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(新)昭和の精神史(戦争の悪と軍人との悪との混同、松井大将の言葉、軍隊の意志、天皇崇拝と現実の天皇に忠誠とは別)#2

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(新)昭和の精神史(戦争の悪と軍人との悪との混同、松井大将の言葉、軍隊の意志、天皇崇拝と現実の天皇に忠誠とは別)#2
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戦争の悪と軍人との悪との混同
「たしかに日本の軍隊には暗いところもたくさんあった。戦後になってそれをいやといほど聞かされた。しかし、いま多くの人々は、戦争の悪と軍人の悪とを混同しているように思われる。また、その末期の日本軍の姿と考えているような気がする。外地ではたくさんの残虐行為もしただろう。しかしそれはおおむね戦地の昂奮、あてのないひさしい駐屯で精神のバランスを失ったり、また相手がゲリラ戦闘員と非戦闘員の区別がつかなかったりして、おこったことだった。すくなくともナチスのしたようなことはまったくなかった。あのような過酷な計算による悪魔的な所業はなかった」

<フィリピンの戦地で、昨日まで日本軍の味方であったフィリピン人がアメリカ軍の再度上陸により形勢が逆転し、今度はアメリカのためにゲリラ活動をおこなった。懸賞つきで、強い者に味方する国民性(?)ともあれば義のためより益のために動く。ジャングルの木の上から、食料もなく飢えの中を逃げている日本兵めがけて撃ってこられれば、精神のバランスを崩すのは当然。ある場合はゲリラの巣窟だと考えて村ごと焼き払ったこともあったかもしれない。

戦後になってもフイリピン人の間で、最後まで日本軍に協力した人と、アメリカについた人との間で抗争が続いているという。アメリカについた人は、今でもアメリカ政府から恩給をもらい裕福な生活を送っている。一方日本兵についた人は、田畑をアメリカ派から略奪され、極貧の生活を送っている。これは、動画で観た話であった。木庵>


松井大将の言葉
「松井大将が死刑になる前に教誨師に語った感想が、歴史の本体を道破していると思われる。『国が変って、若い者が血気にはやつて、とうとうこんなことになつたと思うのです』

この 『若い者が血気にはやつた』というのは、上述の第二期において中堅以下の軍人が政治意欲をもって、性急な実力行動に訴えたことをいうのであろう」


<松井大将がこのようなことを言ったことに注目。木庵>

軍隊の意志
「軍隊が独立した意志をもってそれを強行すれば、いかなる制度もそれを制することはできない。統帥権がどこにあろうと、それは問題ではない。最近にドイツで国防軍をつくるにあたって、統帥権の所属が問題になっている。それを大統領においても、首相においても、議会いおいても、軍部においても、ヒットラーの再出現をふせぐきめ手はない。軍隊を思想的にリードする者が出れば、それが勝つにきまっている。いまの自衛隊とて、もしそれが左右いずれかのイデオロギーに染まればそれが国を引きずることになるであろう。

日本では軍隊が無形無名の下克上のうちに政治化したのだった。それで、ヒットラーのように演説によって国民を納得させて、その総意を手中に収めることによって、かつて自分を弾圧した軍隊を支配するという、まわり道はなかった」


<軍隊は武力をもっているので、軍隊に意志さえあれば、どのようにでも国を変えることができる。かつて三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷の東部方面総監部のバルコニーから自衛隊員に決起を呼びかけた。もしその時自衛隊員に三島ほどの意志があればクーデターは成立したであろう。それはほとんど不可能なことであったが。軍隊だけでなく、政治というものは意志が先にある。この意志が大衆に受け入れられればヒットラーのような専制政治も可能である。またこの意志ほど曖昧なものはない。意志を発する個人もしくは団体は、その意志するところがどこからきているか分かっていない。

軍人は戦争での戦い方を研究して、社会科学的な知識があまりない偏狭な人間である。そのような人間に意志をもたせ、独走させることは危険である。その意味でも、戦前青年将校が偏狭な意志をもって日本を戦争へ導いたのは歴史の現実であった。青年将校に危機意識があり、純粋に日本を変えたいという意志をもつようになった社会的情況があったのはいうまでもない。木庵>


古い影による自己主張
「軍人は天皇を崇拝し、日本刀を下げ、神がかりの古代の言葉をあやつった。陰謀と暗殺は相ついだ。いつのまにか、異様な歴史色がひろがってわれわれをおどろかせ訝らせた。荒木将軍は『日本は軍事的には細戈千足の国、産業的には豊蘆原の瑞穂の国、外交的には浦安の国』であると説いて、若い軍人に霊感を吹きこんだ。そして、ついにはかくして自分が呼出した霊共の力を自分で制御できなくなって、むかしの物語にある魔法使いの弟子とおなじことになってしまった。いよいよ危機が切迫してどうにも打開がむつかしくなってからは、痴呆的な原始古代の儀式が世を風靡した。

あのように合理的にはまったく無意味なことが、情熱の苛烈化にともなって国民全体の主観の中に価値としてうかびあがった。あのようなことがどうして現代におこりえたのだろう?

すべては前近代的なものが復活して支配したからではなかったろうか?

この印象が圧倒的だったから、あの近代戦は古代人がしたものだ、と思われている」


<ワシントン軍縮会議、ロンドン軍縮会議によって、日本の海軍力が抑制されるという外国からの圧力に抗するため、軍事力そのものを維持、拡大しようとすると、どうしても限られた軍備のなかで、実力をつけようとする。そこには精神力に頼らざるをえない。精神力となると、古代の神々にお願いするしかない。そこが近代戦を行うのに、古代人が参与するという、一見矛盾した日本の戦争体制を構築することになった。所詮戦争とは精神力だけではどうしょうもできない。

このようなことから、古代の精神を馬鹿にはできない。古代の精神が日本人の心をつくっているからだ。しかし、古代の精神だけでは戦争には勝てないということの自覚が足らなかったことも事実である。木庵>


天皇崇拝と現実の天皇に忠誠とは別
「天皇崇拝は、『理想的な天皇はわが上代にかくおわしたはずである』と幻視されたものだった。あのような性格の天皇は歴史的事実ではなく、明治以来につくられたものでもなかった。水戸学の天皇には、重臣・政党・財閥・官僚・軍閥を
罰し、くるしんている農民労働者階級を救うというような機能はなかった。水戸学以来・・・

という起源による説明では、あの動きを解明することができるとは思われない。系譜は嫡男のすべてを説明することはできない。狂信的な軍人革命家たちは、かれらが想像する性格の天皇に対してはきわめて忠誠だったが、現実の天皇の意思表示はほとんど無視した。(それはもっとはげしいところまでいった。斎藤首相は、万一の場合のために天皇の退避所をつくると、それが押し込め所になるおそれがあると、後継者の岡田首相に警告した。また米内長官は、天皇救出のために軍艦比叡を用意していた)。すでに幕末にも、政治公卿や志士たちは天皇の意思を無視した。(・・・当時、勅諚のと申して、真実の予の心、頓と貫徹せず、中妨に成り候間、かねてむらむら存じ居候)。『何分当時権威は下にあり、予申出し候儀立たず候間、苦心斜めならず候』(孝明天皇宸翰)」


<青年将校は間違いなく社会主義に影響を受けていた。マルクス主義を直接勉強したわけではないが、天皇主義者と称する、実は社会主義者の、たとえば北一輝などの思想家の影響を受けていた。だから彼らが描く天皇というものは架空のものであり、自分たちに都合のよい天皇像であった。ようするに、天皇を自分たちの信じる革命精神に都合のよい像として描いていたにすぎない。だから彼らの描く天皇崇拝の天皇と現実の天皇とはまったく別のものであった。

倒幕を企てた志士たちも同じ精神構造をもっていた。

近頃保守の間で、天皇継承の問題で男系か女系かという論争がある。小林よしのり氏が「女系でもよい」という論理で、男系を主張する人々との間に論争というか、感情的なもつれが生じているようだ。

小林氏は『天皇論』などを書いて、保守の論客として活躍しておられた。ところが、近頃の「女系でもよい」という発言から、彼の保守としての論理が崩れてしまったようである。ようするに偽保守であることを暴露してしまったのである。

保守の陣営から離れてしまった小林氏は、今後独断に走らざるを得なくなる。そして、今後保守勢力を混乱するゲリラ活動を行うだろう。

天皇論は難しい。ある保守の人が言っていた。「日本にただ天皇がおわします、それだけでよい。凡夫のわれわれがいろいろと皇室のことを議論すると間違う。歴史的に日本に天皇が長くおわしました、それだけに思いをいたすだけでよい」。

木庵もそう思う。だから、「天皇崇拝」などと大きく言う必要はない。ただ皇室の無私の生活ぶりをみて、われわれも精神的に皇室に近づくようにすればよい。東日本震災のときの、天皇陛下と皇后陛下の被災者の方に心から同情なさっている姿を鏡にして、己もあのようにへりくだりたいと思うだけでよい。

なまじっか天皇論を振りかざすと、真の天皇信仰から外れることになり、結局天皇を政治の道具に使うことになる。天皇は日本の文化の象徴であり、政治とはまったく関係のない、信仰の世界だけにとどめておくべきである。木庵>


写真:天皇陛下と皇后陛下
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なかなかバランスのとれたお考へだと思ひます。平時はそれでよいでせう。しかしもし日本が中国に攻められたときには、国民は誰の方を向くでせうか。首相官邸?否否。やはり皇居にお住まひの、天皇陛下かもしれないと思ふのです。大震災のときのやうに、励ましの一言をお聴きしたいのですから。

2012/2/16(木) 午前 1:20 [ koreyjp ]

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koreyjpさん、日本人は、平時のときも国難のときも、天皇にお伺いをたてたいという気持ちがあります。それが皇室信仰なのだと思いいます。木庵

2012/2/16(木) 午前 1:35 [ 木庵 ]

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それは恐らく、皇室は日本人の総本家だからなのかもしれませんね。

2012/2/16(木) 午前 1:40 [ koreyjp ]

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koreyjpさん、そうだと思います。木庵

2012/2/16(木) 午前 2:12 [ 木庵 ]

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