3月の風が
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3月生まれで結婚記念日も3月なのに、なぜか3月というと昔から相性が悪かった。 環境面の変化や人事異動などや花粉症がひどいこともあり、寝込んだりすることも多く、不思議と悩み事も重なったが、今年はあまりそのようなことを気にしていない、恐れていても仕方ない。 見てみぬふりをすれば恐怖は増大するが、見てしまえば恐怖は恐怖でなくなる。 思うようにいかないことも当然ありながらも決して悪い流れではない。 むしろいろいろな面で今までやってきたことが芽吹く前だということを感じる瞬間が多い。 人に無駄だ馬鹿だと言われながら、必死で夢中で掘り進めてきた油田やダイヤモンド鉱山に鶴嘴の先が当たるのはもう目前である。 自分への利益誘導や人心掌握などはどうでもいい。 具体的に言えばよく聞くセリフのあいつは俺が育てたとか挨拶がないだとか仁義が云々などという卑近で矮小な醜いことではなく、大きな大きな文化的なこと。 もっとも礼儀知らずや恩知らずは自然と消えていけばいい世界、こっちも情けは人のためにあらず、自分のためだと考えて行動している。 人を育てるのは自分ではなく、人が集まり、その中で勝手に育つ環境ができつつあり、自分もその中で日々もまれている。 学校主体のクラブ活動でも、権力者や金持ちが行く高級クラブでもなく、若者が踊るクラブ↑♪でもなくCOMRADEの集う環境が理想のクラブである。 あの日、あの時、あの苦しい目の前の現実の中で語りかけた、大きな大きな歯車がゆっくりゆっくりと回りだしている実感がある。 押してもびくとも動かなかった大きな大きな歯車が 男の仕事は十年一仕事だというが、二十年一仕事のような気もする。 いや残りの人生それに費やしてもまだ完成は次の世代に委ねないといけないのだろう。 後継者などと軽々しく人は口にするが、それは都合のいい私の傀儡ではなく、精神というバトンを受け継いだ上で、もっともっと自由に明るく優雅に苦労してもらわないといけない。 今まで、これまでの貴重な数珠の出会いに加えて、ここから出会う人たちとの一日一日には大きな大きな意味があることも確信している。 新たな融合と分離、出会いと別離を繰り返して、大きな大きな化学反応(うねり)を起こしていくのだろう。 私の3月の憂鬱を吹き飛ばしてくれる大きな大きなうねりが必ず来るであろう。 わくわくどきどきする。 今日の昼から佛大は福山平成大学に合宿に入った。 有望な新人も加えて山田を中心にどこまで恐怖突入できるかが鍵である。 チームになるということはすべてを引き受ける覚悟を持つということであると私は信じる。
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