Architecture Everyday!!+Fujiken

細々と続けて10周年。たぶん継続は力なり。コレを惰性ともいう。

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2014年12月10日

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今日も1日が終わりました…なかなか疲れました。
ここ最近では珍しく1日空いていたので、研究室にて講義の準備や諸々の事務仕事などをして過ごしました。
講義もスムーズに作り終えることが出来たし、内容としては上々です。
(毎回このくらいで作れると講義準備も楽なんだけどなぁ…)

さて、今日は先日手がけた仕事を…COMITIAという、創作限定の同人誌即売会があるそうで、
大学の頃にはマンガ研究部の友人がチラホラおり、そういう彼らが夢中になっていた少々オタクっぽさを感じさせる…いわゆるコミケとかいうヤツなのかな?
そんな風にボンヤリと一括りに考えていたんですが、少々誤解も多かったようで、実際にはマンガに限らず、それも内容も多岐に渡るものらしい。

で、米子の友人が建築関係の内容で出品するということで、
それも今回はワタクシの1/70ペーパークラフトを1/4に拡大して段ボールでインスタレーションする!というアイディアを思い立ったらしい。

冊子とまではいかないのだけど、配布用にこれまた知人にイラストを描いてもらって(津布久遊さんという建築設計事務所勤務兼マンガ家という二足の草鞋を履いて活躍されている方)、両面印刷でその片面に解説文を寄稿したというもの。

塔の家という名作住宅は、極めて有名であって、様々に取り上げられてきたから
誰かの文章を追っかけるような内容になるんじゃないか…と思って、ヒヤヒヤしていたんですが、
腰をどっかり据えて、じっくり図面を見ていたら…おぉ、おぉぉ、おぉぉぉ〜、思いのほか筆の進みが早く
それでいて、なかなかに切り口もスルドイ内容になったと自負するほどに仕上がった。

ゲンブツを見せたいところはヤマヤマですが、モロモロ問題もあるかもしれないので、これは控えておくとして…
ワタクシがしたためたテキストそのものは了承を得ていますので、少し世に問うてみたい!ということでブログにて公開したいと思います。

というわけで、以下 『蒼天日和10PIN』 2014.11.23所載の「東孝光の「塔の家」、解説。」です。
ご笑覧下さいませ。


『蒼天日和10PIN』 2014.11.23所載 「東孝光の「塔の家」、解説。」

東京・青山のビルが立ち並ぶ中、キラー通り(外苑西通り)と路地に挟まれた、わずか6坪(20.56㎡)の三角形をした敷地に、埋もれるようにそれでいて確かな存在感を示す狭小住宅がある。杉材の小口板型枠の木目を写し取った粗い打放しコンクリート壁面を屹立させた地下1階地上5階建になるそれは、今から47年前の1967(昭和42)年に建設され、周囲をまだ背の低い建物が取り囲む中でひときわ異彩を放っていた。

その名を塔の家という。建築家自らが設計した東孝光の自邸であり、高度経済成長期の都市郊外へのスプロール化も猛々しい時代に「都市の中に住まう」ことの哲学を込めた実験住宅であり、そして戦後日本住宅史に燦然と輝き続けるであろう「金字塔」である。

その平面構成は極めてシンプルである。三角形の二隅を切り落とした建坪3.6坪(11.8㎡)の不等形五角形を各階1室、それを地下1階から地上5階まで6層分積層しただけである。すなわち、書庫(地下1階)、玄関・駐車場(1階)、居間・食事室・台所(2階)、トイレ・浴室(3階)、夫婦寝室(4階)、子供室・屋上テラス(5階)と連ね、生活を成立させる最小限の居室だけで構成したものである。これは限られた敷地の制約から、ごく自然に導き出された解答であろう。

住宅設計において、居室の相関性はとりわけ重視されるもので、これを一般に「間取り」と呼ぶ。塔の家は、通常各階ごと水平に連ねる間取りを垂直に展開した挑戦的な試みと理解出来るもので、これは玄関から一方は書庫へと地下に潜り、もう一方は居間・食事室・台所から子供室へと、家族の共用室から個室へ段階的に並ぶ。縦に積み重なる特異性さえ除けば、居室配置そのものはさほど不自然ではなく、単に水平に連なっていたものを垂直に置換しただけとも映る。

これを住宅設計のゾーニングで透かせば、1〜3階の居室用途はパブリックゾーン・サービスゾーン、4、5階はプライベートゾーンにあたる。極めて基本に忠実といえ、定型を崩していないあたりに、褪せることのない輝きを放ち続ける塔の家の普遍性が内在しているように思う。

この平面構成には2か所、建築家・東孝光の創意が込められている。1つは、3階に挿入されたトイレ・浴室(サービスゾーン)、もう1つは寝室の上に子供室を重ねるプライベートゾーンの居室配置である。歴史的に見て、客用・家族用にトイレを複数併置することはごく普通のことであったし、また、不十分な換気・衛生設備より、動線計画の合理性から逸脱して住まいの突き当たりに配されるのも常であった。それを塔の家では、居間・食事室・台所と寝室・子供室との間に挿入した。サービスゾーンをパブリックゾーンとプライベートゾーンを接続する中間領域に明らかな形として序列づけたとも言い換えられるものだろう。そして、最上階の子供室。独立した空間を形成し、夫婦寝室の頭上に掲げることは、子ども中心の住まいであることの表象である。旧態依然の主人本位の住まいからの転換を、これほどまでに高らかに表現し得た住まいがあっただろうか。この塔の主は子どもであると。

最上階には、子供室に連なり屋上テラスを併せ持つ。躯体と一体的に型取られた打放しコンクリートの壁に囲まれた空間である。子供室の内からの視界は斜め上空に向かって、その空を切り取るのみである。日本人は塔、もとい高層建築が大好きである。明治の世には、街の中心となる建築に物見の塔があるのは珍しくなかったし、今も観光地として城郭の人気は根強い。そしてランドマークとなるような超高層ビルの最上階に展望台を設けるのがお決まりのパターンである。つまるところ、塔の家は塔であって、塔ではないのである。

塔の家は、各階内部と外界を隔てる壁を下層から上層まで一面として形づくるが、三角形敷地の隅部を1つはささやかなテラスとし、もう1つは玄関ポーチを一体的にコンクリート壁面で囲むことでエントランスの空間性を高め、それでいて3階浴室の目隠しとする。さらに最上階は片持ちの床スラブで張り出して垂れ壁を添える。その造形は多彩であり、それでいて深長。狭小住宅ゆえの密度の高さか、建築家の自邸ゆえの姿勢の表れか、推敲を細部にわたり幾度も重ねて創り出された純度の高い結晶のような造形である。

そうした極めて完成度の高い造形にあって、屋根を斜めに切り落とす。これは塔の伸長を止める天蓋である。分不相応に天空へと伸びゆこうとする希求は乏しく、それでいて地面から手の届かぬほどの中空に閉じ籠もろうという良識を持ち合わせていたように見える。建築史家・建築家の藤森照信は、自らの名を冠した『藤森照信の原・現住宅再見』(TOTO出版、2002年)で塔の家についてふれている。原広司の「伊藤邸」(1967年)、伊東豊雄の「黒の回帰」(1975年)、安藤忠雄の「住吉の長屋」(1976年)と共に並べ、戦後のモダニズム住宅が1960年代後半から1970年代前半にかけて自閉・内向の時代を通過するとの仮説を立て、それでいて都市の内側から透かして見えた情景を眼前にして、その開放性を認めている。確かに塔の家は自閉でもないし、内向でもないのだろう。しかし、塔状に積層することで自閉することもなく、そして内向することもなしに都市から切り離された空間性を得たと見れば…これもまた同じ志向の下にあったといえるのではないか。

塔の家は、塔に住むことの展望はなしに、あくまで塔の形をした住まいの器であった。これは状況証拠のまさに積み重ねから見出したものでしかない。果たして天まで届くものとなるか、それとも中空にとどまるものになるか、今はまだ思索の途である。

『蒼天日和10PIN』 2014.11.23所載 「東孝光の「塔の家」、解説。」 


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