東北道の一の関ICから陸前高田に向かう。
頭の中に現地の地図があるので、海から
4〜5kmぐらいまで津波が来ていると
思って向かうと、、、
こんなところ(相当手前)までがれきが有って
津波が想像以上の勢いだったことが分かった。
ニュース等で知る情報よりも現地は酷かった。
想像以上に破壊された街。
幹線道路は、自衛隊の方々が頑張って通行出来る状態だけれど、
所々で迂回する。
通れると思った道も地盤沈下で水がたまり、迂回すると
がれきの山で先が見えず、、進むと袋小路になっていて
通れなかったり。
2年ぶりに行った現地は、目印になっていた建物が無く
ガレキで方向が分からなくなってしまう。
破壊された街には殆ど人がいない。。。
綺麗だった松原が無い、防波堤が無い。。。。
街から見えることも無かった波が見える。
海岸から離れている、いとこの家は床上浸水だったが、
家は大丈夫だった。
海岸の松の木もガレキも家まで流れていた。
流されてきた人を助けるために畳を担架代わりに使ったと
畳が無いところが有った。
親戚はいとこ以外は無事だった。
親戚の叔母さんが運転している車が渋滞にはまって動けない
でいた。親戚の叔母さんの家は、幹線道路から外れるところに
あって右折が出来ないでいた。
やっとの思いで右折出来て家まで戻った。。。。。
幹線道路で渋滞で動けなかった車が相当流されてしまったと、、
話していた。
ここまでは来ないだろうと思った津波は大勢の人を奪った
ようだった。
ニュースでは伝えられていない、、現地の話は凄い、、、
そこら中のガレキ、、、どのように片づけられるのか?
ライフラインも完全ではない。
働く場所も無くなった。街。未来が見えてこない。
働く場所を求めて、人は街を去ってしまうのか、、、、
復興には相当の歳月がかかってしまいそう。
ニュースで知る、お店の再開、支援の輪、、、、嬉しいけれど
それは、ほんの一握り。。。。
大きな避難所での不便さ、、、、
小さな避難所での苦労、、、、、
避難所ではなく自宅で生活している被災者の苦労
被災者の皆さん。
東北人は口数が少なく我慢強いけれど、、、
辛いことをニュースで取り上げられるぐらいもっともっと話して
現地の悲惨さを知り、
そして、亡くなったいとこの奥さんに頑張って、、
とは、とても言えなかった。
別れるときは、元気でと、、元気でいることが支援してくれた
方々の恩返しになるからと、、、、
帰りは盛岡の叔母さんの家に泊まる。
盛岡の駅、、、観光客も少なく寂しい。。。
お土産売り場の店員さんに現地の話をすると
涙を流して聞いてくれた。
地震直後は停電し盛岡の叔母さんも陸前高田にいる
姉妹にも連絡がつかない。。。。
とっくに津波が押し寄せて大被害が出ている時刻でも
海岸に津波が押し寄せてくるもようですとラジオがアナウン
スしていたと。
壊滅状態だから現地からの情報も入らなかったようだった。
帰る朝、、、一人で叔母さんの家の近くを散歩していると
陸前高田の想像以上に破壊された街、、、そこで暮らしている
被災者が頭に浮かび、、、涙が止まりませんでした。
忘れてはいけない 3.11
|