ハワイへの旅〜オアフ島〜観光編〜パールハーバー アリゾナメモリアルプレイス♪
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4月11日(水)晴れ
つづいての観光は、あまり日本人が行かない場所、パールハーバー、アリゾナメモリアルプレイス。
パールハーバーと言っても広いので、行く時は、アリゾナメモリアルプレイスを目指しましょう!
20年ぶりに訪れました。20年前は、訪れている人もまばらで、日本人は皆無。
こちらに行くツアーもありませんでしたので、個人で行きました。
やはり、日本人が何でいるの?って感じてヒソヒソささやかれることも。
やはり、20年前、2回目にハワイを訪れた時には、行きませんでしたが、同僚が行くと言ってきかないので、嫌な思いを覚悟するなら行って来ればと伝えたところ、覚悟して行くことになり、ジャップ!と言われたからヤンキーって言い返した!なんて場面もありました。
それもそのはず、真珠湾攻撃、奇襲攻撃の舞台なのですから。
当時、中には、展示物のシュガレットケースを何なのか質問して来る方もいたり、今は、観光地化しており、実に沢山の観光客やツアー客がありました!
しかし、やはり日本人観光客は、ごく少数!まだまだ日本人が気軽に行ける場所ではないようですが、今は、じろじろ見られたり、ヒソヒソささやかれたりと嫌な目に会うことは全くありません。
時の流れでしょうか。
さて、駐車場に車を止めて、入場です。もちろん、どちらも無料。
かなり広い駐車場で、いくつものブロックに分かれています。予約の場所に止めると注意されるので、しっかり見て止めましょう。
ここからゲートに向かいます。
センターにつくとまず手荷物チェックがあります。セキュリティーの関係上、カメラはOKですが、バッグやウエストポーチなどの持ち込みが出来ません。ゲート右奥に有料の荷物預け場所があります。私たちは、車だったので、カメラや財布だけ持って入場しました。
ゲートでは、先着順に記念館へ行くグループチケットをもらえます。
私たちは、なんと4時間後!長いので、中で少し色々見た後、他を観光しに行ってまた戻って来ました。行くなら、朝一番に行くのがおすすめ!
いい時間に戻り、売店で簡単にパンなど買って、昼食をベンチでとり、出発ゲートへ。
戦艦アリゾナ号の真上に浮かぶメモリアルへ行く前にまずセンターにあるシアターで当時の貴重なフィルムを見ます。約20分の上映時間です。
フィルム上映が終わるとハーバーから専用シャトルボートをつかってメモリアルへ行来ます。
シャトルボート
日本が無条件降伏文書に調印したことで有名なミズーリが停泊
USA アリゾナメモリアル
当時沈んだ戦艦アリゾナが真下に見えます。
模型で見るとこんな感じ 入る時に、写真を撮ってはいけません、注意されます。
それで、ボートから撮りました。
戦死者名を刻んだ碑
戦艦アリゾナの残骸
船体から今でも流れ続けている重油
真珠湾は、昔、真珠港と言われていたそうです。
確かに、湾はBay、港はHarborですよね。
アリゾナへ行く前のミュージアムにて、正面の写真は、当時の昭和天皇陛下 真珠湾攻撃は、日本時間1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日は、休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空攻撃および潜航艇による攻撃である。
とありますが、宣戦布告の遅延によるものとの記述もあります。
この文書は、本来なら攻撃開始の30分前にアメリカ政府へ手交する予定であったのだが、駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官(2人ともその後外務事務次官を務めた)らが翻訳およびタイピングの準備に手間取り、結果的にアメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の約1時間後となってしまった。その為に、「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」とのアメリカのプロパガンダに使われることとなった。
なお、1939年9月のドイツとソビエト連邦によるポーランドへの攻撃は、完全に宣戦布告が行なわれなかったにもかかわらず、このように喧伝されることはなかった。
やはり結果、奇襲攻撃になってしまったことから言い訳にしかならないのでしょうか?
ただ、圧倒的に戦力で負けている(軍艦その他)日本が奇跡の勝利を信じて戦争に突入して行ったのだとしたら、あまりにも代償が大きすぎました。
このような戦争の悲劇は、断じて繰り返してはいけない!と思った観光でした。
さあ、みなさんは真珠湾に行きますか、行きませんか?
つづく |





