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原作 : 松本 清張 『砂の器』、 潤色 : 橋本 忍、山田 洋次
脚本 : 龍居 由佳里 、 音楽 : 千住 明
主題歌 : 『やさしいキスをして』DREAMS COME TRUE
千住 明 ピアノ協奏曲 『宿命』 : ピアノ 羽田健太郎
指揮 小松長生 日本フィルハーモニー交響楽団
演出 : 福澤 克雄、金子 文紀、山室 大輔
プロデューサー : 伊佐野 英樹、瀬戸口 克陽
和賀 英良: 中居 正広、成瀬 あさみ: 松雪 泰子
関川 雄介 : 武田 真治、田所 綾香 京野 ことみ
吉村 雅哉: 永井 大 、 唐木 イサム: 松岡 俊介
宮田 誠: 岡田 義徳、扇原 玲子: 佐藤 仁美
田所 重喜: 夏八木 勲、麻生 譲 : 市村 正親
三木 謙一: 赤井 英和、本浦 千代吉: 原田 芳雄
今西 修一郎: 渡辺 謙
制作 : TBSエンタテイメント
GWにあたり、一気に観た。なにしろ、ON TIMEで観ていなかったので。
さて、映画「砂の器」加藤剛版和賀に打ちのめされている私、今度は中井版和賀に出会った。
両者は比較される宿命!にある。
そうすると、映画版とTV版では深みが違う。致し方ない。
時代差もあるし、そっくりリメイクもできまい。事情は汲まれる。
まして、映画版ですらハンセン氏病を扱う点で、困難があったと聞く。
平成の時代にTVドラマで、同じ設定は無理であっただろう。
そこで、今度は村八分と大量殺人という設定、無理は承知だろう。
これにケチをつけるのも、興ざめ。
さて、羽田健太郎版ピアノ協奏曲が良い。
これは定評のあるところ。
映画版「宿命」をモチーフにしてはいるが、別個の名曲に仕上がっている。
これがあってこそ、ドラマは輝いた。
そして、渡辺版今西刑事の魅力が締めてくれたね。
映画に比べてTVは長い。全10話、初回・最終回は長編だったので
都合11時間を超えよう。映画は143分なんだから比較にならない。
だけどね、余分なものを削ぎ落とした143分間は決して11時間余に負けていない。
それでも、最終回の長い演奏と、今西刑事の捜査説明は、映画に匹敵する出来映えであった。
とにかく、TVドラマ枠を越えた作品であることも間違いない。
それにしても、中井さんにはまた独特の臭いがある。
あの名作「模倣犯」でも、は虫類的な薄気味悪さがあったが
ここでも遺憾なく発揮されている。殺人犯としては申し分ない。
しかし、作曲家としてのカリスマ性がない。
これは致し方ないだろうが、加藤にはそれがあったので。
だから、田所代議士との関係も、中井は弱く見えてしまうし、
婚約者とのことも、加藤版和賀なら女の独り二人というより、
婚約者自体にも執着がなく、音楽家としてのエゴイズムが現れていた。
松雪さんの役は映画にはないオリジナル。やはり10話をこなすには
新キャラは必然だものね。それで女優、さもありなん。
前半の母や劇団をめぐるゴタゴタはあまり本編と関わらないが、
後半で和賀を助ける役柄の複線としては納得がいく。
和賀を救うキャラは必要だからね、「花びらを蒔く女」といい。
協力者、理解者が無くては和賀の悲劇は増幅されないからね。
それにしても、この赤井版三木謙一はスレスレだろうか。
明るくて、面倒見がよい。たしかに一理ある。
だが、これほど、知性的でなく、脳天気なキャラが
少年和賀を思って、派出所日誌を改ざんしたりする人間には見えない。
ほとんど二重人格である。
殺される日、和賀に「散々世話になっておいて忘れたゆうんか!
お前、オヤジを捨てる気じゃあるまいな」などと罵声を浴びせるデリカシーの無さと、
思いやりとがアンバランスを起こしている。
どうもここが鼻についてしまった。
それと原田版父、これは別世界を作り出していた。
加藤嘉版父は、暖かくて不幸であった。不幸を受け止めるだけ受け止めて生きていた。
和賀少年はそれを慕って、そしてこの親子には強いつながりが感じられた。
原田版は殺人犯ということもあり、不幸であってもそれを殺人へと転化させる積極性があった。
原田版父は芯の強さがあって、和賀少年にも強く接している。
これは親子関係としてはドライであった。
今回良かったのは、和賀と父の再会だろう。
あり得ない演出だが、こうした顛末は待望されていたはずである。
そこで、和賀は「とうさんを憎んでいた」と告白する。
これは人間関係をよく示していた。
父は同情されたり、思慕されたりする存在でなかったのである。
和賀は、過去を憎み父を憎んだ。生い立ちを宿命として憎んだ。
そして、社会を憎んでいた。差別社会を。
だが、彼の怒りは世間への怒りに過ぎなかった。
ところが、加藤版和賀は、世間を含んだ日本を憎んでいた節がある。
差別は日本人に染みこんでいて、国家権力である警察でさえ助長している。
これは日本文化への怒りであった。
映画版「砂の器」での隠れテーマであった。
中井版和賀の宿命は、逃亡でもあった。世間は敵でしかなかった。
一方加藤版和賀の宿命は差別であった。それゆれ母にも捨てられ、
村を追われる。しかし決定的に違うのは、父を労り同情していたことだろう。
少年和賀にはそれほどの精神ができあがっていた。
中井版は逃亡の記憶にしかすぎず、加藤版は楽しく苦しかった父との旅の想い出なのだろう。
これは断然後者が心ひかれる。それは音楽ともマッチしていて、
羽田版「宿命」ですら、映画版でこそ映えるはずである。
なお言えば、映像は映画の独壇場であろう。
TV版でも美しいはずの自然を描いていたサクラ咲く道、寒々しい海岸。
だが、なぜか感銘を受けない。これはドライなのだろう。
映画版は旅そのものが美しい旅であったが、
TV版ではそれを愛でる感性すら残っていない親子が描写されていた。
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