3月の空気
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22歳の春はそれまでやっていたバンドを解散した頃だった。
メンバーが弟をはじめ高校生で卒業するからだった。
もちろんアマチュアで、やってたのはロックンロール曲。
作曲もしてコンテストに出てはいたが如何せん「駄曲」というべきか一人よがりさ。
コンサートでもお客のことなどお構いなしに延々とソロをしたりで奔放にしていた。
当然のようにこの道でやっていけるとは思っていなかった。
ところが誘いがあったのだ、「叩けたらいい」というだけの話が「タネちゃん」からあった、それも弟も一緒にという。
「タネちゃん」は俺が高校時代のバンドで夏祭りに出た時に司会をした人である。
「霧島のホテルのバンドでギタリストとドラムスが居ない」と言うのである。
「そんなアホな、俺でいいの?」と疑っていたがホントの話だった。
弟は解散を機に上京するというので断ったが、俺は面接に行ったのさ。
広い劇場スタイルの舞台にはバンドボックスがあった、そこのドラムセットのシンバルは「ジルジャン」だという。
当時使っていたセットはハイハットだけが「パイステ」で、憧れのシンバル、1枚3万円が4枚・・・気持ちが大きく動いた。
考えたら当たり前でプロは皆さん使っていたんだ。
「あのぅ譜面が読めないんですが・・・」と言うとバンドマスターが「大丈夫、すぐ読めるよ」と軽い返事。
そう言われても8分音譜がどれかも知らないくらい、ちなみに学校の音楽の成績は辛うじて5段階の「2」。
しかし給料が日給2000円というので「やめます」と言うと「そいじゃ2500円」とあっさり解決。
日給月給というカタチで休みなし、休んだら引かれるというが、寮があって月に500円という安さ。
バンドマンはテナーサックス・アルトサックス・キーボード・ベースマンにドラムの俺で4人のコンボ編成。
「ギターが居ないかな」というバンドマスターに同級生の「木下」君を紹介したらこちらも採用となった。
「木下」君は高校時代のクラスメートで、この年に偶然会ったときにギター雑誌を持っていたのを思い出したのさ。
彼はフォークギターを弾いていたんだが、すぐさまテレキャスターを買った。
そのフォークギターは名器で「S・ヤイリ」、俺のギターアンプと交換したんだけどね。
俺と「木下」君は譜面の勉強から始まった。
ギターに比べるとドラム譜面はやさしいのですぐに覚えたが、奥は深いのである。
初心者はまず「シンコペーション」に引っ掛かる、こりゃ難儀だったね。
ちょっと音合わせをしただけでステージに上がる。
芸能課長、通称「親分」が全体を仕切っていた。
「親分」は破天荒な性格で、言うことには絶対服従で人事も「親分」次第だった。
「そんな音じゃ聞こえん!そばで見とけ」とスティックを取り上げてドラムを叩くのである。
これがハチャメチャに叩きまくるので「こんなんでイイの」と、俺も叩きまくった。
やがて演奏曲目も増えたのでホテルのナイトクラブでも演奏することになった。
こっちの報酬はお客に1曲を1000円で歌わせていたので給料と同じくらいになることもあった。
そうなると俺らは有頂天で「木下」君と連れだって一晩じゅう遊んでいて、その合間にバンドをしている状態だった。
メンバーも似たようなもので、演奏の合間に酒を飲みバンドステージへの階段
を這って上がり、居眠りをしているのがベースの「ヒデちゃん」。
最初のファンファーレにシンバルでメチャ大きな音を出すと「ヒデちゃん」は飛び上がるんだよ。
ここまでが、バンドマンになって4ヶ月の話。
この3月の空気はあの劇場の香りを思い出す。
この後に大問題が起こるのであるがそれはいづれの機会にね。
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