たろちゃのブログ

"自分が楽しけりゃいいんです"という自己満ブログ。

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1/14ファンデナゴヤ美術展「ぶんのせんともものもの」

今回、ピンチヒッター的に頼まれたファンデナゴヤ美術展の受付(14日)。貴重な体験だったと思う。
そのときに文谷さんのファンだという高年くらいの御婦人がいらした。文谷さんのファンだと言う。彼女の作品を観ていると見えない絵がどんどん浮かんでくるのだそうだ。ご自身で描かれてはどうかと聞くと、彼女の絵だけで満足できると言っていた。名大での展覧会「ぼくのほそ道」展では、作品を以前観たとき気になって、偶然通りかかったら展覧会をしていたので驚いたという高年の男性がいた。個人的には、彼女の作品は颯爽としたスピード感というのか、かっこよさがあって、若い感覚を感じるので年配の方が惹かれるというのに少しばかり意外だった。けれども歳などは関係ないのだろう。
そしてたしかに、文谷さんの作品は後をひく。描いてるときは何も考えず、わざと気を紛らわしているという。ひたすら永遠と動き続ける彼女の手から、雲のような糸のような、風や水の軌跡のような、図形楽譜の断片のような、均質の太さの線が生まれでていく。大きい画紙の上に散らばる線の洪水は、天空から見下ろす鳥瞰図的な、絵巻物のような雰囲気も持つ。無秩序に広がるようにも見えるが、彼女のリズムで自然とバランスをとっていて、気になった場所に直線を太さを変えて入れていく。
大学部では作曲を専攻していた彼女。その方法は即興的とも言え、音楽と似ているところがあるようにも思う。抽象的な表現である音楽には、必ずしも「意味」が求められるわけではない。ただその音を楽しめばいいのだ。
音楽はその場で演奏するけれど、美術は基本的に出来たものが作品となる。音楽のようにその場で生み出すことをしたい、と彼女は語っていた。
わたしは彼女の作品を生で見たのは3回目だが、どんどん惹き付けられている気がする。その潔い線、何かに例えられそうで例えられない形は、いつの間にかわたしの中でも増殖し始めていた。それは彼女のリズムなのだろうか、自分のものなのか。それは自分の中に彼女の作品が溶け込んでいくかのようだ。

一方、宇田さんの今回の作品は、誰でも感じたことのある、もしくは彼女の日常に対する感覚と共感を見いだせるような空気感が滲み出ているドローイング。ほっとするような、親近感を覚える落書きのようにも見えるが、観ていると彼女の世界に巻き込まれ引き込まれていくのがわかる。
彼女とはこれで会うのが2回目だが、作品に人柄がでているように思う。物腰が軽くやわらかで、でもどこか掴めそうで掴めない雰囲気があるのだ。ギャラリーFINGER FORUMでの個展「透明な実験」では、部屋の四方をビー玉で埋めるというインスタレーションで、それが目に入った瞬間にして空間の輪郭が浮き立つかのような感覚を覚えた。「ギャラリーの空間をたしかめたかった」と言う彼女の制作風景を想像して作品を観てみると、こちらまで一緒になって部屋の縦横、その中に在る空気が立体的に感じ取れるのだった。それは何の変哲もない方法(縁取り)だが、その場に居るとその意味がみえてくる。アートとは難しいけどやはりおもしろい、そんな風に思えた。
人が昨日と自分が同じ人間だと認識するのは、過去の出来事を記憶しているのと同時に、日常やあらゆる物事に対する自分だけの感覚が在るからであろう。それは他人とは異なっているものであり、違いがあるからこそ自分という人間を感じることができる。けれどそのなかでも、他人と共通して重なる事項があるはずだ。だからこそ自分以外のものの事を想像したり、思いやったりする事ができる。彼女の作品を観ていると、なんだか優しい気持を感じるのはそのためだろうか。そしてただ共感するだけではなく、そこには紛れもなく宇田さん独自の汲み取り方で昇華された線やかたちがある。同じであるようで違いでもあるという、それは遠くからみているかのような、想像だけが可能な、もしくはただ存在を「感じる」ことに身を投じたい気持ちになる。彼女のシンプルな行為やかたちによって、いつの間にか宇田ももワールドに迷い込んでしまうかのようだ。

二人のコラボレーションの作品では、宇田さんは、文谷さんの線の中に形を見いだし、人物の顔を描いてしまったり、何か物語の断片のような「感覚」のための詩のような言葉が出てきたりする。宇田さんの軽やかな空気が、文谷さんの作品とあたりまえのように自然と、お互いがお互いを包み込み合っているかのような、優しくも不思議な温度を感じさせてくれた。

ファンデナゴヤ美術展は名古屋市民ギャラリーにて22日まで。

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James blakeライブ10/14

@名古屋クラブクアトロ
あまり大きくないライブハウスだけど人一杯というほどいなかった。
前の方は人が埋まりつつあって、背があまり高くないから側面バーカウンター付近を定位置とした。しかし斜め前のカウンター席に座ってる人が頭をあげるのと前隣の人が自分より背が高いので、その人たちの隙間からたまにちらちら見えるだけだった。あとその場所からだとスピーカーがずれたとこにあった。そう思ったときにはもうステージ前の中には入れる状態じゃなかったので、若干の後悔をした。

前座はCatherine Okadaというフォークシンガー。透明感のある歌声で、UKっぽいメロディ。「ジェイムスはわたしの友達」と片言の日本語を話した。そしてどうやらわたしの後ろ隣に居た日本人の中年のご夫婦と女性が叔父叔母、従姉妹だったよう。隣に居た男の人が演奏の間中ため息ばかりついていた。たしかにジャンルも違うしまあ興味ないのは仕方ないけど・・親戚の方が後ろにいるんですけど。もしかして気がついてないのかな。まあお金払ってきてるんだから、気を使いたくないのは仕方ないのかなー。

その後の20分の待ち時間が異常に長く感じた。始まる前から疲れる・・Catherine Okadaさんの演奏も結構真剣に聴いてしまったし体力精神力が途中でなくなるんじゃ・・・なんていう心配は始まったら消えていた。
ソウルフルでなにかくせのある歌声と"沈黙、リズムもしくはリズムのなさ、じらし、そして緊張感"(byフライヤー)。
なんとなく宇宙人襲来的SF雰囲気?もありで、まあすごい。
21歳にしてこの才能。。きっとすごいと思う
演奏ごとにどんどん引き込まれる。目を閉じると、音の洪水の中に光あるいは水のような、幾千の波が早いスピードで浮き出し、現れてくるような感覚としばしば出合った。そして予想してたより踊れる。体が自然と動く、動かさずにはいられない。それはそんなに激しく踊らずとも心底心地の良いものだった。
アンコールラストの曲は未聴のCMYKからのか新譜からので、かなりノリ乗り。
CMYKEP、CD化しないのかなー。DLはセキュリティーが心配で今控えてるし
新譜は輸入盤がもうすぐでる
Jamesにとって満足のいく演奏だったのかはわからないけど、最後のI love hereという言葉は本心だったんじゃないかと思うくらい、会場の雰囲気も高揚感もすばらしかった。

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関心がもてない。

管内閣不信任案採決がどうたらやっている。
わたしは「関心がない」ので、誰が総理になろうと変わらないと思っている。
「関心がない」から熱心に政治について研究もしてないし、TVでも観ない。でもそれでも他の政治家と管の能力の違いに差があるとは思えないと言いたくなる。歴史上には優れた人たちがいる(といわれている)けれど、でも人によって政治が国が良くなるとか言うならば、なぜしょっちゅうリーダーが変わるのか?

仕組みからしてちゃんと理解してないから表面的にしか文句はいえない。けれど、では、なぜそう「関心がもてない」のか。

管と小沢とか他の政治家、自民と民主なにが違うの?と政治に関心があるという父親に聞いても、政策が違うとしか言わない。その政策とやらは、どこかが良くなっていてもその代わりどこかは悪くなっているわけでしょうバランスを取る為に。
それでその悪い面が出る度に、この政治は良くないとか言って血圧を上げる「関心のある」人たち。
管総理の肩を持つ気はもうとうないけれど、何かあればすぐ辞める人よりは好感がもてる。現にいろんなことやらかしてるから任せられないとかいう人もいるけれど、では誰ならばこの状況をうまくやれるの?
不正な献金どうたらっていうのは有り過ぎて、逆に誰が真にクリーンなわけ?それでいてどの人物に能力があるとかどうやってわかるわけなのか?
そんな不明確なものの中から選んで結果だめな感じでまた選んでって、そんなくじびきみたいなのでいいのですかね?そんなんの度に国民のお金が消費されてていいのですかね?それならば、ちょっとやそっとで結果が出せなくても、ある程度まで同じ人に任せれば無駄なお金を使わないで済むのじゃないのか。と思いたくなってきてしまう。
だから、そんなものは内輪で勝手にやっているとしか感じられない。
そんな国会での議論だとかに耳を傾ける時間など無駄に思う。
と言えば、そんな風に「関心がない」と社会では生きられないだとかほざいてくるのだけど。政治だって音楽や美術と同じ感性だとか、年金問題であるとか自分の立場とか考えずにはいられない、歳を取ってくると世の中の仕組みがわかってきて口を出したくなる(暇だから)。そして「関心がない」人は聞かなければいい。「関心がある」人たちのための問題だからという風にも母は言った。
だったら余計に「関心がある」人たちの間の「ただの趣味」なんじゃないか。
そして政治は音楽等と同じような扱いでもいいものなのか?一部の人間の暇つぶしのために国民のお金を使われていいのか?
つまり、国民がみて関心のある・なしが生じるような事をやっていていいわけかということ。
「関心がない」ということ自体は問題なのだけれど、そうなってしまうような要因が今の政治のやり方にあると思うのだけど



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イメージができること

被災地が日本であっても、そこが自分や家族、大切な知人の居る場所でなければ
それは遠く離れた外国での貧困や自然災害と同じはず、だと思う。
けれど悲しみ嘆く人や助かって涙している人達の様子を映像で見ればこちらまで涙が出てきてしまうし、国内で深刻な被害があったと聞くだけでも気が重くなる。それは偽善だとかいうのではなくて、完全に自然なことだと思う。

物理的に離れていて自分に直接は関係ない事であるという条件は同じなのに、なぜ外国の不幸とは違う感覚がするのだろうか。
「自国民としての意識」という義務的なものもあるだろうけれど、それよりも悲しむ人たちの気持ちが想像しやすいということにあるんじゃないかな。
メディアが頻繁に報道するということもかなり関係あるけれど、自分と同じ境遇の人々がただ一つの災害によって全てを破壊され、大事な人を奪われてしまったということは自分の身の上にも起こり得ることであり、そのショックというのは自然と想像がつくし、せざるを得ないものだから。

それはあたりまえなのだけれどそう考えてみると、世界の人々が苦しんでいるあらゆる問題と向き合おうとするとすれば、イメージ力というのが大事なんだと改めて感じる。外国の問題を改善できないかと考えることが「偽善」であるかどうかという問題も「イメージ」ができれば、それは偽善ではないのではないか。

自分から遠く離れたところで起こっていることは、頭だけでわかったつもりでもわかりにくい。でもテレビでドキュメンタリーを見たり、ある曲が生まれた背景を知って聴いても、悲しんだり共感したりすることはできるはず。それはその映像で事実を直視したり、音楽を「感じる」からだと思う。ただその一時だけ感じて終わり、ということにならないようにすることが必要だけれど。

情報としてだけでとらえているから、自分に関係ないと感じるのではないか。
イメージを喚起するということが、他者を考えるということには重要だと思う。
ただイメージすることだけでは解決にはならないけれど、まずそこから始まるものじゃないのかな。その場で実体験できないのなら、想像する以外ないのだから。

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「The King of Limbs」(MP3) 第一印象

「The King of Limbs」(MP3)

黄金色の銀杏の葉がぱらぱらと舞い落ちて、地面を埋め尽くすみたいに。

In Rainbowsは、あたたかく寄り添ってくれている感じがした。
こっちは寄り添うというより、どこか遠くの彼方から語りかけてくるような感じがする。それは物理的な遠さというよりか、"どこでもない場所"から響いてくるというような。
前作で、ある意味丸くなってしまったという彼らの音楽。
やはり今作もその角が丸くなった故の、くつろげる音楽だと思う。
毎度のことだろうが、それで離れたリスナー・新しいリスナーが生じただろう。
今回もそうだろう、「全く違う」ものだ。
どこでもない場所から、どこか突き放されたというか"間"がある感じ。そういう意味ではどこかKidAと似ているのかもしれない。
そしてIn Limboみたいな、音の波に飲まれて自分もなにもかもわからなくなってしまいそうな、でもそれが心地よいというのか。そういうの
KidAが水っぽいなら、これは光がきらきらしてる感じかもしれない。

1度聴いただけでは、やすやすとは好きだと言えない。でもきっとじわじわと好きになっていく。年月がたっても完全に離れることはない類いのもの。自分にとってはそういう音楽だと思う。

ヴォーカルの力強さに少し驚いた。繊細で哀愁感を感じるというか、奇異にも感じるほどの独特なトムヨークの声。彼にしかできないというか、それが驚くほど様になっているという言葉はおかしいけれど、そういった"味"。
それが今回は少し様子が違う感じがする。なんだかものすごく前向きな感がするというか。浮世離れした感じはあるのだけれど、なんか変えたなという。他のアーティストにフィーチャーされた曲で聴こえる感じに似てるかも。
PVでダンスなんかやってるし、なんか、違う。
あとなんかすごくナチュラル系。鳥のさえずりなんかが入っちゃってるし。緊張とか不穏な感じというのはなくなってないだろうが、なんとなくややピースフルっぽい。There Thereの森の中っぽいイメージがもうちょっとあたたかみのある、明るい感じに変化したというような。けれどもそれが直球の"幸福感"であるというのではなく。
それが善き人なのか予想もつかないけれどどうしても会いにいきたくなってしまうような。(ぱっと思いついたのがこれしか)ナルニアでいう冬の女王みたいな(?)それが悪だということとは全く違うのだけれど、よくわからないが故に惹き付けられるというもの。
そしてなんかこれちょっと映画のサントラっぽい感もしなくはないぞ?

やっぱ、いい。

良いのだけれど、めにみえて角が立ってるというか息がつまるというか頭が重苦しくなるというのとかひりひりするようなものは、もう出してくれないのかなあと、それが恋しくもあるな。


聴いていくうちにまた印象が変わると思われる。


In Limbo - Radiohead

Radiohead - There, There



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