【OMEGA】ちょっと休憩&ちょっと反省
|
これは知る人ぞ知る話だが、OMEGAという物語はすでに一度、完結まで書き上げている。ところが、YAHOOの陰謀(w)により、ブログが消滅し、数年間の蓄積が一瞬で消え去るという悲劇的な出来事が起きた。もちろん、このクソ長い小説をはじめとして、多数のエッセイや雑文がこの世から消え去ってしまい、俺は絶望のどん底を味わったのだ。
ブログ自体は友人である「らら」の献身的な協力(笑)により、こうして何とか復活を遂げたのだが、この壮大なドラマを再びゼロから文章化する作業に着手するまで、数ヶ月もの間、迷い続けた。
ドラマは大きく二つに分解できる。もちろん事件の発生が(1)であり、その解決が(2)であるが、この話における「事件の発生」つまり「大前提」は、記述する必要がある部分だけでも約70年以上の時間的な奥行きがあり、それは具体的には、孫、母、娘という親子3代に渡って展開してゆく複雑な人間ドラマと、隔世遺伝という生物学的な現象を含んでいる。
従って(1)から(2)へとスムーズに移行するためには、相当量のエピソードで時間の隙間を埋めゆく必要があり、更にそれらのエピソードを完全に接続してゆく必要があった。バラバラに展開している多数の事象が、ドラマの進行と共に次第に一つの「主題」へと導かれてゆく。エンタメにおいても科学分野においても、そんなスタイルで構築されるドラマが大好きな俺だが、小説(文章)でこれを実現することの難しさを思い知らされている今日、この頃だ。
さて、今回(本日)「第一部・終了」としてが、これに続く第二部の中で、いよいよ俺が本当に書きたい「主題」に触れることになる。原作では「OMEGA」は、一般市民に向かってばら撒かれるウィルス兵器という設定で、人類の危機的状況を描いたのだが、実は今回、この手法は放棄しようと考えている。まあ、似たようなことになると想像はしているが、原作を書いた3年前と比較すると、当時は知らなかった科学的な知識や、当時は思いつかなかった発想が俺の中で沸騰し始めている。
前半で示した論理的な前提を元に、後半はそれに「伝説」と「ファンタジー」の要素が加わるので、前半とは比較にならないほど、ドラマ・スケールが広がるのではと予想しているが、具体的に何が飛び出してくるかは、書いている俺にもわからないのだ。(笑)
「凶弾の方程式」の中で、「東原教授」の名前がいつの間にか「東堂教授」と記してしまった部分かあった。言い訳だが、東堂という名前はOMEGAの原作の原作に登場する科学者の名前だ。この「原作の原作」のタイトルは「あやの」と言う。そう、あのダムで溺れておいた少女の名前だ。まあ、要するに「OMEGA」の主人公は彩乃であり、彩乃とアマテラスの対立軸の中にこそ、俺が知りたい生命の秘密が隠されているのだと、そんな予感がある。
命の形に善も悪もない。悪い命も、よい命もない。従って命を生み出す行為の中に道徳的価値観は不要である。だが、しかし・・・。
俺たちは、大して意味のない道徳観や価値観に束縛され、何が正しいのか、何が悪いのかと、ひたすら物事の善悪を論じ、この無意味な一生を、更に無意味なものとしながら、やがて朽ち果て、消滅する定めなのだ。
「お前は・・・本当に・・・生きているのか!」
そう自分に問いかけながら、俺は明日もきっと、書き続けているのだろう。
注・・・この数週間、連日に渡り様々な登場人物に感情移入し、その主観で文章を書いていたので「俺は〜」と、独断で書き着始め、独断で終われる雑文に飢えていた。
「あ〜・・・すっきりした!!」 |







