歴史知の百学連環

諸学は相互に連環し、自然と社会、世界と人間、それらは相互に連環している。それは歴史知を形成する。それは身体知を形成する。

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恋と愛と情愛の深層心理――神話学・民族学の成果をまじえて(3)

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恋と愛と情愛の深層心理――神話学・民族学の成果をまじえて(3)
                                   石塚正英

5.グードルン・クリームヒルト・サホビメ

 さて今度は、氏族社会の女たちにいっそう注目してみましょう。氏族内においてある女が自分の夫と自分の兄弟とが相互に争っているのを見た場合、それを最終的には、彼女および彼女の兄弟が所属する氏族と夫が所属する氏族との間の争いと見なすことになります。どちらに味方するかは自ずから決まっています。夫をでなく、兄弟を支持することになるのです。これは厳格な戒めであります。しかし古代世界において、その戒めがついに破られる時がきました。その実例を私たちはギリシア神話にでなく、ゲルマン神話ないし北欧神話に垣間見ることができます。それは『エッダ』および『ニーベルンゲンの歌』に記されています。

 12世紀から13世紀にかけて北欧のアイスランドで活躍した詩人・歴史叙述者スノッリ・ストゥルルソン(1178-1241)は、1200年頃北欧神話と英雄譚を編集して散文『エッダ』に集大成しました。その中に『アトリの歌』という詩があります。ギューキ【ブルグンド】王族の娘グードルン【クリームヒルト】は、アトリ【フン王アッティラ】のもとに嫁いだのですが、招待された彼女の兄弟、グンナル【グンテル】とヘグニ【ハーゲン】がアトリの策略によって殺されます。悲しみにくれたグードルンは、兄たちの仇を討つため、まずアトリの息子たちつまり自ら生んだ子どもたちを殺してその肉=心臓をアトリに食べさせました。それから、酒に酔って前後不覚となったアトリを討ちはたし、最後にアトリの城を焼きはらいました。妻は家族(氏族)の復讐のために夫の一族を皆殺しにするのです。この物語は古ゲルマンの英雄譚の特徴をよく残しております。

 この物語からの派生と考えられるものに『グードルンの歌』があります。こちらもまた、妻が家族の復讐を企てて兄に援助を求めつつ、夫の家族(王族)を攻めるストーリーです。ただし、最終的には夫の家族を許し、双方の王族が結婚して終わりますが。

 ところで、これと同じ英雄譚がやがてキリスト教の影響を受けるに至ると、思わぬ変化をみることになります。その変化はすなわち、1204年頃、ドナウ流域のドイツ語文化圏においてできあがった『ニーベルンゲンの歌』にはっきりと刻印されています。

 ネーデルランドの王子でニーベルンゲンの宝を手に入れた無双の英雄ジークフリートは、ブルグントの王女クリームヒルトと結婚します。その後請われて、策略をもってブルグンド王グンテルとアイスランド女王ブルーンヒルトの結婚を実現します。しかし情勢の急変がありブルーンヒルトは、ブルグントの重臣ハーゲンを使ってジークフリトをだまし討ちにしました。ジークフリートの妻クリームヒルトは、フン王エッツェル【アッティラ】の求めに応じて結婚し、兄グンテルの統治するブルグント人に皆殺しの復讐を敢行し、その後自らも死ぬ運命になるのでした。

『ニーベルンゲンの歌』に記された尊属殺人は明らかにキリスト教時代の産物です。そこには、一夫一妻制の家族形態とそこから醸し出される夫婦愛が漂っています。それに対して「アトリ」に記された尊属殺人と食人習は明らかに先史時代に根を張る遺物なのです。そこには、多夫多妻制の氏族形態とそこから印象づけられる血縁の同族愛が漂っていましょう。これと類似する物語が日本にも残っています。サホビメの謀反物語です。

 『古事記』第11代崇仁天皇の記述をみると、古代の日本では、グードルン神話と同様、夫婦間(同族外)より兄妹間(同族内)が優先されていたことが推測されます。また、母が子の命名権をもっていたことが推測されます。そこで、古事記に読まれるサホビメの悲劇的物語について、次に説明致しましょう。

まず、サホビメ(沙本毘売)と兄のサホビコ(沙本毘古)は愛に包まれているのですが、これは現代的な家族愛と同じくはなく、まして夫婦愛=個人間の愛と同じではないです。先史に起原を有する氏族愛=同族内愛から派生した観念です。古事記編集者たちによる奈良時代的文明的脚色を払拭するならば、『アトリの歌』や『グードルン神話』と同類の観念が洗い出されてくるでしょう。氏族内のある女性は、別の氏族の男性とのあいだに子を設けますが、その子は母親すなわち彼女の属する氏族内で成長します。その際、生まれた子のうち男児は母親の兄弟から男に相応しい生業の教育を受けます。生みの親とは関係しません。したがって、母親は、族外に住む父親にでなく、族内に住む兄弟に信頼をよせ依存するのです。そこから生まれる氏族内兄弟姉妹アインデンティティは、氏族が解体し家族が形成されるようになった後世の人々には、兄と妹の「愛」に感じられるのでありましょう。氏族構成員の間に形成される絆の感情、現代に特徴的な、個人間に育まれる「愛」ではなく、集団内に培われる「情」なのです。

 そのように、サホビコ・サホビメ兄妹が抱いた「情」は、個人的な性愛でなく集団的な共同体愛でありますから、先史において異常なことではない模様です。個人概念が成立していない先史においては、むしろ個人的な愛のほうこそありえないといえましょう。もし個人間に愛が芽生えるとするならば、その関係はもはや文明的なのです。

 また、第11代垂仁天皇の后であるサホビメ=母は子=ホムチワケの命名権をもっていましたが、そのことは、母権制・母系制と多いに関係しています。サホビメの母親はサホノオホクラミトメといいます。その親つまりサホビメの祖母はタケクニカツトメといいます。サホビメはこのように母親の系譜で名を記される母系の一族に生まれたのでした。兄弟として兄が2人、弟が1人いる4人兄弟です。そこで、本来ならばサホビメは一族の相続人でした。しかし、第11代垂仁天皇との婚姻によって男系の一族にとりこまれることとなったのです。一族の危機を回避するべく、兄のサホビコは妹を取り返そうと決意し、垂仁に反旗を翻したわけです。その運命的意図を十分に理解するサホビメは兄=自族に味方し、兄の籠城する稲城に逃れたのでした。この行動は、母系制ないし母権制を社会構成の紐帯とする氏族社会にはノーマルなのですが、父系制ないし父権制を社会的紐帯とする家父長的家族社会にはアブノーマルなのです。

おわりに 

 現代の我々の一夫一妻制の家族では、夫と妻がそのまま父親と母親になります。そうした家族像を、私たちは誤って永遠の昔からの像として固定的に考えがちです。それほどに、家族というのは実体性を特徴としているのです。家族の核は父と母ですが、じつはこの取り合わせはまったくの他人同士であります。家族の中で父母は血のつながりがないです。けれども、子どもたちは、父母を核として家族愛を深めていくことになります。

 これに対して前近代の共同社会(氏族=クラン)は、実体性でなく関係性を特徴とします。制度的にみて現代の家族では、お父さんとお母さんと子どもたちが一つ屋根の下に住んでいます。それに対してクランでは、制度的な観点からみて、夫婦はいっしょに住んでいません。子どもたちも生みの親に囲われていないです。夫と妻、親と子という関係があるのであって、その実体は捉えにくいのです。

 先史社会においては、分業的な観点からいうと、男たちは通常は狩りに行っていて家にはほとんどいません。姉妹たちだけが家にいて農耕に勤しんでいます。兄弟たちが狩りに行っているときに、よそから狩りの最中の部外者が来て女たちとセックスをして子どもが生まれるとします。でも、このようなにわかづくりの夫たちは、しばらくするとまたどこかに立ち去っていって、そこに生みおとされた子どもたちは母親たちのところで育つでしょう。そこには関係性だけがあるのです。我々がいっているような意味での実体的な家族は成立していないです。もっとも実体を捉えやすいのは産みの母と実の子です。とくに母親から娘へ、という系譜は捉えやすい。そこで、母系が家族形態の最初に来ることが多いのです。しかし、この系譜には父親は入らないのです。

 家族という概念は父親とか父権とかの概念とともに生まれたといえます。その過程で、かけがいない夫婦愛という演技が形成されたのです。夫婦の絆強化については、血縁という実体が伴わない分を演技で補ってきたのでした。

 もう一度繰返します。家族の核=夫婦はもともと他人です。ある男女2人のあいだに恋がパッと芽生えると、恋愛はごく自然なものに感じられます。2人が結婚すると、こんどは愛の絆を維持する愛情が生まれるでしょう。そして時とともに、愛情(動)は情愛(静)にかわるのです。けれども、もともとは夫婦愛とか家族愛は存在しなかったといえます。なぜなら、人類社会の先史時代において、家族は顕在化しておらず、むしろ氏族が社会の基軸だったからです。今回は、神話学・民俗学の成果をまじえながら、男女間に芽生える恋と愛と情愛について、その深層心理を解説しました。結論としていえること、それは、男女間の恋や愛、それはかけがえのない演技(ドラマ)、すばらしき虚構(フィクション)であるということです。愛の演技はいたわりと癒しなのです。恋とか愛とかがどうせ演技であるのなら、こういう理屈も成り立ちましょう。――どうせだますなら、一生だまし続けてほしいの、それが愛ってものよ、あなた!!

注記:本稿は、以下に列記する拙著の記述をもとに2008年10月24日に行なわれた上越ケーブルビジョン(JCV、新潟県上越市)主催の公開講座における講話を下敷きにしています。その際に収録した録音データをもとに本稿を起草しました。大筋はJCV講座のままですが、細部においては多くの補筆修正を行なっています。なお、当該の講座自体は2009年1月の放映となっています。なお本稿は、最初『新女性史研究』第7号(熊本女性学研究会、2008年12月)に掲載されました。筆者

参考文献(拙著)
『「白雪姫」とフェティシュ信仰』理想社、1995年。
『フェティシズム論のブティック』(やすいゆたかとの共著)論創社、1998年。
『歴史知とフェティシズム』理想社、2000年。
『儀礼と神観念の起原』論創社、2005年。
『歴史知と学問論』社会評論社、2007年。

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