男鹿高原駅〜横川宿〜糸沢宿〜会津荒海駅
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今回は、メインの見どころとしていた山王峠への道が通行止めのため、殆どが国道区間となってしまった。しかし足に衰えが出てきたのか、14Km付近から足がつり始め、糸沢本陣などは折角の「歴史遺産」なのに見に行く気にならず、街道から眺めるだけに留めてしまった。(帰宅後、写真を見ながら後悔) 平成23年11月12日(土)天気は快晴、雨上がり後の快晴は空気も澄み、爽快な気分でスタートした。 説明板には 「記念物(史跡) 南山通り横川一里塚 この一里塚は、上三依旧塩原街道一里塚と同様街道の両側にあった。近年東側の塚が除去されて、現在は片方が残されている。 この塚の西側の山際は「よばわり岩」と呼ばれる突き出た大岩がある。そのためこの一里塚は「呼ばわり岩の一里塚」と言われ、通行人に親しまれてきた。 幕府の定めた一里塚の基準は直径五間(約9m)であったが、この塚はやや小さく出来ている。会津西街道に残存する唯一の一里塚で貴重な史跡である。」 と書いてあった。 説明板には 「有形文化財(建造物) 横川如意輪観音堂 この観音堂は、三間四方向拝一間付き入母屋造りで、江戸時代後期の建造と考えられる。柱・頭貫・木鼻・台輪・闘供・丸桁・茅負・垂木・虹梁・板壁・長押蟇股などが改変されずに良く残っている。 塗料は、漆塗りまたはちゃん塗り(油と顔料)、あるいは渋塗り(柿渋と顔料)であったと考えられる。 屋根は茅葺の方形造りで宝珠がついていたものと思われる。 切目縁の縁板、建具、木階は、昭和期末国道121号線の拡幅に伴う若干の移転の際、取り替えられている。内部は、竿縁天井で畳敷き、来向壁には金箔がはられ厨子が安置されている。 この観音堂は、天明8年(1788)の「御廻国様御通行ニ付御案内帳」(宇都宮市旭町赤羽守治家文書)に、「観音不動堂」として記録されている社と同じものといわれている。」 と書いてあった。 説明板には 「有形文化財(建造物) 横川宝篋印塔 二基 この宝篋印塔は、その形態より見て、安土桃山時代の作と推定され、本県内にても数少ないものである。 土地の伝説によれば三依という地名の起源となった三依姫の供養塔にて、近傍の墓地には、その墓とされる五輪塔も現存する。 三依姫の由来は一切不明であるが、これ丈の供養塔が建立されていることは由緒ある武士の一族であることが考えられる。」 と書いてあった。 紅葉には少し遅かったようだ。 この奥に建物が見えるが、足がつってもうそこまでも行けない。 |





