加茂川の護り・立て石
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加茂川は昔から大雨などでよく氾濫し、流域に多くの被害をもたらしていたため、足立重信や入江常真法師などによる治水工事が行われた。 しかし、延亨元年8月大洪水で中野村側の堤防が決壊し、中野村が壊滅的被害を受けた。堤防を修復するとき、地元民は伊曾乃神社の加護を祈り、神社の神鏡を堤防の基礎として埋め、その上に剣形の石を立てた。結果、その後大洪水が起こっても神鏡を埋めた箇所は決壊することなく、現代に至っている。 昭和11年堤防補修工事の時、剣形石のすぐ上部に白い玉石を目印石として据えたが、これを「護りの立て石」とよく間違えるようである。 先哲の墓碑とふるさとの史跡(西条史談会発行)による 西條史談会の建てた標柱 目印石の方が目立っている。間違うはずだ。
加茂川橋西詰めを30Mぐらい上流に行くとある。 |
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足立重信公のお墓
真民先生は川を愛され、川との出会いを大切にされ、よく川の詩も書いておられます。 砥部にお住まいになられたのも近くに重信川が流れているからだとおっしゃっておられました。 この重信川はかつては伊予川と呼ばれていましたが、水害の多かったこの川の治水工事を行った足立重
2007/1/24(水) 午後 4:15 [ 小さな手のひらに空の光が(土生神社宮司のブログ) ]
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興味深い歴史ですね。重信公の足跡は西条にも残されているのですね。しかしその後の決壊 神鏡を祀られた当時の人の切実な願いが感じられますね。
2007/1/24(水) 午後 4:19 [ 森からの手紙 ]