マタギの語源
|
マタギという言葉が、広く知られるようになったのは第二次世界大戦以後のことである。 それ以前は山達とか単に鉄砲撃ちという言葉で呼称されることが多かったようである。 マタギという語源を探ろうとすると、江戸時代の紀行文を残す菅江真澄に行き当たる。 本来なら、直接引用するべきだが、石丸弥平著の『またぎの風土』からの引用にしたい。 表現が優しく、しかも正確だからである。 『菅江真澄随想集』のつゆのくまやまの項で、(中略)萬多義(またぎ)てうことはもと、科剥(またはぎ)にて、麻太(また)は科木(しなのき)の皮をいう。また熊も祁羅(けら)という。白熊を露祁羅(つゆけら)というは古言也。また狗(いぬ)を世多(せた)というは蝦夷語(えぞご)也。 石丸はこの著書の中で、梅原猛、桑原武夫他の参加した「東北文化と日本」というシンポジウムにおいて考古学上、アイヌ民族が東北地方に住んだ遺跡は見あたらないという一致した見解を載せた上で、しかしながらエゾ文化とアイヌ文化が同一言語、同一文化という討論の結語に随うと述べている。 近年のマタギ研究者として新潟県三面の伝承を調査し、更には秋田をはじめとする広範囲な優れた記録を残している田口洋美も著書の中でマタギという言葉は山言葉であり里の言葉では違った言葉、山立、山人という呼称だったろうと記している。 山言葉は忌み言葉であり、約束された殺生の潔斎のために里言葉と明確な区別があったであろうことは容易に想像できる。
菅江真澄の説を採って喩えて言うなら、マタギという言葉の古語をたどれば何らかの理由によって科木を表す言葉を自らの呼称としたのではないかと考えられるのである。 それは恐らくは科木の皮の剥がれ方が動物の皮を剥ぐことと類似していることからの関連ではなかっただろうか。 一説には科木を織物にして衣服をつくるところから名付けられたのではないかとも言う。 他にも山達という古語から「やまたち」→「またち」→「またぎ」と変化をしたというものもあるが、如何にもありそうな説なので、後付けであろう。 ともあれ、マタギとは、主に東北地方の山間部に住み古くから伝えられてきた作法や猟法を重んじてきた狩猟者の群れ、あるいは個人を指すという田口洋美の見解にすべてが集約されるだろう。
|
