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前段の記事でも述べましたが、本年は日本があらゆる意味で世界の模範となる国家で居続けられるか
が問われる重要な1年になると考えています。そういった危惧が現実化する様々な現象が本年の上半
期に続出するだろう、とおいらが読んでいるのですが・・・しかし、そんな事ばかり言っていても、
座して死を待っているみたいで切なくなって来ます。それでは、本当に日本が僅々にも立ち直る事が
出来ないのか?今回はそういった視点で記事を書いてみたい、と思うのです。
今回は、ほんのちょっとした努力によって未曾有な伸張を見せる事が確実だと言える産業が存在する事
を紹介したいと思います。それはタイトルからもお判りの通り、「日本を売る」という事なのです。日
本を売る・・・何も国土を切り売りするという意味では当然ありません。おいら達日本人が日常生活で
、そしてこれまで歩んで来た歴史の中でおいら達の先人が築き上げて来たものを活用して商売として行
くのです。ところで、皆さんは日本に訪れる外国人の観光客がどのくらいいらっしゃるかをご存知です
か?昨年のデータはまだ完全に発表されていないのですが、2006年はおよそ830万人ほどの外国
人が日本を訪れました。そして、逆に日本から海外旅行に出掛けた人の数はおよそ1700万人、と言
いますから日本、という国は海外からの観光客の倍の人が海外へ行く、という観光小国であるわけなの
です。しかし、実はそれでも2006年の830万人、という外国人観光客は前年よりも二桁以上の成
長を見せていて、2010年までに外国人観光客の数を1000万人に到達させようという、計画当時
は希望的観測だと思われた数値も実現可能なほどに急増しているわけなのです。残念な事に、この世界
同時不況と円高でその進捗率は大幅に減衰しているのですが、それでも早期の日銀の市場介入が生じて
、円が100円代に回復すればまだまだ達成は確実視される数値でもあるのです。ところが、実は外国
人観光客が1000万人を突破したとて、まだまだ日本は観光小国であるわけなのです。世界で最も外
国人観光客が訪れる国家はフランスで、何と8000万人以上の観光客が訪れている(フランスの全人
口よりも遥かに多い)、と言いますから日本が経済的な強さに反比例して、如何に外国人観光客が訪れ
ない国なのかが判って頂けると思うのです。仮に、フランス並みに日本へ外国人観光客が訪れたなら、
と仮定してみると、1人頭7万円を日本旅行で費やすと試算すると・・・実に5兆6000億円が観光
収入として日本の懐に入ってくる計算となるわけなのです。この金額は日本のGDPの1.3%程度、
と言いますからなあんだ、と思われるのかも知れませんが、実際には、その需要によって生み出された
人の雇用や、その雇用確保によって生じる消費や、インフラの金額も当然上乗せされるわけですので、
その効果は絶大だと言えると思います。GDPの1.3%と考えると単純に計算しても160万人程度
の雇用が新規で必要となり、現在日本が背負い込みつつある雇用の不安を解消する大変に有用な処方箋
となるわけなのです。無論、フランスのような国と比べるのはナンセンスだと判っています。しかし・
・・日本を訪れる外国人観光客の中でフランス人の伸びが物凄く高い事を皆さんはご存知でしょうか?
最も伸張率が高いのはやはり中国からの観光客なのですが、何故か米国や英国よりもフランス人の伸張
が多い・・・(米国人の訪日旅行は円高前でも減少気味でした)世界で最も観光地として魅力がある、
と自他とも認めるフランスから、何故に世界の果て(大西洋を真ん中に持ってきた地図の場合)までわ
ざわざやって来てくれるのか・・・おいらはそういった人の心を掴み、もっともっと増やして行く事が
中長期で見た場合、最も日本が優先するべき産業振興政策だと思っているのです。
観光大国フランス(中国も観光大国になりました)から評価される日本。それは、一言で言えば日本そ
のものが魅力なのです。おいら達が何気なく過ごしている日本のあちこち、その全てが突き詰めて行く
と観光の有用なソースなのです。自社仏閣や、自然は言うに及ばず、日本料理、ファッション、文化、
あらゆるものが世界から見れば宝の山なのです。実は、そういった一種の日本信仰はおいら達の自己満
足でも、希望的観測でも無く、日本が世界に門戸を開いた幕末から欧米では1つの常識でもありました
。日本ではほんの1000円ぐらいで気軽に買えた葛飾北斎の絵が世界では天文学的な値段に跳ね上が
り、当時の流行画家の作品の多くが海外流出してしまった経緯、そして浮世絵が及ぼしたゴッホなどの
世界の流行画家への影響。実は、葛飾北斎は「1000年代の1000年間の間で世界で偉大な功績を
残した100人」の中に日本人でただ1人選ばれているわけなのです。おいら達日本人は自己を過剰に
見せる事を性質的に嫌う為に、あまりそういった話を大々的にして語り継ぐような事をしないのですが
、それはやはり勿体無い事なのだと思うのです。世界で人気の高い日本のアニメや漫画においても、こ
こ数年はかなりの作品が海外輸出されていますが、それでも現在進行形で日本で出版されている総数か
らすればほんの僅かであり、翻訳されれば、出版されればそれなりの需要が見込めるにも関わらず、現
在の発行体制はまだまだ攻めていく姿勢に欠けるものだとおいらには感じられます。また、ほんの20
年、30年程前までは考えられなかった現象が世界では起こっているのを皆さんはご存知でしょうか?
例えば、箸を使って食事を取る、というのは中国の文化圏特有のものですが、何時の間にやら、欧米で
も箸を使って日本料理を食べるのは極々当たり前の事になりつつあります。また、靴を脱いで部屋に上
がる、という日本独特の文化を真似て、そして日本への旅行で良かったから、といって畳を家に敷く人
が欧米で(特にフランスで)広まって来ているのです。60年代の欧米での「禅」ブームはすたりまし
たが、おいらはこういった日本発の文化はいずれは世界の主流になる、と確信しているのです。何故そ
う思うのか?と言いますと、小さい頃から箸を使う事は間違い無く手先の器用さを育成させられますし
、部屋に入る時に靴を脱ぐのは衛生的にも脱がないよりも間違い無く清潔であるからなのです。おいら
はかつての「禅」ブームが廃れたのは、目に見える、誰もが実感出来る判り易い効能が体感出来なかっ
たからだと思っています。明らかに理に適っている事なのに、それでも広がりが遅く感じるのは、日本
、という国が世界的に見れば相当に変わった文化である事と同時に、日本が得られつつある「人の理」
にまだ気付いていないからなのだと思うのです。嘘か真かこういった江戸時代の逸話があります。
先進国の米国が後進国の日本を武力で開国、幕府は船員を募って近代的航海術の勉強に米国の船に乗っ
て航海に出ました。海で取れたマグロを皆で食べる事となり、米国人の偉いさんは好物の赤みをステー
キにしてフォークで食べました。下っ端の日本人は箸を使って米国人が残したトロを食べたのです。
米国人(と言いますか欧米人全般)はトロを食べる習慣がありませんでしたし、どのような適当な握り
方をしていても口に運べるフォークを使っている・・・対して日本人は、マグロのあらゆる部分を食べ
てみて実際にトロが一番美味しいと昔から確信していましたし、小さい頃から扱いの難しい箸を当然の
ように使いこなします。米国人の多くは、この光景を見ても背が低く、ちょん髷を結った色黒の未開人
というステレオタイプな先入観を崩せませんでした。しかし、既にこの地点で日本が何時か米国の最大
の強敵になる事を予見していた人もいたのです。逸話ではそれは日本を開国させた張本人のペリー提督
だと言われているのですが、ペリー以外にも日本人の能力を高く買い、そして同時に日本に大いなる可
能性を見出した人が江戸時代から確実に存在していたのです。
ここでいわゆる「日本賛美」の代表的とも言える言葉を2篇ピックアップさせて頂いて取り合えず記事
の結びにしたい、と思います。「Cool Japan」というテーマはおいらの今年のブログの1つ
のテーマにしようと思っていますので、またこの続きは直近に書くと思うのですが、この2篇を読まれ
てもまだおいら達はおいら達の歴史、習慣、文化、国土が持つ無限の可能性に確信し切れないでしょう
か?否、そんな事は決して無い筈だと思う、もっと言えばおいら達が勘違いなのではないか?自分達を
持ち上げ過ぎているのではないか?と感じる事をこのように述べられると、もう少し日本人は日本を売
り込む事に今よりも熱心にならないといけないな、と思うのです。
小泉八雲の言葉
「いったい、日本の国では、どうしてこんなに樹木が美しいのだろう。西洋では、梅が咲いても、桜が
ほころびても、格別なんら目を驚かすこともないのに、それが日本の国だと、まるで美の奇跡になる。
その美しさは、いかほど前にそのことを書物で読んだ人でも、じっさいに目のあたりにそれを見たら、
あっと口がきけなくなるくらい、あやしく美しいのである。この神ながらの国では、樹木は遠い昔から
国土によく培われ人によくいたわり愛されてきたため、ついに樹木にも魂が入り、美しい姿を見せるこ
とで人々に礼をいっているのではないか。」
オリヴィエ・ジェルマントマ(フランス人作家、芸術家)
神道論「ある雨もよいの日、筑波山神社に詣でました。山中で迷い、そのとき、再び神々の力を感じた
のです。霧のなかにひとりさまよい、風と木々の生きた気配にかこまれたとき、直感として胸に閃いた
のです。私共の先祖ゴール人(もっと遡ればケルト人)がキリスト教以前に持っていた信仰は、きっと
、神道に近いものだったに相違あるまい、と。そして、それこそはまさに、神道のなかに普遍的な姿が
感じられる証というべきではありますまいか。この何かが、あなたがた日本人には託されているのです
。日本には、「風と木々の生きた気配」を感ずる文化がかろうじて残っている。しかし、それ以外の国
々では、科学の進歩の過程で、「人間と天の間に有史前の最も遠い昔から結びあわされてきた絆」 が
失われてしまった。いかに、いま、人間が霊性の世界を必要としているのか、そのことは、これを忘却
したがゆえに窒息状態にある我々西欧人が誰よりもよく知っている。」
日本の料理の様式について「見れば、中央に、一匹の焼き魚が、小舟の姿に似せてぴんと反りを打たせ
、周囲に漆器の小鉢が点々と配されています。その一つ一つに、野菜、根菜、山菜のたぐいが盛られ、
まるでブーケのよう。最後に添えられた林檎は、何の変哲もない代物が、ここでは皮を剥ぎ、刻まれて
、花咲ける姿と化しているのです・・・・・。なんだ、つまらない、と皆さんはお考えかもしれません
。これほどの調和も、あなたがたにとっては文字通り日常茶飯事でありましょうから、西洋人にとって
は日常生活の中にかくも素朴にして強力な美を見いだすことが、いかに深い悦びであるか、それをお伝
えできないもどかしさに私は苦しむのです。 これほどの能力を生来身につけていながら、皆さんは、
ただそれを当然のことと見なし、いかにそれが豊饒を約束するものであるかに気がついておられない。
より大きな、心の豊かさを求めるうえに、このように素朴な小径ありというのに、そして日本民族の、
かかる天性をもって、これをさししめすことで、どんなにか皆さんは、二十世紀末の人類を救済しうる
のに、と思わずにはいられません。」
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