日々折々のこと

地震で被災されました方々に深甚よりお見舞い申し上げます

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爽やかな5月サヨウナラ

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5月もあと数日でお終い
梅雨はもう直ぐそこに

家の中の水槽のエビも活発に餌を食べるようになってきた
家の外では アカバナユウゲショウの花が咲き始めた 昔は見なかった外来種だが これから秋まで花を愉しませてくれる

よそ様ではもう既に沢山の開花が見られる紫露草が我が家にも初めての花が咲いた

母の日には蕾だったカーネーションもこれから次々と花を咲かせてくれるだろう

青磁のような果肉植物のエケベリア・ラウイも蕾が立ち上がってきた サボテン・果肉植物の季節は6月だこれからウチワサボテン、ひもサボテン、まるサボテンの季節になるのだろう

アジサイ 一杯の蕾をつけている 雨に塗れた梅雨空を彩る季節ももう直ぐだ
サヨウナラそよ風と優しい日差しの5月! 

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インドネシア駐在経験者の仲間

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 1996年僕は長年お世話になった総合商社を辞めた 辞める一年前に初めての長編小説「ジャカルタは燃えているか?」を書いた

 1974年1月 田中首相の東南アジア五カ国訪問(フィリピン タイ マレーシア シンガポール インドネシア)の際各国でに起こった反日デモを描いた小説は 日本国内の商社の間で評判になったほか インドネシアに赴任の経験のある人たちからも注目を浴びた

 当時 僕は ジャカルタに赴任していたのだが ジャカルタ暴動(800台以上の日本車の放火・破壊 数万戸の建物への投石・放火 死者11名 逮捕者470名)に遭遇 田中首相一向は 1月14日夕闇迫るハリム国際空港からウィスマ・ネガラ(迎賓館)に車で向った他は インドネシア滞在中は(1974年1月14日〜17日)迎賓館から一歩も出ることあたわず17日の早朝 インドネシア側の用意したヘリコプターで空港に運ばれ慌しく日本に帰国したのだった

 今日 マラリ事件として歴史の1ページを飾ることとなった事件の真相は何だったのだろうか? 
インドネシア内の権力闘争 アメリカCIAの陰謀 インドネシア人民の日本の経済侵出への抗議などいろんな説があるが 真相は今も闇の中である
 
 しかし 当時のインドネシアの日本人は 僕も含めて 彼の地で傲慢であったことだけは認めざるを得ない
このことは決して個々人の問題ではなく 日本という国の1970年代を転機とする東南アジアへの猛烈な侵出と繋がっていたことは確かなことである 当時 海外 特に東南アジアで働いていた日本人は 海外勤務は初めてのことであり お国や会社のために必死で働き その結果 その国の人々の怒りや 苦しみにまで目をやる優しさなどを持っていなかったのであった

 この日 高尾山を歩こうと言うことになった仲間は 僕より赴任時期が後になった人たちである
“醜い日本人”の反省に立った企業人の時代にインドネシアで働いた人たちである
お二人(N 氏とT氏)は 銀行のジャカルタ元主席であり もう一人のK氏は通信社のジャカルタ駐在員だ
お二人の元銀行マンは 同じF銀行の同僚であり Kさんとは赴任時期が同じで元もとの知り合いだ
TさんとKさんを僕に紹介してくれたのがNさんだった

 長々と冒頭 「ジャカルタは燃えているか?」について書いたのは この人たちと僕のこの小説が結び付けてくれたのだった

 昨年の夏 Kさんから手紙を頂いた ・・・深刻な病魔に祟られ 夜は眠れず もうだめかもしれない・・・
僕は慰めの言葉も見当たらず・・・眠れない夜はこれを・・・と下戸のK さんにGlenlivet12yo を送った

 今年の春の初め K氏からの手紙・・・Mさん 奇跡的に病状が回復 今では仕事もしている 一日3万歩歩いている 念願の高尾山へ案内願いたい・・・ この情報はNさん経由Tさんにも伝えられて Kさんの快気祝い登山をしようということになった
Tさんとは数年ぶりの再会だった KさんとTさんは敬虔?なクリスチャンだ
僕は無神論者だが、一度ゆっくり キリスト教の話をお聴きしたいものだ

 高尾山は 年間260万人が訪れる脅威の人気の山だ 僕たちは一号路を採って山頂を目指した
通常の一号路は殆どコンクリート道だが 今回は一号路のわき道を歩くことにした
この日は ウィークデイであったこともあり 特に一号路わき道は登山客も少なく おまけにすばらしい天気に恵まれた

 高尾山頂上は人で溢れていた 僕たちは紅葉平に向かう場所でお昼をすることにし、ここでお祝いのGlenlivet12yoをあけた

 下戸であったはずのKさんが 少しだったがしっかりと“命の水”を飲んでくれたのがうれしかった。

写真上:一号路登り口わき道にあるお地蔵様 
その下:登山道を彩るシャガ
その下:一号路わき道(高尾山病院わき道)を行く仲間
その下:薬王院
その下:Kさんの快気祝い
その下:女坂〜タコ杉の崖に咲いていたシャクナゲ
写真下:高尾山口ケーブルカー駅
 

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人間万事塞翁が馬

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 旭天鵬が今年の大相撲夏場所で優勝した(12勝3敗)場所前には誰も想像し得ないことが実現したのだ
旭天鵬が来日して20年の歳月が流れていた 来日の年(1992年)に旭天鵬はモンゴル大使館へ駆け込み
モンゴルに帰国している よく言われるカルチュラル・ショックなのだろうが 古いしきたりの相撲界の不条理に耐えられなかったのだろう その年 大島親方がモンゴルの旭天鵬を訪れ 再来日となる

 朝青龍や白鵬のような派手さはない地味なお相撲さんではあるが 早稲田大学でHow to master
foreign languageを2000年に講義するようなインテリでもある

 入幕は1998年と遅い入幕であり その後 数度 十両陥落もあり 苦労が絶えなかっただろう
旭天鵬と白鵬の面白いエピソードをひとつ
旭天鵬は 2006年5月場所で雅山を 2010年11月場所で豊ノ島を破っているがこの雅山も豊ノ島もその場所では14勝1敗の成績で両者は白鵬と優勝決定戦を戦い敗れている つまり 白鵬優勝の援護射撃を旭天鵬が結果的にやったことになるのだ(旭天鵬Wikipediaより抜粋) 

 この日の優勝パレードで白鵬は旗手を買ってでて「うれしい!涙が出るよ」と語っている
この場所も白鵬中心の場所と誰もが予想した 中盤(11日)までは稀勢の里の優勝を予想するものが多かったが これにストップを掛けたのが今場所絶不調(10勝5敗)の白鵬だった 結果的には日馬富士を除く大関を撃破し過去の旭天鵬の援護射撃の返礼をしたことになったのだ

 優勝後のインタヴューで流暢な日本語で 旭天鵬は過去の辛かったこと そのたびにファンや関係者の励ましがあったことへの謝辞を滔々と述べた
フレーズが終わるたびに地鳴りのような歓声が客席から沸き起こった おめでとう!旭天鵬!
 
 もし 逃げたモンゴルから帰らなかったら 数度の十両陥落で相撲(幕内)への復帰の意欲をなくしていたら・・・

 めげない気持ちを持ち続ける限り 人生には何が起こるか分からないのだ 

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春は大急ぎで・・・

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先日まで庭を彩っていた スズラン ツツジ等の花が姿を消し 蕾だった草木も 花を咲かせ始めた

セッコクは 友人から昨年頂戴したものだが 今年も雪のような真っ白で清楚な花が現れた

アヤメもここ数日で満開に そんなに急ぐなよ!

セイロン・ベンケイソウ(ハカラメ)の蕾も初めはひとつと思っていたが 奥から更に2つの蕾が・・・

エーデル・ワイスの蕾も大きくなって 数日以内には可憐な花を咲かせるだろう

6月のスコットランドの荒野を黄色で埋め尽くすハリエニシダが 五月の青空を背景に黄金色の花を揺らせている

芝生の天敵のオキザリス(カタバミ)も主の除草の間をかいくぐって花を咲かせる

桧枝岐から種で我が家にやってきた山百合も 今年で3年目を迎えた 花が咲くまでには まだ数年掛かるのだろう 自然の再生には気の遠くなるほどの時間が掛かるようだ

行く春を惜しみつつ All's right with the world すべて世はこともなし

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新宿 春のジャズ祭り

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 今年の4月21日 20数年ぶりに昔の働く仲間の3人娘とお会いしたことはブログで書いた
Mちゃんからその翌日 5月12日 新宿 春のジャズ祭りに出演するので 僕を招待したいとメイルを頂き数日後 招待状が到着した

 僕を驚かせたのは 出演団体が146団体と驚く程の多数であることと入場料が3000円と高価なことだった 11:30開演―20:30終演とあるが とてもそんなに長時間ジャズとお付き合いする体力がないのでMちゃんの出演するゴスペル・スクエア(18:50〜19:30)を鑑賞するためそのプログラムの4つ前のバンジョー・ストンパーズ(16:20〜17:00)から鑑賞することになった

 会場となった新宿文化センターは JR新宿駅東口から徒歩10分のところにある
久しぶりの新宿だったが 本当にこの街の人の多さは昔とちっとも変らない

 146団体が新宿文化センターの1Fから4Fまでの施設で同時並行して演奏をしている
出演者も聴衆もお年寄りが多かったことは 入場料が高かったこともあるが ジャズがお年寄りに気に入られ若い人たちは別のジャンルに惹かれるのかもしれない
出演団体は プロもアマチュァも一緒に演奏していたのだが 演奏者のみんなが音楽を愉しんでいる

 その中で ゴスペル・スクエアは出演者の殆どが若い人(Young at Heartを含む)でピチピチしたリズムに溢れる唄声には本当に感激した 今月26日NHKのETVでゴスペル・スクエアの放映があるそうだ
終了のあとM ちゃんがやってきて「また、ウィスイーを飲んでいたわね」と笑った。

 9時過ぎに家に着くと早速 Mちゃんからメイルでお礼の言葉があった

写真上:新宿春のジャズ祭のポスター
その下:クラリネット・サミット お洒落なオジサマたち
その下:トランペット・サミット ここでもオジサマが主役
その下:夢ブラスバンド 先導するオジサマ以外は出演者は若者 聴衆は中高年ばかり
その下:夢ブラの迫力溢れる演奏とウィスキーに陶然
その下:待ってました!ゴスペル・スクエア Mちゃん どこだ?→酔っている
その下:ゴスペル・スクエアのアドバイザーのシャニータさんの共演
写真下:いたいた!Mちゃんが シャニータさんには何時も元気を貰っているとこの夜のメイルにあった

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