デフリンピックの歴史
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私が昔からいやなのは全日本についてみんながいい話をしないことです。 今日も惨敗でしたね。 批判してはダメだということではなく、それ以外の話が多すぎるということです。 応援できにくい雰囲気を作っているのはスタッフや選手だけでなく、協会や昔からの体質ではないでしょうかね。 全日本は我々の憧れでないと。 『もっと気持ちを前面に出してやらないと!』という植田監督の言葉が空しく響きますね。 さてこちらの全日本は本当にいいチームです。 今日送っていただいた資料でデフバレーの歴史を勉強しましょう。 ■デフリンピックの歴史
身体障害者のオリンピック「パラリンピック」に対し、「デフリンピック(Deaflympics)」はろう者のオリンピックとして、夏季大会は1924年にフランスで、冬季 大会は1949年にオーストリアで初めて開催されています。また、パラリンピックと異なり、障害当事者であるろう者自身が運営するろう者のための国際的な スポーツ大会であり、参加者が国際手話によるコミュニケーションで親睦を深められるところに大きな特徴があります。 設立当初は「国際ろう者競技大会」という名称であったが、1967年に世界ろう者競技大会(World Games of the Deaf)に名称変更、その後の運動が評価 され、IOC(国際オリンピック委員会)の承認を得て、2001年から現在の「デフリンピック」という名前になった。現在では加盟95カ国、昨年おこなわれた メルボルン大会では75カ国から2300人の選手が参加し、国際的な交流も広がっています。 補聴器をはずした裸耳状態での聴力損失が55デシベルを超えている者で、各国のろうスポーツ協会に登録している者が参加資格を有します。 また競技中に補聴器を装用することは禁止されております。これは身体の安全を確保する観点によるものです。 国際パラリンピック委員会が1989年に発足した当時、CISSも一緒に取り組むことが確認されましたが、国際パラリンピック委員会がデフリンピックの独創性 について理解を深めなかったため、1995年に脱退せざるを得ませんでした。 以上の経過により、パラリンピックにろう者の出場がない状況が続いています。なお、デフリンピックの独創性とは、コミュニケーション全てが国際手話によって 行なわれ、競技はオリンピックと同じルールで運営される点にあります。また、パラリンピックがリハビリ重視の考えで始まったのに対し、デフリンピックはろう者 仲間での記録重視の考えで始まっていることもあります。 |





初コメです!
ようやくデンソーから普通列車を乗り継ぎ10年掛けて戻らせていただきました。デフバレー監督のI下さん実は春○バレーで対戦しておりました。あの時からすごかったですが、今は立派な監督さんになられておりビックリしました。これからは応援していきたいと思っています。
2007/11/28(水) 午後 2:59 [ killers_dai ]
先日はお疲れ様でした。また一緒にバレーができることに驚きと喜びを感じますね。そうでしたか何かの縁ですね。またゆっくり飲みながら話しましょう。私が仕事を変わった節目節目で君とは思わぬところでよく会いました。私はいまだに富士の湧水を飲んでいます。
考えてみればゆっくり飲む機会もなかったですね。
また行きましょう!
2007/11/28(水) 午後 4:30