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井上靖 『幼き日のこと』

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 この本は二通りの読み方が出来る。ひとつは、名作『しろばんば』などに描かれた井上の伝記的事実についてもう少し精度の良い知識を得ることである。もう一つはかかる事実的レベルの異同を通じて、どのようにして芸術的彫拓は成されたかのより詳細な情報を得ることができるのである。

 『幼き日のこと』の魅力は、淡々と抑揚を抑えた叙述の仕方にある。扱われている時期は『しろばんば』の時期に重なり、それ以前の旭川時代の、物心つく以前の揺籃の時期についての、憶測と云うか推測めいた記述が数ページほど冒頭に付け加えられている。私たちは、この両書を読むことで『しろばんば』の構造をより立体的に知ることが出来る。
 名作『しろばんば』の不思議な魅力について、井上の詩情と云うことで随分考えもした。一言で云えば、親たちの都合で過ごしたやや特殊な幼年時代を子供が、その絶対的な受動性に於いて受け止める、と云うことに於いて生じていた詩情、つまり対象を批判的にあるいは客観的に対象化して見る以前のものの見方が、名辞以前の生の現実と云うのを、幼年期と云う独特の感性に於いて描き出している点に於いて『しろばんば』の成功はあったと思う。であるから『しろばんば』は湯ヶ島時代を象徴する育ての親でもあるお祖母さんの死でもって終わっている。曽祖母の死を経験し、さき子姉さんの死を経験し、そして今度は決定的におぬい婆さんの死を経験する。おぬい婆さんの死を悲しむことが出来ないのは、死の受容がいまだ完了していないからであり、死と云う名辞が洪作の中に形成されていないからである。『しろばんば』には、通常の意味での哀悼と云う事態は描かれてはいない。それはこのあと洪作は学んだ筈なのである。

 『幼き日のこと』は、感情を排した後期井上靖が習得した歴史的叙述の方法に準じて、洪作がどのように行きどのような人と付きあったかよりも、生涯の終わりに叙事風物詩のようなものを残したいと云うような井上の晩年の心理的な要求に根差している。つまりささやかのものを伝え残したいと思ったと云う意味である。ささやかであるがゆえに記録に残したいと思ったのかもしれない。父を語った場面や父方の伯父や椎茸造りに生涯を欠けた祖父の簡素極まる生き方を描いた場面は感動的である。特に父を語った場面は『しろばんば』にはない高い抒情性を孕んだ文章である。しかしより一層特異であるのはこの年に於いても(井上65歳)においても母を語ることに於いて過少なのである。母について子が語るとは、「子供とは・・・母親の分身」(本文)であるがゆえに、他のようには対象的に語りえないと云う事情を勘案したとしても、「親と子の関係を確認する必要もない」と云う叙述は何か不自然に強く響く。如何にも言い訳じみている。母を語ることの厄介さは、二十年近く前に書いた『姨捨』の頃とさして違っていないようなのである。母と子の関係が大きく変容するのは、三年後の『わが母の記』に於いてであった。『わが母の記』については既に書いた。

 私は『幼き日のこと』を読むことで、如何にして素材から芸術家は仕上げるのか、すなわち名作『しろばんば』は生まれたか、と云う秘密に触れることが出来て楽しかった。
 おぬい婆さんは別としても、あれほど重要な役割を振り当てられているさき子姉さんについての記述は本作では驚くほど過少であり、より多くは幸薄き少年洪作の幻想、小説的な結構を尽くす為の芸術的彫拓の結果であったかもしれない、そのままでは事実ではなかったのかもしれないと云う感慨を持つようになった。つまり時間が経過して回想すると云う幻想的な行為の中で彼女は極めて重要な役割を与えるべく変容して行った可能性がある。それが叙事的風物詩『幼き日のこと』の中でさき子姉さんが多くは語られなかった理由であると思われる。
 そうすると『しろばんば』の登場人物の一々が芸術的彫拓ないしは洪作少年の幻想性に於いて変容されて描きだされていたような気がしてくる。小学校の校長をしていた人物、父方の伯父のぶっきらぼうさの中に潜む温かさについても、本当は愛情を表現できないのではなく、父子の愛情が元々育っていないのを、少年の眼には違ったものとして映じたにすぎないのではないのか、そんな気もする。雑貨屋に幸夫と云う同年代の少年がいるが、初めて豊橋に旅する洪作少年の馬車を追う場面が美しいのは、こうした少年時代が死に絶えたことに於いてみると云う時の永遠、死の前に現前する不易の立場から描かれているためであることは間違いないだろう。芸術家と云うものは、何でもない素材からかくも美しい紡ぎものを織り上げることが出来るのである。

 『幼き日のこと』を読むと、後半繰り返し「私は幼時を振り返ってみて、幼年時代を郷里の伊豆の山村で過ごしたことをよかったと思う」と書いている。良かったかどうか、子供は環境を選べないのだし、誰しも人生は一度きりで選べない。人生とは元々あれかこれかと選ぶことが出来ないものなのである。それを重々承知の上でこう書かざるを得ないところに、井上の幼年期の特異さがあったと云う事がよく解るのである。

 良かったと思う井上の述懐の幅は、『幼き日のこと』と『しろばんば』を繋ぐ幅に均しいのではないのかとも思う。同一の時期の同一の事象を描いて二通りの物語が誕生した。一方は回顧の観点から書かれた感情を排した風物詩的な叙述、文才を必要としない普通の回想録である。そしてもう一方は極めて見逃されやすい特異性を、如何なる先入見も排する、絶対的受動性の観点からしか見えてこない、極めて井上少年に固有の風景なのである。「しろばんば」とは夕暮れになると空を舞う微小な羽虫の乱舞する姿だが、それは白くあるとしても、それが青みがかったものとして映じたのは洪作少年に於いてのみの風景であった。それは通常の家庭を持たない子供に固有の風景なのであった。

 名作『しろばんば』においてさき子姉さんが示す役割が芸術的彫拓の結果であったと云うこと、それ以外の少年時代の思い出もまた井上少年の眼に映じた固有な幻想的風景であったことは、決して井上に不名誉なことではない。むしろ私たちはこの両書を読み比べることで、作家は凡庸な事実から如何にして物語を紡ぎ挙げるものかの感慨を新たにするのである。

 井上が何と言おうと『しろばんば』とは、死の世界なのであった。祖母と少年はひっそりと蔵の中で過ごしたように、そこに暗く澱んだ空気はある意味で人を安堵させ夢の陶酔の世界に誘うものではあったが、それは幾分か死の風景に似ていたのであった。神話的な表現をすれば、お祖母さんとは童話の世界に登場する死の女神の偽装された姿なのであった。それは反面に於いて、子供の持つ絶対的受動性が死の世界を受け入れやすい、と云うことをも意味している。
 さき子姉さんの役割とは、死の女神に抗う生の女神であり、物語の後半では死の衣装をまとい、死に変容し死を引き受けることにおいて、甥を生の世界に送り出すと云う重要な役割を持つ人物として再創造されなければならなかった。さき子の生から死の世界への跳躍が、そのリアクションとして洪作の側に死から生の世界への跳躍を生む、と云うようい読めるのである。
 それほど重要な枠割を任せられた彼女ではあったが、『幼き日のこと』を読むと、少年の日の寂寥が生んだ幻想性の象徴的な出来ごとの一つだったのである。
 しかし何事も確かなことは言えない。私は井上本人ではないのであるから。はっきり言えることはおぬい祖母さんは洪作を愛したと云う事だけだろう。それから生みの親をも育ての親をも凌ぐような普遍性の象徴としてのさき子姉さんは現実のものではなく、後年文学によって果たされた、と云うことだろうか。
 そしてイロニカルな表現をすれば、作家としての井上は母親を許していた。母を書くことで随分と恩恵を受けていたからである。しかし最晩年の『わが母の記』に於いても、人としての母と子の間に『姨捨』に描かれた荒涼たる月と曠野を渡る風の音が響いていたかは誰にもわからない。
 

 

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