アートとその周辺 &青木繁

アートを訪ねる。アートと親しむ。そして青木繁「海の幸」から「わだつみのいろこの宮」へ。

全体表示

[ リスト ]

赤い靴をはいていた女の子

イメージ 1
写真は横浜港の岸壁。大桟橋が目の前に見える横浜の山下公園には、海の方向を向いたきみちゃん「赤い靴はいていた女の子」のブロンズ像が見られる。


「赤い靴」は昔からの童謡、しみじみと切なくなる詩であり曲である。
しかし、港横浜、波止場にふさわしい赤い靴の女の子は異人さんの国へ行っていない、そうだ。


赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える


「赤い靴」
作詞:野口雨情/作曲:本居長世


 この赤い靴の女の子は実在した女の子の話です。名前は「岩崎きみ」、明治35年7月15日生まれ。父親はとてもだらしのない人で、母「岩崎かよ」さんは未婚の母として1人できみちゃんを育てます。その後、かよさんにはかねてからの知り合いである鈴木志郎という男性と再婚。

 きみちゃんが3歳になった頃、当時開拓地として注目を集めていた北海道へ渡り、その開拓へ期待を膨らませ、開拓農場へ入植します。しかしその開拓地での生活の厳しさに、かよさんは泣く泣く、きみちゃんを函館の教会で宣教師をしていたアメリカ人、ヒュイット夫妻に養女として託します。この歌の「異人さん」というのはこのヒュイットさんのことです。

 しかし、きみちゃんが6歳になった頃ヒュイットさんはアメリカへ帰国しなければならなくなってしまいます。もちろんこのことは、かよさんの耳にも入っています。

 かよさんの夫である鈴木志郎さんは、就職先で知り合った「野口雨情」と親交をもつようになります。家族間における世間話の折り、かよさんは「実は自分には今娘がいて、こんな事情でアメリカへ行った。」という話をしたらしい。
 いまアメリカで幸せに生きているきみちゃんと思った野口雨情は、「赤い靴をはいた女の子」というイメージを抱き、この歌が生まれました。かよさんは幸せでいるきみちゃんを喜ぶ反面、養女にしてしまったこと、自分への責めの気持ちをこめてこの歌を噛み締めたといわれています。

 しかし、きみちゃんは異人さんの国へは行ってはいない...正確には行かれなかった。きみちゃんは結核に犯されて、当時としては不治の病。開拓地での過酷な環境も影響していたのでしょう。もちろんヒュイットさんは大切なきみちゃんも連れて行き、病気の療養をさせることを強く望んでいました。ところが、船に乗せてもらえなかった。やむなくヒュイットさんは東京麻布にある教会の孤児院に預け、横浜港から帰国の船に乗った...ということです。

 残されたきみちゃんは結核が進み、孤児院でわずか9歳でこの世を去りました。母親のかよさんはきみちゃんがアメリカで幸せに暮らしていると信じ、この事実は知らされずに生涯を過ごしたそうです。

 「Wikipedia」から抜粋翻案


童謡「赤い靴」の母と子のふるさとは清水市
 生涯再び会うこともなく逝った母と子を、生まれ故郷の清水市に帰してあげたいという市民の声が実を結び、全国から寄せられた寄金をもとに「赤い靴の女の子の母子像」が清水市を見下ろす日本平の山頂に建立されています。

閉じる トラックバック

トラックバック先の記事

  • トラックバック先の記事がありません。


.

人気度

ヘルプ

Yahoo Image

検索 検索

開設日: 2006/7/31(月)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.