イエスはすでに復活している。日本語の口語訳を言霊で読む以外に世界に希望はない!
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1955年に発行された日本語、口語訳の聖書がイエスの真理の救いの下生であったのです。それは今日まで、誰にも発見されませんでした。そして911テロの神示に合わせて読めるようにされたのです。これが1260日語に真理が下ろされる、真珠湾から71年後(2012年)に主神が下生して真理を下ろし、警告と浄化をされるという予言が成熟する為であります。
つまり、日本語がイエスのたとえを翻訳して神真理を表す、イエスは十字架上からヨハネと母マリア(48音、あん、あめんに育ての真理矢あり)を親子として結び、「すべては終わった」と言われた。イエスは あいおーんの光る雲に乗って再臨する。
救いのノアの方舟とは、自分の中に、神の宮を建てる、神を迎えることです=得れ宮=エレミヤ書にそのテクニックが書かれています。
エレミヤ書の52章(最終章)を翻訳します。日本語で真理が現れることに深い神の智恵と計画をみることができます。
52:1ゼデキヤ(贋手木野=殻田)は王となったとき二十一歳(廿の始の殻作り)であったが、エルサレム(考え=選る咲く礼謀)十一年(火水の水の代)世を治めた。母の名はハムタル(破、葉の足る=枝葉を茂らせる)といい、リブナ(理舞那)のエレミヤの娘(ミス=廃=西)である。 52:2ゼデキヤはエホヤキム(絵火矢に気無=真無視=腹の蝮=666の獣性本能)がすべて行ったように、主の目の前に悪事を行った。
翻訳)人の育ちは始に'肉体作りをして、それを利用して実魂(精神)を育てると言う順序がある、殻田作りは西洋文明の合理主義によって進められる、イエスは「わたしは渇く=ドライ」と言った、それは聖書が全うされるためであった。腹の虫を反省(見返る=身を変える=ミカエル=耶教→蘇教)すれば、蝶、竜にそだって天国に飛びか得ることができる。
52:3たしかに、主の怒りによって、エルサレムとユダ(首と腹)とは、そのみ前から捨て去られるようなことになった。そしてゼデキヤはバビロンの王(場尾美論を治める)にそむいた。 52:4そこで彼の治世の九年十月十日(究明の朝=911)に、バビロンの王ネブカデレザル(根深手礼猿=反省する人)はその軍勢を率い、エルサレムにきて、これを包囲し、周囲に塁を築いてこれを攻めた。
翻訳)主を考えず、働かないものは育たない。これに目覚めたものは、世界観を変えることに務める。世界を目覚めさせるための神の声が911テロで黙示録9−11、11−9、ヨハネ福音書9−11、使徒行伝9−11に予言されていた。
52:5こうしてこの町は攻め囲まれて、ゼデキヤ王の十一年(殻田、産業革命のが開花して霊性革命の実魂作りの始)にまで及んだが、 52:6その四月九日(師賀通の究明=実魂作り)になって、町の中の食糧(パン=羽運のヨハネの智恵=マナ=マナー=礼儀の真理の教え)は、はなはだしく欠乏し、その地の民は食物を得ることができなくなった。
翻訳)霊文明の世開けを迎えたが、魂のパンである真理は町の中(先進国=現代人感覚)では見つけられなかった。
52:7そして町の城壁(真如如来の物経=弗の二本矢の迷い)はついに打ち破られたので、兵士たちはみな逃げ、夜のうちに、王の園の近くの、二つの城壁の間の門から町をのがれ出て、カルデヤ(刈る手屋=真理矢)びとが、町を攻め囲んでいるうちに、アラバ(荒、腹場)へ落ちて(我利を強くする)行った。
翻訳)真理を説く者があらわれたが、読めないも者はこれに反発して、より依怙地になっていくであろう。
52:8しかしカルデヤ(贋を刈る真理)びとの軍勢は王を追って行って、エリコの平地(襟戸、首の手前)でゼデキヤ(肉体本能)に追いついたが、彼の軍勢がみな散って彼のそばを離れたので、 52:9カルデヤびとは王を捕え、ハマテの地のリブラ(開真手の理舞羅)にいるバビロンの王(馬場を治める乗鞍聖観音=飛騨高山)のもとに引いていったので、王は彼の罪を定めた。
翻訳)精神が肉体の獣性を考え方に入る前に制した。ハテナ?の真を知る幕屋(首)で肉欲のエッセンスを裁いた。
52:10すなわちバビロンの王はゼデキヤの子たちをその目の前で殺させ(我利の生んだ財産の没収)、ユダのつかさたち(腹の虫の獣性)をことごとくリブラで殺させ(理舞羅=霊性、正法で改心)、 52:11またゼデキヤの目をつぶさせた(是真に開眼させた)。そしてバビロンの王は彼を鎖につないでバビロン(殻田作り)へ連れて行き、その死ぬ日まで獄屋に入れて置いた。
翻訳)積み上げた物品は神に取り上げられる。腹の虫の蝮(真無視)根性を治めて、神真理に開眼しなければならない。産業革命の間はドライ心を絶えず戒めなければならなかったのである。
52:12五月十日(ゴットの意祖)に、――それはバビロンの王ネブカデレザルの世の十九年(火水繰る)であった――バビロンの王に仕える侍衛の長ネブザラダン(寝舞座螺打運=邪をパンと打つ=ジャパン=日の本=根部))はエルサレムに、はいって、 52:13主の宮と王の宮殿を焼き、エルサレムのすべての家を焼いた。彼は大きな家をみな焼きはらった。
翻訳)間違っていた物主(ソロモンは外国の女の神を宮に向か迎え入れた)の偶像の宮と宮殿を火の洗礼で浄化したということです。そして新しいエルサレムが高い山(岐阜高山)に下ろされると黙示録の21章にあります。=西→東=米→日=番=殻と実作りの完成
52:14また侍衛の長と共にいたカルデヤびとの軍勢は、エルサレムの周囲の城壁(殻田文明、仮の教え)をみな取りこわした(完全に霊の日の文明に入った)。 52:15そして侍衛の長ネブザラダンは民のうちの最も貧しい(神の育ての最中)者、若干、そのほか町のうちに残った(合理主義に洗脳されなかった)者、およびバビロンの王にくだった(場の欲と戦う)人、その他工匠(右、クチナ=蛇を竜に作り治す日満り)たちを捕え移した。
翻訳) 悪想念を刈る、腹の虫干しの日の光は満ちた。考えに陰気が棲む余地はなくなった。神の鍛えを受けていた者、現代文明にドライ心にならなかった者、信仰に生きた者、腹の虫の反省に生きたものは救われた。
52:16しかし侍衛の長ネブザラダンはその地の最も貧しい者(幼少で成長期)若干を残して、ぶどう(葡萄=グレープ=昏意風ー甫缶=実殻)を作る者とし、農夫とした。
翻訳)ぶどうは人生の舞踏、武道をどうするかの教えで、頭の水氣を絞って熟成すれば、火が付いて旨い(和因)ものになる。いったん腐乱スる(己を殺す=洗礼を受ける)ことによってのみ蘇ることができる=農夫=曲がりを揺さ振って天地、精神と肉体を貫く人として働く
ーーーNo2に続くーーー
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