの添削、そして、、、

月曜夜から2時間睡眠で一気に作り上げてみました。
昨晩、寮に4年生全員が集まって、サプライズでこのムービーを見たとの
こと。
このような接点を持たせてくれた翼、リュウ、大喜には感謝です。



という事で、是非、明日法政大ラグビー部山森組の最後の試合を、一人でも
多くの観客で応援しましょう!!
(Youtubeの設定上、最初の2分を省かせて頂きました。
 上記ムービーは、試合後非公開にさせて頂きます。)


泣いても笑ってもあと一試合。
5年後、10年後、
「あの年が、あの試合があったからこそ、今はこれだけ強いチーム
 になったんだ。」
と、長く語り継がれるような試合をして欲しいと思います。

そしてこのムービー、明後日の試合まではもちろん、卒業後もっと高い
壁にぶつかった時などに、ふと見て元気になる助けになればと思います。


*****
翼のブログも「熱い」です。
「第二十九回 法政大学ラグビー部山森組の最後の試合を前に」
http://hoseirugby.exblog.jp/12460865/
「第三十回 4年全員と過ごす最後の夜」
http://hoseirugby.exblog.jp/12474442/
*****


些細なことから法政大ラグビー部と関係を持ち出して(半強制的に
関係を持たされて)から早くも5年目。
個人的にも今年はこれまで以上に想い入れが強いチームです。
そして、今後は就活サポートを学生中心に切り替えて貰う以上、俺が
ここまで関与する事はないでしょう。

と言う事で、明日、4年全員が笑顔で引退出来るような試合をして欲しい
と思います。

「あとひとつ」
山森組、頑張れ!!

【大学リーグ戦1部2部入替戦】
12月11日(土) 12:00 キックオフ
 法政大 − 山梨学院大
(県営熊谷ラグビー場)

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開設日: 2005/2/8(火)


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