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カラヤンが初来日したのは1954年のことだそうだ。もう半世紀前のことだ。単身で来日して約1か月滞在している。NHK交響楽団を指揮して東京、京都、名古屋、宝塚で計14回指揮したのだそうだ。
ベルリンフィルと来日したのが57年だから3年前。昭和でいうと29年のことだ。
日本において、1番最初に演奏したのが4月7日で、Rシュトラウスの「ティルオイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、そしてブラームスの交響曲第1番だ。場所は日比谷公会堂。最後の演奏は87年5月5日サントリーホールでの演奏でモーツァルトの交響曲第39番とブラームスの交響曲第1番だった。もちろん最後はBPOだ。
【63年録音】
カラヤンのレコード及びCDは非常によく販売された(グラモフォンのトップ広告はいつもカラヤンだったわけだし)が、評論やクラシックファンといわれる人たちのコメントでもくさされる事はあったも絶賛されることは決してなかった。いつも書いているけど、彼の音楽を褒めることは、クラシック音楽のなんたるかを知らない人間として分類される風潮にあった(現在でもナチ狩りのように『カラヤンサポーター』を攻撃する音楽一派が存在する)。
表現すると『弦は艶やか、木管はビロードみたいな肌触り、そして金管は大音量でも柔らかく』といった、芯のないふやけた音楽の称号を与えられている。
彼の音楽は、あまりに美しすぎて、どこか言いようもない冷たさを感じさせるのも確かだ。自然界には、これほど完璧なものは存在しない。音楽評論家は、土のぬくもり、香りがしない人工の産物のように比喩する。
そして口をそろえて次の言葉を念仏のように唱える。
「深み」って何??僕はこのご立派な言葉がいまだにわからない。音楽の深みとは何をもってそういうのか。
小林秀雄は『モオツアルト』で次の有名な言葉を述べている。
美といふものは、現実にある1つの抗し難い力であって、妙な言ひ方をする様だが、普通一般に考へられているよりも実は遥かに美しくもなく愉快でもないものである。
この言葉が好きで僕はこの文章をもう20年も覚えている。
たとえば、モーツァルトの交響曲第40番の第1楽章の冒頭とカラヤンが最も得意とするチャイコフスキー交響曲第6番の第1楽章第2主題を口ずさんでみてほしい。後者は流麗、美しく口ずさめるが前者を美しく口ずさめる人がいるだろうか。思ったほどの音楽ではない。
しかし、これをいったん頭の中で旋律にしたり、実演奏を聴くと、モーツァルトの物悲しく、美しい旋律が響いてくる。<現実にある1つの抗し難い力>として心を揺さぶるんじゃないだろうか。
カラヤンのチャイコフスキーのメロディなど映画音楽、ムード音楽の範疇に追いやられてしまうのである。
カラヤンの音楽をまるで『パロディ』の分野に分類されてしまうのである。
これは、ベートーヴェンもそうだし、ブルックナーもそう。
フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、ベーム、シューリヒトの音楽(特にベートーヴェンやブラームス)を好んでいるというと、クラシックファンとして一流の勲章が貼られ、カラヤンの『英雄』やブラ2が愛聴盤だと口をついたところで『音楽どしろうと』とレッテルを貼られてしまうほど彼の音楽はポピュラーに仕上がっているのである。
【77年録音】
彼のブラームスは武骨さのかけらもない。4曲とも流麗に鳴り響く。音楽にドイツ語のような強いアクセントもなく鏡のように滑らかな音楽を奏でる。
1番の冒頭部分の低弦とティンパニーと一緒に出てくる旋律も流麗に流れているのである。
多分54年のN響の演奏もそうだったにちがいないし、87年の演奏ではまさにそうだった。
【87年録音】
カラヤンについては、このブラームスの第1番の冒頭の指揮ぶりに彼の本質があるのだ。僕は彼のブラ1の映像をそれぞれ時代の異なるビデオでもDVDでも持っているが、ある共通点があり、明らかに他の指揮者と振り方が違うのだ。
第1楽章の序奏でダーン、ダーン、ダーン、ダ・ダ・ダ、ダーン・・・って音を刻む際に、普通どの指揮者も当然のように1拍ずつ刻みながら指揮棒を振るのだが、カラヤンは異なるのだ。
アタマの部分を1回振り下ろすと、長いフレーズをゆったりと振っている。彼の指揮法はメロディを長いフレーズで弾いている楽器が大きなスケールで弾けないことをとても嫌がるというのをどこかの解説で読んだことがある。1,2,3,4・・・と音を刻むことにより『リズムを意識するとメロディがないがしろになる』とカラヤンは言っていたそうだ。
【59年録音〜VPO来日DVD】
彼の音楽の本質はリズムではなくメロディに力点を置いているということだ。それはテンポが動く箇所でも指揮棒が大きく動かないということで如実に現われている。
ここが武骨な音楽を排したとところで、彼の音楽を「深みのないもの」と表現させている所以である。
カラヤンの音楽作りの『本質』を僕なりに理解したのは、彼が演奏するバルトークの録音を聴いたからである。いつもいうが、このバルトークは多くのクラシック音楽の中、僕が最も深く愛し、理解しているものなので、カラヤンがリズムでバルトークの音符を追っかけているのでなく、メロディで音楽を形成させていることを認識したことにある。バルトークは、本来『リズムで追っかける音楽』だからね。
そうした観点から、カラヤンのブラームスの1番を聴いてみると、彼の音楽が卓越していることが理解できたのである。CDで本当に彼の音楽全体が聴けたかは疑問であるが、何度も言うが一度は生演奏で聴いてみたかった。
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