木庵先生の独り言

アメリカ在住、比較文化論

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山本五十六の大罪#69(erasusさんのトラックバックと木庵の反応)

山本五十六の大罪#69(erasusさんのトラックバックと木庵の反応)
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こんにちは。>木庵先生 〈トラックバック〉ありがとうございます。
 −大日本帝国は頭脳戦なら負けないと思うので、ヒロヒトではなく立憲君主に徹した明治帝睦仁と統制派の頭目天才永田鉄山(陸軍省と内閣を牛耳る軍政の天才)と一匹狼の日蓮宗信者だった天才石原莞爾(参謀本部を牛耳る)で1935年(1936年)から1941年末の時間が足りなかっただろうが急遽、戦時5か年計画を完遂して、
 о陸軍歩兵の機械化(戦車や自走車によるドイツ型電撃戦)
 о陸軍歩兵と装備の対ソ戦化(冬季軍装と極寒でも作動する機械(戦車))
 о陸軍歩兵の制式銃を単発銃ではなく自動小銃か軽機関銃化
 о陸海軍の航空隊ではなく戦時空軍の創設
 о陸海軍の大本営(統合参謀本部化)に統一(陸海空軍一体の戦略)
 −すなわち、
 о頭が悪かった海軍も陸軍の永田や石原らが指揮すること
 −で当然、独ソ戦(1941年6月22日〜バルバロッサ作戦)に呼応しての、
 о対ソ戦開戦(ドイツに呼応してのソ連挟撃)
 оシベリアからモスクワへ目掛けて進駐(電撃戦)
 −はもとより、
 о対支那戦争(対ソ戦なら絶対にやれない)
 −はおろか、
 о対米英蘭戦争(無論、パールハーバー奇襲作戦など無効)
 −はアメリカ政府がやりたがってもアメリカ国民世論(ジャーナリスト)がやらせないと見て、
 оアメリカ帝国の対独参戦まで手を出さない
 −程度のことはやれたであろうと思う。ただ準備が整えば大英帝国はドイツにより滅んだであろうから弱小だった海軍国の対米戦争も、ソ連が片付いた後ならやれたであろう。永田や石原らが、
 о1940年9月27日 - 日独伊三国同盟調印
 −日独伊三国同盟や日独伊ソ四国同盟構想をどう捌いたかは分からないが、
 о対ソ戦にビビらない対ソ戦略を練っていた
 −と思いたい。
 #戦時5か年計画で対ソ戦の準備が間に合ったかどうかは分からないが間に合わせたと思う。

《<新しい航空機の時代に教科書はない。新しい航空戦術理論を生み出さなければならなかった。大変な時代であった。木庵>》

−空軍というのは簡単なものであり、
 о陸上だろうが海上だろうが平坦な基地が要る
 −というに過ぎない。現在はジェット機の時代になってしまっているが、
 о垂直離着陸機
 о攻撃ヘリ
 −と、ヘリコプターなら小型の船舶にも一機程度の離着陸スペースは設けられているということで、
 о戦時中、日本の大型潜水艦が水上離着陸機を搭載していた
 −という時代は終わり、
 о戦略ミサイル搭載原子力潜水艦
 −の時代になってしまった。密かに、やれたなら米ソ冷戦時代に核攻撃が為されたであろうと思う。航空機の時代は、
 оマッハのジェット機の時代
 −から、
 оステルス爆撃機
 оステルス戦闘機
 −と、
 о核弾頭ミサイル(大陸間弾道弾)
 −の時代になってしまった。ソ連はアメリカ帝国との軍拡競争に敗れて崩壊してしまった。この戦後の厖大な軍拡(破壊)競争への狂奔を観察していると戦勝国であっても戦後の大日本帝国が勝ち続けられたかどうかは誰にも分からない。(つづく)<記10年2月16日>----
坂の上の雲の秋山兄弟の劣物真之も−
 оマハンに師事した
 −とか、
 о米西戦争の観戦記を書いた
 −とか云われているから海軍の秋山真之も、もしかしたら何か書き残したかも知れなかったが、
 о日露戦争での日本海海戦の意義
 −は過大に評価されており、
 о日露戦争での旅順港攻防戦の陸軍(乃木)
 −は過少に評価されているのである。日露戦争は、
 о陸軍で勝った
 −のであり日本海海戦は、大英帝国の圧力の協力が強力だったおまけの勝ち戦であったと思う。いわゆるバルト艦隊は大回りで大航海時代の大航海の果てにウラジオストックに入ろうとしたのであったから、
 оあまりの大航海にロシア艦隊は疲弊していた
 −ことは明らかだった。大日本帝国海軍は自前ではないイギリス製の戦艦などで日本海で待ち伏せればよかったのだから後の太平洋戦争の各戦線とは比較にならないのであった。ただ戦艦の主砲は、
 о東郷平八郎 - 撃たなければ弾は当たらない
 −ことは確かであり戦争に無駄弾も糞も無かった。



《<松岡を昭和天皇が嫌っていたことは有名な話である。また日独伊同盟を推進した人間であることから戦後悪玉の総本山のような評価があるが、もう一度松岡を研究しなおす必要があるだろう。木庵>》

 
−永田と石原のコンビが健在なら、近衛文麿や松岡洋右やヒロヒトの勝手な行動はできなかったと思われた。要するに、偉大な人間がひとり居なくなると、
 о愚かな二番手が出てくる
 −ということである。明治時代の日清・日露の戦争のころには大久保一蔵も西郷吉之助もおらず二番手・三番手の滓たちであったが戦争には勝った(引き分けた)のであった。当然、昭和の時代の軍人たちは長州の滓供ではなく全国からやってきた俊秀たちであり、
 о日本のエース(永田・石原)たち率いていた
 −ら、
 о対ソ戦争
 о対米英蘭戦争
 −どちらもおもしろかったと思う。


<木庵もそう思う。木庵>


《海軍の虚報の実体
「虚報のオリンピック競争」では、スターリンや毛沢東などの共産圏諸国のを別とすれば、帝国海軍は世界一かもしれない。(非共産圏での)「虚報の金メダル受賞者」といっても、ほぼ間違いない。2千年の日本の歴史においては、海軍よりひどい嘘つきは見当たらず、その虚言の規模とそれがもたらした(自国民大量殺害を含む)弊害は、前例のない、甚大な規模となった。海軍の頭には、日本国も日本国民も存在しなかった。
中川は台湾沖航空戦、南太平洋海戦、フィリピン沖海戦、それぞれの海軍発の嘘戦果を記している。そのなかで、ここでは台湾沖航空戦と、フィリピン沖海戦の嘘戦果と実際を比較してみる。括弧内が実際の数字である。
台湾沖航空戦
【撃沈】空母11隻(ゼロ)、戦艦2隻(ゼロ)、巡洋艦3隻(ゼロ)
【撃破】空母8隻(ゼロ)、戦艦2隻(ゼロ)、巡洋艦4隻(2隻)
フィリピン沖海戦
【撃沈】空母8隻(3隻)、巡洋艦4隻(ゼロ)、駆逐艦4隻(3隻)
【撃破】空母9隻(2隻)、戦艦1隻(ゼロ)、巡洋艦2隻(1隻)、
駆逐艦3隻(ゼロ)、撃墜500機以上(125機)》

 
−戦果などというものは金輪際わからないもののひとつでありアメリカ帝国にはハリウッド映画産業があったが、映画のカメラで撮っても戦争の全貌などは撮れない。撃破は少破でも撃破だろうが、撃沈というと海中に没するのだから、
 о撃沈の証拠写真が要る
 −と思うのだが、こんなものが云い放題だったのだろうか?


《海軍の嘘戦果発表のワースト・スリーは、「ミッドウェー海戦」「台湾沖航空戦」「フィリピン沖海戦(レイテ湾沖海戦)」である。1942年6月のミッドウェー海戦の大嘘報道は、山本五十六が創った“世紀の虚報”だが、その後の帝国海軍の堕落を徹底させたターニング・ポイントになった。米空母は(1隻しか撃沈できなかったのに)2隻を撃沈したとか、日本の空母喪失は(4隻にもなるのに、)空母1隻の撃沈にとどまったとか、これらのおぞましき捏造は皆、山本の命令である(『朝日新聞』1942年6月11日付け)。
戦時中、新聞を保存して計算してさえいれば、日本国民は、発表された数字の累積から、海軍の大嘘つきを見抜き、日本の敗北を早期に感得できたはずである。」》

 
−外交機密費は使途不明でかまわない(決算がない)というが、
 о戦果の発表も軍事機密のかなたに
 −あって秘密に守られている。わが軍が4艘の航空母艦を失ったなど、
 оわが国の新聞に公言されては海軍の士気に影響する
 оわが国の新聞に公言されては重大な国家機密が漏れる
 −ということであり、
 о新聞記者や国民に知らせる必要は無かった
 −と思う。

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