雁の棹

日食の月形揺らぐ木下闇

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おくのほそみち第13回---飯塚の里(飯坂)

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福島市山口の忍もぢ摺を見学後、芭蕉等は阿武隈川の渡し場である月の渡しを渡り、瀬の上

の宿を経由して飯塚に到着。飯塚は後に飯坂と呼ばれた。今の飯坂温泉である。そこで

佐藤庄司の旧跡を尋ねている。佐藤庄司という人物は、本名は佐藤元治。藤原秀衡の家臣

で荘園の管理者としての荘司であった。源頼朝が奥州、藤原泰衡を攻めた時、頼朝軍を迎え

討ち戦ったが捉えられて首をはねられたと東鏡に見えるが文治5年(1189年)鎌倉前期

10月2日には赦免された、と記されている。佐藤元治の子の佐藤継信、忠信等は源義経

を庇護し、討死した。この二兄弟の嫁達が兄弟の討死に際して戦姿に身をやつして戦った

事が口述で伝承されている。芭蕉は佐藤家の菩提寺である医王寺の墓石で堕涙(だるい)

したのである。芭蕉という人は、この様な歴史上、悲運に命を散らせた人に格別の哀惜の

情を滾らせる人であった。俳文の中の古寺とは、この医王寺を指す。寺には義経所縁の

品が保存されているが、芭蕉等はそれを見学することはできなかったらしい。

そこで詠まれた句が

   笈(おい)も太刀も五月にかざれ帋(かみ)幟(のぼり)

であった。この句は、いわば空想で詠んだものと思われるが俳句とはありがままの姿を

詠むのではなく、文学的に表現するためには、事実を誇張したり、空想を真の様に表現

したりするのでる。芭蕉の門人の各務支考(かがみしこう)という人が述べているが

彼の著述した俳諧十論の中に次の文章が見える。

俳諧といふは別の事なし、上手に迂詐(うそ)をつく事なり、---と。

これは詰まる所、風雅、、風流の世界では利害得失の現実とは無関係な世界であり、

そんな世界では事実も又、絶対的な事ではなく相対的なものに過ぎない、と。これが

芭蕉の芸術感である。さて芭蕉等は佐藤家の旧跡を訪ねた後、飯塚(飯坂)温泉で一泊

しているが、その宿が安宿であった。当時の飯坂温泉は、付近の百姓達が農閑期に湯治する

きわめて鄙びた温泉場であったらしい。従って宿といっても大した設備もなく、当時高価

であった蝋燭や油灯などの設備のある家はあまりなく夜は囲炉裏の灯りが一般的であった。

芭蕉等は結局、土間に筵を曳いて雨露を凌ぎ、囲炉裏の明かりで一夜を過ごした。芭蕉は元来

健康には問題のある体質で持病持ちであった。その夜も急な腹痛に悩まされた。

翌朝もスッキリしない体を無理に元気づけて、勇ましい足取りをわざと見せて伊達城下の

大木戸(関所)を越えたのであった。この大木戸は藤原泰衡が源頼朝を奥州で迎え討つ為

柵を設けたのが、そもそもの始まりである。

芭蕉の門人の‘浪下‘という人が芭蕉の言葉を記録した「随門記」の中で次の様に述べて

います。侘しきを面白がるは道に入りたる甲斐なり、---と。侘しい環境は避けたいのが人情。

だが芭蕉はその侘びしさに喜びを見出したのである。これが彼の芸術の神髄であり、彼の

俳諧の真骨頂であった。前述の文章の道とは、俳諧の道である。

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