うろうろドクター

日本の医療現場は、訴訟リスクにおびえ、過重労働で疲弊しています。少しでも良くなることを願ってブログを書いています。

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主文:本件控訴を棄却する。

理由の要旨:控訴を申し出た検察官の控訴の趣意は、事実誤認の主張である。

第1 本件公訴事実と原判決

1 本件公訴事実(骨子)
 平成13年3月2日に東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所(以下「心研」という)で行われた、「被害者」(当時12歳)の心房中隔欠損症及び肺動脈弁狭窄症の根治術に際し、手術チームの一員として人工心肺装置の操作を担当した被告人(当時心研循環器小児外科医師)が、手術チームの事前申し合わせに反し、脱血方法を、落差脱血法から陰圧吸引補助脱血法に変更し、かつ、陰圧吸引補助脱血法は、執刀部位の心臓貯留血を吸引するための吸引ポンプの回転数を高回転に上げた場合には陰圧吸引力が減少して脱血管からの脱血量が減少し、脱血不良を招く危険があり、さらに、陰圧吸引補助脱血法を長時間持続すると、血液と手術室内の温度差で人工心肺回路内に発生した飽和水蒸気を壁吸引側に徐々に吸引し、壁吸引につながる回路に取り付けられたガスフィルターを水滴で徐々に閉塞し、壁吸引による吸引力を徐々に遮断して静脈貯血槽を陽圧化させて脱血不良になる危険があるという特性を有しており、人工心肺の操作担当者としては、それらの特性を十分に理解した上で使用すべき業務上の注意義務があるのに、これを十分に理解しないまま、漫然と陰圧吸引補助脱血法を約2時間持続し、その間に吸引ポンプの回転数も100回転以上の高回転で継続した過失により、陰圧吸引力を減少させるとともに飽和水蒸気で徐々にガスフィルターを閉塞させて脱血不良及び脱血不能状態を発生させ、よって、被害者に脳循環不全による重度の脳障害を負わせ、同月5日死亡させたものである。

2 原判決(結論要旨)
 原判決は、概略、次のように判示して、被告人に対し、無罪を言い渡した。

“鏗下圓了牋については、心臓の機能低下による心不全の可能性を完全には否定し難いが、本件手術において、被害者に対し人工心肺を用いた体外循環が行われた際に、大静脈(とりわけ上大静脈)からの脱血が円滑に行われず、最終的には脱血不能の状態に立ち至ったことにより、被害者の脳内が鬱血した状態に陥り、重篤な脳障害が発生して死亡するに至ったことを強く推認させる状況があるので、それが合理的な疑いを差し挟む余地がないものかどうかはともかく、ひとまず、そのような前提で検討を進める。

⊂綉のような脱血不良の状態にまで立ち至った原因について、上大静脈に挿入された脱血カニューレの位置が浅すぎるなど、カニュレーションに不具合があった可能性は低く、回路内に発生した水滴等によりガスフィルターが閉塞したことに起因するものと推認される。

H鏐霓佑紡个掘過失責任を問うためには、前提として、本件手術の際に用いられた人工心肺回路のうちの陰圧吸引回路にガスフィルターが設置されており、人工心肺装置を操作する際には、陰圧吸引回路内に発生した水滴等がガスフィルターに吸着し、ガスフィルターが閉塞することにより、壁吸引の吸引力が人工心肺回路内に伝わらなくなって、回路内が陽圧の状態になり、脱血不能の状態に立ち至るという一連の機序につき、被告人において予見することが可能であったと認められることが必要であるが、本件当時、被告人に上記のような予見可能性があったと認めることができない。


第2 当審における検察官の主張
 控訴を申し立てた検察官の所論は、被害者の死因が人工心肺装置の操作に伴う脱血不良及び脱血不能の状態に起因する重篤な脳障害であることは、証拠上、優に認められる上、人工心肺装置の操作担当者であった被告人には、水滴等によるガスフィルターの閉塞の予見可能性が明らかに認められるにもかかわらず、原判決は、証拠の評価を誤り、被害者の死因について明確に認定することを避け、さらに、被告人に上記予見可能性があったと認定するには合理的な疑いが残るとして、被告人に対し、無罪を言い渡しているのであって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというものである。


第3 当裁判所の判断

1 概要
 当裁判所は、被害者の死因は、被害者の脳内が鬱血した状態に陥り、重篤な脳障害が発生したことによるものと認めるが、その原因が、ガスフィルター閉塞による人工心肺回路内の陽圧化によって引き起こされた脱血不能と、陽圧化したことによる血液と空気の大静脈(とりわけ上大静脈)への逆流によって生じたものとすることについては合理的確信を得るに至らず、かえって、手術中の脱血カニューレの位置不良等により上大静脈からの脱血が相当な時間にわたって不良となり、その間送血は続けられたため、頭部に鬱血が生じたことによる可能性が高いとの結論に達した。したがって、被害者の死亡は検察官が訴因として揚げる被告人による人工心肺装置の操作に起因するとは認められず、両者の間に因果関係はないから、業務上過失致死罪の成立を否定し、被告人に対し、無罪を言い渡した原判決は、総論において正当である。

2 被害者の死因について
 関係証拠を総合すると、被害者は、脳死状態に至ったとまでは断定できないものの、本件手術中に顕著な顔面浮腫、鼻出血及び瞳孔散大(以下、これらを合わせて「瞳孔散大等」という。)が出現しており、その後の治療経過に照らしても、脳死になり得るような致命的な脳障害を負ったことは明らかである。被害者の死亡(心停止)の直接の原因が、心臓の機能低下による心停止であったとしても、それ自体は、上記脳障害の合併症であり、いわば死亡に至る因果の流れの一つと見るべきものであるから、本件で被告人の業務上過失致死罪の罪責を検討するに当たっては、被害者は、本件手術中に、少なくとも上半身の静脈灌流に循環不全が起こって頭部が鬱血し、致命的な脳障害が発生したために死亡するに至ったと認定して差し支えない。

3 瞳孔散大等の発生時期について
 瞳孔散大等の発生機序等によれば、循環不全が起こってから瞳孔散大等が生じるまでには、最低でも5分ないし10分の時間を要したと解すべきであるが、本件において、被害者に瞳孔散大等が生じていると初めて確認されたのは、3回目の脱血不能の異常事態が発生し、術野が騒然となった時点であるから、その時点よりも5分ないし10分前に、既に被害者の頭部の鬱血は始まっていたということになる。

4 頭部の鬱血の原因について
(1)静脈貯血槽内の陽圧化による脱血不能について
 3回目の脱血不能の原因は、陰圧吸引補助脱血法を用いて人工心肺による対外循環が行われていた際に、人工心肺回路内が陰圧の状態に保たれなくなったばかりか、落差脱血を無効にするほどの圧力が回路内に生じていたこと、すなわち、回路内が相当程度陽圧の状態になっていたことにあると認められる。
 そして、この用圧化は、静脈貯血槽内で発生した飽和水蒸気がそのままの状態で、あるいは、陰圧吸引回路のチューブ内壁で結露して水滴となり、壁吸引の吸引力によってガスフィルターに引き寄せられて付着し、ガスフィルターを閉塞させたためであると認められるが、看護婦の目撃証言や平成15年5月に発表された「3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会報告書」に記載された実験結果等を総合すると、3回目の脱血不能の状態が発生する直前までは、回路内は陽圧の状態になっておらず、脱血不能の状態が発生した際に、ガスフィルターが閉塞することで急激に陰圧が低下し、回路内が陽圧の状態になったことが窺われる。
 そうすると、前記のとおり、3回目の脱血不能の状態が発生する5分ないし10分以上前には、既に被害者の頭部の鬱血は始まっていたと考えられるのであるから、この脱血不能を招いた、ガスフィルターの閉塞による人工心肺回路内の陽圧化、あるいはそのことによる上大静脈への空気と血液の逆流が、被害者に致命的な脳障害を発生させた原因になったとするには疑問が残るといわざるを得ない。
 さらに、/郵心肺回路内が陽圧の状態になり、静脈貯血槽から脱血管に血液や空気が逆流したとすれば、その影響は上下の各大静脈に等しく及ぶはずであるが、被害者の下半身、とりわけ最も影響を受けやすい位置にある肝臓に障害は発生していないこと、∨楫鐚蟒僂砲いて、第2助手として立ち会った医師の証言によれば、2回目の脱血不良に先立って既に上大静脈からの脱血が良くない状態にあったことが強く窺われること等の事情も上記疑いを強める事情である。

(2)上大静脈からの慢性的な脱血不良の可能性について
 ア このように、本件においては、人工心肺回路内が陽圧化して脱血不能の状態になったこと等が脳障害の原因となったとするには疑問があり、むしろ、その時点では、既に上大静脈からの脱血が不良で、脳障害が発生していた可能性が高いと認められるところ、その原因としては、本件においては、上大静脈のカニュレーションの位置不良が考えられるのである。すなわち、
(ア)本件手術においては、人工心肺による体外循環を開始した当初から、脱血が余り良くない状況があり、カニュレーションに手間取ったという事情があったことを併せ考えると、当初から脱血カニューレの位置不良があった可能性は否定し難い。
(イ)とりわけ、本件においては、大静脈へのダイレクトカニュレーションが行われているが、本件のようなMICS(低侵襲心臓手術)においては、ダイレクトカニュレーションは、視野が狭く、脱血管の操作性も制限されるため、手技としても難しく、不適切なカニュレーションが起こりやすいものであった。
(ウ)本件手術においては、執刀部位が非常に狭く(クレジットカード程度)、手術手技のつたなさも目立ち、手術中に脱血カニューレの位置が変わり、位置不良をもたらしたことも十分に考えられる。
(エ)本件手術のチームリーダーである医師の上大静脈の脱血カニューレの位置は良好であった旨の供述は、他の状況証拠に照らして信用できない。

 イ 本件においては、少なくとも、13時49分に被告人が5回目の血液ガス検査を行うまでは、人工心肺側から見る限りは、陰圧吸引補助脱血法による脱血が円滑に行われていたと認められ、その間、下大静脈の中心静脈圧も、正常な範囲内で推移していること等に照らすと、上大静脈からの脱血が十分になされない状況が継続しながら、他方で下大静脈から十分な脱血がなされていたため、全体としては、十分な脱血量が確保され、その間送血は維持されていたことにより被害者の頭部に鬱血が生じたという事態が考えられ、このような考察は相当数の医師証人によっても述べられるなど、臨床的にも裏付けられている。

 ウ 原判決は、本件手術においては、脱血カニューレの位置等が変えられた形跡が窺われないとして、上大静脈のカニュレーションに不具合があったというような可能性は低いと説示しているが、本件手術に第2助手として立ち会った医師の証言によれば、上大静脈の脱血カニューレの位置は変えられたと見られる。

 エ さらに、本件手術においては、13時7分に被害者を自己拍動に戻すために心臓に電気ショックを与える際に、被害者の頭部を下げる措置が採られ、以後、頭部は下げられた状態のままにされており、そのため、その時点以降、頭部はより鬱血しやすい状況にあったことも指摘される。

その2に続きます)
死因を

手術中の脱血カニューレの位置不良等により上大静脈からの脱血が相当な時間にわたって不良となり、その間送血は続けられていたため、頭部に鬱血が生じたことによる可能性が高いとの結論に達した。

と認定したことが1審との大きな変化です。

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閉じる コメント(6)

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複雑な内容を十分に理解して書かれた素晴らしい判決文だと思います。
おつかれさまでした。 削除

2009/3/27(金) 午後 8:27 [ so-shiro ] 返信する

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一審より事実を詳しく検討して、弁護側の主張とほぼ同じような判決ですね。佐藤先生にはほんとうによかったです。
ご遺族には真の責任者がうやむやにされてお気の毒でした。大学と検察の合作冤罪事件でしたね。第3者の専門家によるピアレビューがなされていればそもそも起訴されず、責任の所在も明確だったでしょう。 削除

2009/3/27(金) 午後 10:58 [ 元外科医 ] 返信する

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ニュースでは、原因に至った別の医師についての報道がなされていました。
そこらあたりのことも詳しくお伺いできれば幸いです。

2009/3/28(土) 午前 0:35 [ oyunam ] 返信する

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so-shiro先生、本当に良かったです。
先生の応援のおかげだと思います。

2009/3/30(月) 午後 7:10 さすらい泌尿器科医 返信する

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元外科医先生、マスコミ報道だけでは良くわからないと思いますが
これらの判決文をお読み頂ければ(難解ですが…)
ほぼ100%勝訴だという佐藤先生の言葉通りだということが
http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-658a.html
ご理解頂けると思われます。

ご遺族にとっては恨む相手が違う…としか言えません。

2009/3/30(月) 午後 7:14 さすらい泌尿器科医 返信する

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oyunamさん、ご理解頂けましたでしょうか?
>上大静脈からの脱血が不良で、脳障害が発生していた可能性が高い
のです。(第1報には入っていない部分です。)
当然それは術者の責任です。

『術者の医師の刑事罰を問うべきか?』というのは何とも言えませんが…
(カルテ改竄で実刑判決を受けています)

2009/3/30(月) 午後 7:18 さすらい泌尿器科医 返信する

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