














和歌山旅行の二日目、朝早く白浜を出て、10時頃潮岬灯台に到着した。
駐車場でしっかり駐車料金を取られて、海を見ながら歩き進むと・・・、
潮岬灯台と書かれた看板が掲げられている門の向こうに白亜の灯台が見えてきた。
Wikipediaによると・・・、
『潮岬灯台(しおのみさきとうだい)は、紀伊半島南端の和歌山県東牟婁郡串本町にある太平洋に突き出た潮岬に建つ白亜の灯台である。
この灯台は明治初期の江戸条約によって建設された8基の洋式灯台(条約灯台)の一つで、「日本の灯台50選」にも選ばれる歴史的文化財的価値が高いAランク保存灯台である。
参観灯台として資料展示室を併設し常時公開されており、本州最南端に位置する灯台から望む太平洋の風景は地球の丸みを感じることができるパノラマである。周辺一帯は南紀の景勝地で、吉野熊野国立公園に指定されている。
潮岬灯台の歴史は古く、幕末の1866年(慶応2年)5月、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の一つで、日本の「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計・指導して1869年(明治2年)年4月に樫野埼灯台と共に着工した。
翌1870年(明治3年)6月10日に完成、仮点灯で業務を開始したが、当初の灯台は、八角形の木造で、我か国最初の洋式木造灯台だった。本当は建物の完成と共に本点灯する予定だったが、イギリスから灯台機械を運搬してきていた船が、東シナ海で沈没し、その代わりにアメリカから蒸気機関車のヘッドランプを輸入し、それを仮に使ったためであった。
本点灯は、仮点灯から3年以上遅れ、1873年(明治6年)9月15日と他の条約灯台と比べて遅くなった。しかし、この灯台の建設が急がれたのは、ここが古くから海上交通の要所となっており、また沖合は流れが速く、風も強いため、航海の難所としても知られていたためである。』
1階にある資料展示室で学習した後、展望所までの階段を上ろうとすると・・・、
地震発生時の避難方法というか、危険を回避する姿勢が示されていて驚いた。
最上階まで上ると360°見渡せる絶景のパノラマが広がって・・・、
青い海と空、心地よい風が気持ちいいのだが、高所恐怖症の身には長い時間は無理。
ぐるりと一周した後、写真を何枚か撮らせていただいて、下まで降りてきた。
台風のシーズンには、テレビでよく耳にする潮岬灯台を身近に感じることができた。
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