湯西川温泉駅〜五十里宿〜中三依宿〜上三依宿〜男鹿高原駅
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この区間は、殆どが国道なのに車の量もあまり多くな歩き易かった。、またどの宿場跡も家数が少ないのが印象的だった。 五十里宿は五十里湖に沈み現在は見ることができない。 中三依宿は、この区間では一番大きな宿場だが家数はまばらだ。 男鹿高原駅は、舗装はされているが狭い山道を進むと林の中に大きが建物が見えたのでそこかと思いきや、それは野岩鉄道の変電所だった。もう少し進むと電柱が1本、根元にはプレハブの小屋がある。なんとこの小屋が駅だった。切符売り場も改札もない小さな駅舎をくぐり、階段を下りて人一人いないさびしいホームで、30分後に来る上り電車を待つこととした。 平成23年7月3日(日)天気は晴れたり曇ったり、曇っていても蒸し暑く、お日様が出るとなお暑くなり、体温の上昇がはっきり感じられた。ペットボトルは5本も飲んでしまった。とにかく暑い一日だった。 説明板には 「正面の地蔵岩上に鎮座いたします地蔵尊の云われ 1683年、M7.3の地震により男鹿川、湯西川合流手がせき止められダムができ、150日間で周辺部落が水没しまた。また、1723年6月には、連日の暴風雨により五十里湖が決壊し、鬼怒川下流で大洪水が発生。 この為、一万人以上が死亡する大きな被害をもたらしました。 度重なる祭儀からこの地を守ろうと、1745年9月に村の守り神として地蔵尊が建立されました。 当初は岩の下の街道近くに設置されましたが、五十里ダムの建設により水没を免れるため当所に移動したと地元の方々が伝えております。 隣には、馬頭観音が街道交通の安全を願い、村世話人により立てられています。」 と書いてある。 説明板によると 「古来よりこの脇水は会津西街道の中三依宿の重要な水源として守られてきました。 江戸時代参勤交代の折、またまた街道を通る旅人、江戸へ物資を運ぶ馬方たちののどを潤し憩いの場所で伝えられております。 集落には上、中、下と三か所の水場があり、この清水は上の清水と呼ばれ、おいしい水なので神の清水とも言われておりました。 水道設備が整い利用者も少なくなり、石垣が崩れかけたのを機会に先人たちの築いた石垣はできるだけ残し改修いたしました。 遥かなる先人たちの思いを偲びたいものです。」 と書いてあった。 この説明板を呼んでいる間にも、水を汲みに来る人がいた。 お盆外の小皿はふきの漬物、お盆内右上はわさびの漬物とのこと、食べて見るとやはりわさびの味がし、ビールのつまみにぴったり。 林の合間からちらっと見えた豪快な滝、思わずシャッターを4枚もきってしまった。 電柱の根元のプレハブ小屋が駅舎、左の屋根はホームへ下りる階段の屋根。 |





