OMEGA−凶弾の方程式【3】
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凶弾の方程式【3】
エレベーターを降りて中二階のエントランスを横切り、大通りへと下る階段を降りてゆくと、新藤絵里香はブーツで雪を踏み潰しながら、通りに停めてある黒塗りの大型リムジンへと足を進める。後部ドアの前に立っている初老の男は、絵里香を見つけると深々と頭を下げ、リムジンの後部ドアを開いた。
「いつもご苦労様です。長谷川さん。」
絵里香は初老の運転手に声をかけると、そのスーツの肩に積もっている雪を右手で払った。
「絵里香様。どうぞお気遣いなく・・・。」
運転手は恐縮しながら、絵里香に乗車を促す。
「長谷川さん。車の中で待っていればいいのに。」
絵里香が後部座席に身を沈めるのを確認すると、運転手は静かにドアを閉じて、自分も運転席へ乗り込んだ。
「ねえ、長谷川さん。これからは雨や雪の日は、車内で待機してくださいね。お体を壊してしまいますよ。」
「はい・・・絵里香様。お気遣いに感謝いたします。」
スタッドレス・タイヤを装着したリムジンは、雪の積もる市街をゆっくりと走りぬけ、東北自動車道の入り口へと向かう。大枝市から高速を使えば、盛岡市までは約1時間の距離だった。絵里香が右手首の腕時計で時間を確認していると、運転手が静かに話し始めた。
「昨晩、監査官の石田から入手した例のフィルムの件ですが・・・。」
「聞かせてくださいな。」
絵里香は視線を窓の外に向けたまま、運転手の話に応じる。
「はい。実は・・・フィルムを現像したのですが、何も写っていなかったようです。」
「どういうことでしょう?」
「はい。石田監査官が間違って、違うフィルムを持ってきたとは考えにくいので、おそらく石田本人も騙されたのではないでしょうか?」
「偽物を掴まされたということですか?」
「ええ・・・そう考えるのが自然かと思います。あの刑事が石田に嘘をついたのでしょう。」
「遠藤・・とかいう刑事でしたね?」
「はい。遠藤刑事です。」
「その刑事が監査官を欺く理由があるのですか?」
「おそらく遠藤が、あのフィルムを個人的に利用しようとしているのでは・・・?」
「個人的に・・・どういう意味ですか?」
「はい。我々の分析では、警察があのフィルムによって、我々に対して何らかのアクションを起こすとは考えにくい。遠藤刑事が自分の見たことを警察組織に主張しても、おそらく相手にされないということは、遠藤刑事自身が自覚しているのではないでしょうか?従って遠藤刑事の立場からすれば、警察組織が動かない以上、フィルムには何の意味もないことになります。」
「フィルムを有効に活用するために、警察組織ではなく、個人で行動するということですか?」
「そのように考えて、間違いないでしょう。それに、昨晩の一件もあります。昨晩の一件で遠藤刑事が死亡しなかった以上、石田監査官が彼の家に侵入して窃盗を働いたことは、すでに遠藤本人に発覚していると考えるべきです。石田が内通者であるという疑念を持ってしまえば、もう警察組織に頼ることなないでしょう。」
「そうね。多分、今頃遠藤刑事は疑念の渦中で混乱しているのでしょうね。」
「今後の方針に変更はございませんか?」
「ええ。その必要はありません。遠藤刑事はいずれ、近いうちに消滅します。本人が消滅してしまえば、フィルムも無意味です。」
「わかりました。石田監査官はどうしましょうか?」
「現状を維持しなさい。彼はまだまだ利用価値があります。」
「了解しました・・・。絵里香様。一つだけ質問があります。」
「何ですか・・・?」
「昨晩の件ですが、なぜ計画は失敗したのでしょう?」
長谷川は、「あの暗殺者」の弾丸が遠藤刑事を捉えることができなかったことを不審に感じていた。これまでに何人もの人間が「あの暗殺者」のターゲットとなった。そしてそのすべてが命を絶たれているのだ。
「長谷川さん。それは貴方の心配することではありません。違いますか・・・?」
「は・・はい。絵里香様。申し訳ございませんでした。質問は取り消します。」
「あのフィルムを有効に活用しようとする場合、遠藤刑事はどこへ行くか?何をするか?誰に合うか?それらを早急に分析して報告するのが貴方の仕事ですよ。わかりましたね。」
「はい。すべて了解しました。」
「それから、例の件は何か伸展がありましたか?」
「香坂の件・・・ですか?」
「ええ。あの二人の消息は?」
「申し訳ございません。現状は何も変わっておりません。」
「行方がわからないということですか?」
「はい。岩手県内のすべての市町村で調査したのですが(香坂姓)に関しては、老人と子供という取り合わせも該当者は発見できませんまでした。」
「わかりました。スタッフや予算が不足しているようなら、遠慮なく本部に請求しなさい。」
「はい。そうさせていただきます。二人が県外に脱出している可能性も考慮する必要がありますか?」
「そうねえ・・・・。」
絵里香はしばらくの間、無言のままで考えていた。
(他に身寄りのない老人が、まだ幼い孫を引き連れて、いったいどこへ行けるというのか・・・?)
「これから一ヶ月の間に発見できない場合、県外にも捜査の範囲を拡大しましょう。」
「わかりました・・・全力を尽くします。」
長谷川はそう言いながらアクセルを踏み込んだ。リムジンは高速道路の入り口へと続く長いスロープを駆け上ってゆく。
(香坂・・・綾乃)
まだ幼い少女の名前だったが、その名が絵里香の脳裏を過ぎってゆく時、その背筋に微かな鳥肌が立った。
(私が・・・恐れている・・・馬鹿らしい・・・!!)
絵里香は、自分の中に沸き上がろうとする感情を慌てて押し殺した。
(恐れなどではない・・・私があの子を恐れる理由など・・・ありはしない・・・!)
確かにそれは「論理」であり「合理的な判定」だった。しかし、いくら論理を重ねても、自分の内側から込み上げくるような感情のすべてを論理で分析することは出来ないことを、絵里香は十分に理解していた。
それは確かに存在し・・・
それはヒタヒタと静かに自分に接近し・・・
それはやがて脅威となって自分の前に立ちはだかるであろう・・・・。
絵里香の心の奥に湧き上がっている感情とは、そんな「予感」に対する警戒であり、防衛であり、そして怒りであった。
(香坂綾乃・・・・私が必ず踏む潰してあげる・・・・!!)
車窓に広がる銀世界を見つめながら、絵里香は小さくそう呟いた。 |






