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#8インド(#7に続く)

 現代のインドの都会では、カースト制が一部崩壊し、人間のずるさが色々なところで発見される。例えば物を買おうとするとき、売り手と買い手との値段の交渉がなされ、駆け引き的人間関係が生じている。カースト制がしっかりと残っている田舎では、この駆け引き的人間関係が希薄で、人のよい人々が多い。田舎では、物の売買で取引する必要がない固定的人間関係が存在するからだ。例えば壷を作るカーストは、年に何個か買ってくれるバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシアを何軒かもち、その代金は確実に入り、安定している。先祖から同じパターンの生活があり、それを当たり前とする慣習的、宗教的雰囲気が存続している。豊かではなく、時には、相当な貧しさに耐えなければならない。しかし、そのことを因縁として、諦観に徹することによって、また反作用としての楽観的人生観によって、それほど苦なるものと捉えない。戦前の日本人が貧しくても、それほど不幸と思わなかったことと、合い通じるものがある。
 『ヒンズー教』のところでは述べなかったが、ヒンズー教では穢れを忌み嫌うところがある。だから、聖なる世界との交流を行うバラモンは最上の階級に属し、穢れに多く接する人々は下層の階級に属する。聖なるものは神々であるが、具体的には水、灰、土、牛糞である。また穢れは死、血、人間の排泄物、酒である。屠殺に関係する皮職人などは、不可触民としてさげすまれている。また、肉食を避ける理由も分かるであろう。肉食を避けるのは、穢れからの忌避と、輪廻の考え方も関係する。この世の行いが次の世のカースト上昇、下降に繋がり、人間界以下の動物界への下降した親、祖父母の肉を食べることになるかもしれない。現代でも肉食をしない習慣が頑なに守っているのはカーストの最上位、、バラモンの人である。 
 
 インドでは、菜食のレストランと肉食のレストランが区別され、たとえ菜食でも穢れの階級の人が作る料理を食べない上流カーストの人が多いという。だから、水売りや料理人にバラモンの人が多いのも興味があることだ。バラモンの人の運ぶ水や料理は汚れがなく、安心して飲んだり食べたりできるという。血を穢れとして、特にバラモンの女性は、生理の時、家族から離れ、玄関などで生活するという。このような考えから、伝統的なヒンズー教徒の間では、初潮以前に結婚する習慣があったが、近頃はたしか14歳以下の結婚は法律で禁じられている。穢れの信仰とは別に、主人が亡くなった女性は自殺するサティーという習慣があったが、これも近頃では禁じられている。
 1952年デリーの郊外にあるインド農村の調査では、12のカーストが実在していた。バラモン15戸、農耕カースト78戸、皮靴業カースト20戸、清掃業カースト4戸、大工(だいく)業カースト10戸、理髪行カースト3戸、服装業カースト2戸、金物業カースト1戸、商人カースト1戸が村の構成であった。この調査によって、職業分けが反映されていることがよく分かる。 
 インドの典型的な村落では、一般的に真中にバラモンの家があり、その回りを上位カーストが取り巻き、不可触民は村のはずれに住居を構えている。バラモンが不可触民との接触はほとんどなく、もしバラモンが不可触民をたえ遠くからでも見れば、家に帰り清めるという。不可触民と触れ合うのを避けるため、以前は昼印や鈴をつけさせたり、夜の外出を禁じたという。このようなことが現代のインドで、どの程度浸透しているのかどうかよく分からない。 
 
 現代の憲法でカースト制度は禁止され、連邦政府や州政府に、あるパーセントの不可触民を雇用する法律があるが、なおもインドの生活の中に、心の中に、カースト制は生き続けているようである。
 日本では今でも被差別部落の問題が存在している。結婚差別は進学、就職差別以上に日本社会の深い恥部として残っている。それと同様、カースト制の一番の問題点は、異ヴァルナ間の結婚問題である。 
 ガンジーは不可触をハリジャン、神の子と称して、特別扱いした。ガンジーはヒンズーの団結を説き、その上で不可触民の向上を考えただけで、不可触民にとって、真の意味の階級的平等を勝ち取ったものではなかった。また神の子発言が、かえって不可触民を特別視する結果となり、階級性を打破するまでには至らなかった。そして、ヒンズーに留まる限り、不可触民の向上はないと考える人々が現れてきた。1956年、多数の不可触民が仏教に改宗する現象がおきた。興味あることに、仏教と共産主義がインドでは矛盾なく混在している。考えてみれば。プロレタリアによる平等のユートピアの世界は、仏教の衆生再度思想と相通じる。しかし、仏教徒の動きが社会的なうねりとなって、インドを根本的に変えるところまでには至っていない。また。ガンジーの後継者でガンジーの死後インドを指導したネルーも、第三世界の指導者として、アメリカにもソビエトにもつかないと表明しながら、結局のところソビエト寄りで、社会主義的経済体制を堅持し、根本的な社会構造を変えるまでには至らず、イギリス統治と同様、貧しい国として存続させてしまった。この社会構造変革の停滞は、1991年まで続いた。

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