四旬節第主日 <紫>・韓国(釜山)iにて
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主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 第二朗読 ローマの信徒への手紙 5:12-5:19 ◆アダムとキリスト◆このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 福音朗読 マタイによる福音書 4:1-4:11 ◆誘惑を受ける◆さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。 父よ時がきました。その時まで港屋さん(僕のお父さんが真に父にふれ)ることができます様に。 お父さんが大好きなカジノ室内は、とても、乾燥して介護でとなりにいるだけていたくてたまりません。たまたま仲良くなった山口から来られた看護士さんに8日の日程と僕自身の皮膚移植をして、最近、脳の方の疾病があって朝がとくにひどいのですが、夜もふらつきがある時があります。定着はしていますが、ふらついておもいっきり柱にぶつけて皮膚がけがをしたままです。あなたたは死ぬことはこわくないんですか。お父さんより危険ですよとといわれてしまいました。お父さんになにかあったら僕の責任です。だから、夜も睡眠もほとんどとりません。みなっち(僕の弟)は、今は心身とも低迷していますが、福岡空港にいく時も安心しました。いつかは、たちあがってくれると。明日、お父さんとソウルでミサにいきます。 今日も、お父さんとみなっちとソウルでカジノや神様の働きを感じるために3間ほどだったら日程はとれると思います。みなっちの透析の日程をあわせることができることができることができるとおもいます。親子で、」ぜひ、行ってほしいと僕からのおねがいです。 さすがに毎日、毎日、薬きかないほどですが、お父さんが家にいて、生きがいがなく楽しくない死んだほうがましだと言ってました。僕は心をきめましたお父さんと約束して今回にいたりました。釜山より皆さんの幸せお祈りしています。 竹文 四旬節に入りました 。 教会は毎年、 典礼上ではこの季節を大事にし、 信ずる全ての者に 沈黙や、祈り、節制と善いわざに 励むよう勧めます。 イエスの受難と復活に向かい、 より相応しい心で、 その神秘を祝うことができるように。 人類の罪を背負います。 公生活のはじめに、 罪人と同じくヨルダン川で 洗礼者ヨハネから洗礼を授けられ、 その直後に聖霊に導かれ、 荒野に退きます。 荒野は神との出会いの場ですが、 同時に試みの場でもあります。 それ故に、 人の弱さも味わっています。 四十日四十夜、 祈りと断食をしながら、 御父から頂いた使命をかみしめ、 それを果たすために心の準備をします。 それが終わると、 悪魔の誘惑や試練を受けます。 空腹を覚え、悪魔に甘いことばで試されます。 「やろうとしていた断食は終わったではないか。 空腹を満たすために、 ここにある石をパンに変えたらどうだ。」 「与えられた力をここで試してみないか。 誰もいないし神も助けてくれるだろう。」 「これから人の前に出るのに、 何もなくて信じてくれる人がいるだろうか。 肩書きぐらいあったほうが便利じゃないか。 言ってくれればすぐにでも、 広い土地を支配させてあげよう。」 イエスは霊に満たされ、 自分が人となったのは、 力と権力を見せつけて、 人にあがめられるためではなく、 むしろ人々に御父の愛を示し、 その愛の中にある 赦しをもたらすことだと知り、 サタンに「引き下がれ」と 命じます。 イエスはどんなときにも、 御父のみ旨を行うことだけを 求めます。 これからも誘惑と戦う必要があると知り 「人はパンだけで生きるのではない」と 大きな声で叫びます。 最後まで忍び、 その選びを通して模範を示します。 自分もイエスに従って、 御父のみ旨を行うためには どうすれば良いのか 自分自身に問いかけてみましょう。 与えられた愛と赦しを、 何らかの形で周りの人々にも 伝えられないでしょうか。 自分の弱さに負けることなく、 聖霊の導きと神の力を求め、 イエスのあとに従っていくために 心を開きましょう。
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どうぞ御自愛を。竹文さんや湊屋さん達が私達と供にできるだけ長くこの地上に留まってくださるのが私の望みです。どうぞ無理をなさいませんように お願いします。
2011/3/17(木) 午前 5:12 [ トンビ母 ]