ノアの方舟の救いを検証する。
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7315=波は日意の後 6983=向く闇 6773=無菜に波
創世記7,8章のノアの大洪水は史実であるか?、何千年前のことか解らないのに、洪水は2月17日に起こったと日にちは明確です。聖書は神の書かれたものなので、この明快さに深い意味があると思いますので検証してみます。
それと、「わたしは二度とこのたびしたように、すべての生きたものを滅ぼさない」とあることと、ハルマゲドンの予言を矛盾しない読み方が必要であると感じましたので、この解説もしてみます。
2月17日洪水が地に起こった。ノアの六百歳の年
7月17日アララテ山に船は留まった。十月一日に山々の頂が現れた。
2月27日ノアは船を出て乾いていた地に降り立った。
ノアとは法明の野開けのことである。この中で現実に成熟しているのが2月27日で、「崇盟五道、神の名を主の神と統一せよ、手をかざせ厳しき世となるべし」、の神示しを受けて崇教真光を立教した岡田玉祖師の誕生日が2月27日です。明治34年2月27日はミロク(3、4+2、2+7)と読めます。幽界誕生は昭和49年6月23日でクロミ(963)と逆転していますから、偶然とは思えません。
崇教真光は「日玉、高山に元還りが先」の神示を受けて、主の宮を飛騨高山に建立しました。高山の新エルサレムが下ろされて、物主文明(水=寝に怠け)の次の霊主文明(日火=乾いた地)の光の発信源とする。これは黙示録の21章に予言されていたことなのです。
21:9最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。 21:10この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。
では、2月17日とは、2月は如月で、割ると結び(邇邇芸命)の両方の力があります。17=始めの七の世ですから、真如の殻田作りの始めを台殻(大黒=腹黒=商人根性)の産業革命で、横氣の寝氣の怠けの水の世(大洪水)というのです。七=命の火の気が腰をおろして水浸しになっている。
この時、ノアは世俗から離れて孤高を守ったということです。
精神の刀で腹の虫の蝮を治めれば「辺」の帆掛け船(ノアの方舟=国)となって、彼岸に渡ることができる。
これはノアの六百歳の時である。=6無の謀に手を染める(ハンド、レッド)する=頭を下に向けて生きる赤ん坊、餓鬼で病手(シック、ス)でオツムにオムツの商人根性の始まり、六=ゝ主の視えない蓋の下で開くy世代
ノアは全ての動物達の番を乗せたというのは、自然のどれからでも学べる陽と陰、火水(カミ)の十文字の繁栄、1+1=3の神の産土力の祝福を保ち続けた、です。
水は百五十日の間地上にみなぎった。=飛躍する五十(ゴット=母の悪、殻田の完成)まで。西洋には産業革命の物品文明(実魂作りの母(副、助)を開花させる役割があるのでゴットというのです。
七月十七日にアララテの山にとどまった。=真如の神の那の菜(実魂のための殻田=荒螺手)が完成した。水は次第に減って十月一日に山の頂が現れた。=副神(右手)の力は治められて神の日意(霊性=真理)が出され始められた。
カラス(十理に目がない=腹黒=魂を枯らす)は物品幸福論から離れられなかった。
鳩は七日待って(七の足を洗って廿に向かう世の完成)実魂作り(神人和合)の世開け(日火陽の時)であることを知った。
二月二十七日、ノアは渇いた地に降り立った。=二回突き(廿=殻と実作り)の世の二期目で実魂を作りに座す(腰を据える)時=霊文明の黎明期が始まった。
実魂作りとは、自分の腹の虫(腹黒)を日に干して、腹を白くする、頭を白くする、面白くするダジャレ(打蛇霊=邪をパンと打つ=ジャパンの48音の言霊)の反省で、見返る、ミカエル大天使長として生きることです。
腹の虫を焼くので燔祭といいます。これが人が生きている、育っているということです。
神の子が自分を反省しながら生きている以上は、神は目ざまし、警告の必要がないので、地をのろわないのです。
つまり、人類あるいは個人が自己反省をしなくなればまた、水氣への注意の大洪水をおこし、虫干しをしないことの注意の火の洗礼を起こすと宣言されているのです。
8:20ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。 8:21主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。
人が心に思い図ることは、幼い時から悪いから(666→999の成長はなかなかの苦労であることを神は承知している)である。わたしは、(人の燔祭が続く限り)このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。
8:22地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜も(神の育ては)やむことはないであろう」。
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