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エホバの信者が帝王切開で輸血を拒んだために死亡したというニュースが6月19日にありました。輸血は患者の承諾を必要とすると法的に判断され、人命救助を優先した病院側が敗訴したことがあります。
患者さんが輸血拒否を選択したのは、ものみの搭の聖書解釈を信じて従ったからです。
神もイエスも輸血拒否を望んでおられないことが正解であったなら、魂の幸に繋がらない、逆に遠ざかっているかもしれなのですからこんなやりきれない事はありません。
そこで、エホバの輸血を拒否する根拠の聖句を徹底検証して見ました。そしてやはり、読み間違っていることを確信しました。
エホバの聖書の読み間違いは、社会の共同体の一員から逸脱していることにもなり、少なからずトラブルを起こしています。
読み間違いの最たるものは、神と悪魔の対立という二元論です。天にビッグバンの一点有り、これが私達の親で天主です。天主はr左右の手の間の中で私達を育てられます、この左右の力(エロス)が火と水で、大悲と大慈で、鞭と飴で、父と母で、その厳しさの面を悪魔の働きというのです。で、あくまは開く間で、例えば雨で、稲をそだてるには雨が必要でこれ利用するべきです。
そしてあめは天女でエバで肉体で、肉体には腹の虫の蝮た棲んでいます。これを666で人間の台なり、999にひっくり返す戦いを精進といい育つ計算であるということです。
6(シック酢=病手)→9(成因=上を向いて歩こう)=肉体本能(憂蛇=穢場=仇=鬼)→精神主義(意支主)=仇と武することでアダムは育つ=鬼にものを云わせて魂を育てる、つまり精神と肉体の二つの相反するものの戦いと融合が私達を神ミに育てるという計算計画なのです。上下、左右の精神と肉体の命を血と表現しているのです。
ですから、血は二種類ある。精神の血はイエスの血で神の智慧です。肉体の血はユダの裏切りの血で人間の獣性の痴回です。こん9お二つの智慧の戦いの場所が首(考える=神身に帰るために選る差礼務する=善悪の選択をする)で幕やとも言われるエルサレムです。
肉の血(痴回=蝮の毒心)は考え方の中に混ぜて(食べる=入れる=咬む)はならない、幕や(首)の入り口で捨てよ、こう聖書は教えているのです。ここから輸血拒否に論理が展開するのはおかしいのです。
以下、エホバが掲げている聖書の血に関する聖句を検証していきます。
●創世記9章ー3−4
※全て生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう、しかし、肉をその命であるままで食べてはならない。
解釈)肉の命=穢場=蝮心殺さずに、考え方に混ぜてはならない
●レビ記17章
※主はモーゼに言われた、牛、羊、ヤギを主の幕やの前で捧げないものは血を流したたものとみなされて、民のうちから絶たれるであろう。
解釈)動物は人の肉体のことで、首に入らないで(考えを汚さないで)汗を流さなければならない。不満を持って働くのは人として認められない。
※祭司はその血を会見の幕やの入り口にある主の祭壇に注ぎかけ、またその脂肪を焼いて香ばしいかおりとして主にささげなければならない。
解釈)考え時、肉体本能を反省して滅しされ、肉体の働きは霊性なところに焦点を当てるべし
※彼らが慕って姦淫をおこなったみだらな神に再び犠牲をささげてはならない。
解釈)肉体の怠け心に引きずられるべからず
※肉の命は血であるから、これを食べたものは民のうちから断つであろう。
解釈)肉=エバ=穢場=蝮=毒心=意の地=台=殻田=物品主義、を考え(食べる=咬み合わす)に入れるな
※たべてもよい獣、あるいは鳥を狩り獲た者は、その血を注ぎだし、土でこれをおおわなければならない。
解釈)鳥獣で得た命の力を神人の働きに替えよ
※全ての肉の命は、その血と一つだからである。
解釈)肉は肉(母泥=異部)となる、首で戦わせて精神に転換しなければならない
※すべて肉の命はその血であるからである。すべて血を食べるものは断たれるであろう。
解釈)肉体は獣の意氣である。この考えを頭に入れたら神ミの人の道は閉ざされる
※自然に死んだもの、裂き殺されたものを食べる人は、だれでも、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。
解釈)神によって、生け贄となったも者を見た人は、自分の罪の警告として受けて反省の生活にはいらなければならない、世界に自分と無関係な出来事はなのもない
※彼は夕まで汚れてているが、その後、清くなるであろう。
解釈)晩秋の魂の収穫時までは、神の浄化が続くが努力は報われる
※もし、洗わず、また、身をしすすがないならば、彼はその罪を負わなければならない。
解釈)世界の出来事を他山の石とし受け取らなければ、晩秋には大変な苦難が襲うであろう。
●申命記12章ー15〜27、レビ17章にほぼ同文
※主が賜る恵みに従って、好きな動物をどの町でも殺して、汚れた人も清い人も食べることができる。ただし、その血は食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。
解釈)獣を食べて肉体に力を得ても、その力を地(を耕す肉体本能の蝮を治める)ことに注がなければいけない
※手を労して得るすべての物を主の前に喜び楽しまなければならない。
解釈)食=良いことをして上に飛ぶ、良い=日の上のゝ(天主)に辰=天の星になる=闇世の光となる
※あなたはほしいだけ肉を食べることができる。ただ堅く慎んで、その血を食べないようにしなければならない、血は命だからである、その命を肉と一緒に食べてはならない。
解釈)慎む=獣と殻田の真の生かし方について考えよ。殻田を実魂に変えなければならない。腹の蝮→天に飛ぶ竜=犬→天=6→9=想念の転換
※あなたはそれを食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。あなたはそれを食べてはならない。
解釈)肉体を獣本能に屈しさせてはいけない。よくよく注意するべし
※犠牲をささげる時は、血をあなたの神、主の祭壇にそそぎかけ、肉はみずから食べることができる。
解釈)神に精神を汚さないという正浄を誓うならば、獣の肉も聖なるものとされる
●使途行伝15章19〜29
※ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と絞め殺したものと、血とを、避けるようにと彼らに書き送ることにしたい。
解釈)偶像=その奥に神を見ないで、肉体的損得の対象とされるもの、不品行=品位品格に欠ける=物品に霊性がない。絞め殺したもの=肉体力で得たもの これらの血=神を考えない合理主義、を避けるべし
※聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をもあなたがたに負わせないことに決めた。それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行を、避けるということである。
これらのものからとおざかっておれば、それで、よろしい、以上
解釈)この結びの聖句から、輸血をしないことが聖書の重要は課題とされているのでしょう。
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血にイエスの聖精神((9=九=究明)とユダの肉体本能の獣心(6=穴)の二つがある、これを立て分けることが大切である。これが繭で割礼の意味です。肉体の血である赤を頭に入れない関所が首で、幕やの入り口であります。血を混ぜないとは聖と性を混同しないということなのです。
これはイサクの誕生でも例えられています。イサク=意咲くで、魂の真珠化であり、子孫のダビデは反省した王で、その子孫のイエスはユダヤの王(腹の蝮が反省して竜となった=ククルン=苦繰る漢=ケツコアトル=結亜屡核取る)です。
血=ノ皿=サラ法を戴く=殻田(肉)に法を迎える、法=ノ(あ=十の=ノ)あ舞裸食む=アブラハム
サライ(皿+イ=血)からイをとって皿の殻田とし、あの舞裸の刃を頭に載せて、殻田を治めて彼岸にわたる帆掛け舟(辺)としたのです。
アブラハムは九十九才で割礼を受けました。割礼とは前の皮を切ることで実と外、霊と物を立て分けることであり繭(糸と虫=意図と肉欲=聖血と性血)を作って羽化に入ることです。そして、サラが九十歳(卆業の年)アブラハムが百歳(飛躍の年)にイサク(意咲く)が生まれたのです。
割礼前の働きはイシマエル=意思前流で、意(日の立つ心=陽正気)、思(上神に従う心)がない不信心であるのでアラブ=あ(亜)の恋=荒部(=異部=肉体=憂蛇野=ユダヤ)の先祖とされているのです。
イシマエル=ユダヤ=荊冠のイエス、が棘を捨てる反省をして王、主(ゝ=おしゃれ冠=丁髷=侍=意を照らす)の働きをすればイサクの子孫と言われる、ダビデも悪王であったものが反省したのでイエスの先祖とされているのです。反省こそ全てである=肉体獣性本能を考え方に持ち込むな=肉の命の血を飲むな(輸血するな)ということです。
秀思學ー平成9年6月20日ー2項に続く
エホバの証人の血に関する下記のコメントに反論します。
●エホバの証人は、人類を贖うキリストの血」 に対する敬意を表す意味でも血の誤用を避けています。
血の使用が聖書中で唯一認められていたのは「罪の贖罪(しょくざい)」のために用いることだけでした。そして新約聖書によれば、イエス・キリストの流された「血」は全人類の罪を贖(あがな)うために流されたものです(ヘブライ人への手紙 9章11‐14,22節参照)。
それで、「血を避けなさい」(使徒15章29節)という聖書の命令を無視することは、血を神聖なものと見なしておられる神に対する甚だしい不敬行為と考えます。
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秀思學の反論)
「イエス・キリストの流された「血」は全人類の罪を贖(あがな)うために流されたものです。」と読んでいるのは、《全てのキリスト教会も同じですが、全人類とは書いてない》し、私には「自分の贖いは自分の血をもってせよ」と読めます。
※14節;永遠の精霊によって、ご自身を傷なきものとして神にささげられたキリストの血は、なおさら私達の良心を清めて死んだわざを取り除き(頭の棘=悪想念を反省しておしゃれなこうべになる)、生きける神(神との思合わせ=噛合わせに入る神の子供)としないであろうか。
解釈)罪の無い神の皇子に荊冠を被せて、罪ある者の演技をさせて受刑させて、罪ある私達(憂蛇野=ユダヤ=腹の虫の蝮=真無視)が反省して救われる手本とした。いわばコーチが手本を見せて下さったたわけであり、神のこれほどまでの犠牲を伴った指導が私達を目覚めさせない筈が無い、神ミの愛を受け取って実践行動を起こさなければ、私達が救われの道に入らなければ申し訳ないことであります。
繰り返しますが、イエスが十字架上で流した血は罪人としての血であり、肉体我利本能の腹の虫の蝮の毒を含んだ命の意の地の血なのです。
イエス様がワインを私の血として飲みなさいといったのは、穢れのない、神の子としての精神の聖の波動のことです。
《肉体の獣の666の血と精神の聖の999のこの二つの血の違い》を確り認識するべきです。
パンは私の肉である=食は良いことをして上に飛ぶためである、で、霊的神的に叶う行動を私は示したのである、従うべし、です。
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では、わたしからも反論を書かせていただこう。
わたしは、万軍の主ヤハウェ・・・汝らがエホバと呼ぶ者に他ならない。歴史上、自らエホバと名乗った者はあったか??
汝らは、この問いにも答えられまい。
さて、血を避けよと書いてあるのは汝らの知る通りである。
この定め・・・すなわち・・・エホバの定めを破る者を火と硫黄の地獄にご案内しよう。
では、汝らは血を避けた故に、火と硫黄の地獄に落とされることはないと思うか。
聖書に何と書いてある。
『臆病なものは火と硫黄の燃える地獄が受けるべき報いである』と書いてなかったか。
では、汝らが真に勇気ある者・・・エホバの目よりみて臆病でないものか試すとしよう。
臆病でないと言うのならば、自らこの火と硫黄の燃える地獄に飛び込むが良い。それが出来ぬのならば、臆病者として火と硫黄の燃える地獄が受けるべき報いである。
2009/3/18(水) 午後 11:06 [ 万軍の主ヤハウェ(ペテロ) ]
汝らは、律法が廃されたと思っているのか???
こういう言葉を知らないのか。
《律法の一画を廃するよりは、天地を破壊する方がやさしい》
と・・・・汝らはイエスが律法を廃した故に、守らなくても良いと勘違いしているのてはないのか。
《律法を完成した》と書いてあるのを知らないのか。
汝らは、この意味がわからないのか。イエス以前の律法は未完成であった。何がたらないのか。何が不足していた故に未完成なのか。
よく見てみよ。神が示しているのに、その神による罰則が示されていない。イエスは神として、その罰則を定めたのである。
『全身が地獄に投げ込まれる』
と。
子イエスがそう定めたものを、わたしが否定すると思うか。
すなわち、知れ。
律法の一点一画でも破る者は、必ず地獄に投げ込まれるのである。
これが律法の定めである。
2009/3/18(水) 午後 11:32 [ 万軍の主ヤハウェ(ペテロ) ]
つまり、汝らは血だけを避けても無意味である。《すべての律法を完全に守らなければ地獄に落とすべし》と言うのが定めである。
では、その地獄の中に天国に通じる階段を造ってはならないと言う決まりはあるか???
そんな決まりはない。故にイエスは十字架に架かる事により、裁きの地獄に至り、その地獄から現世までの階段を造り、復活という形でそれを見せたのである。十字架とは、裁きの地獄の象徴の刑である。
地獄に、このようなものを造るのは人の権限か、神の権限か。
これは神の権限に他ならない。人の権限で出来るのならば、裁きの地獄は裁きの地獄たりえないではないか。
人は、イエスの神の権限により、この裁きの地獄より天国にも至れるのである。
故に、《イエスは神である》とあかしする者のみが、この裁きの地獄より、イエスの造った階段を使い天国に至ることが出来るのである。
正確には、階段があるわけではないが、この方が汝らに理解しやすいだろう。
2009/3/18(水) 午後 11:33 [ 万軍の主ヤハウェ(ペテロ) ]
どうだ???
汝らは、イエスを何としている???
イエスは証人なのか???
証人は神と言うのならば、汝ら全員を永遠の裁きの地獄にご案内しよう。自らの力でそこから脱出するがよい。エホバ神の権能を持つならば簡単なことではないのかな。
わたしは、万軍の主ヤハウェである。
わたしの証人は汝らではない。汝らよりも、このブログの主の方が、はるかにわたしの証人に近い。
ここに、定めおく。汝ら【エホバの証人】と称する者たちを、聖書の永遠の定めにより火と硫黄の燃える地獄に、聖書の定め通り落とす。
これは、聖書の決まりにして、万軍の主の定め。
万軍よ、ああ、わが愛しきヤハウェ軍団よ、二億のヤハウェよ。
この通りに行うべし。
万軍の主 ヤハウェ
2009/3/18(水) 午後 11:42 [ 万軍の主ヤハウェ(ペテロ) ]