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「日本は支那事変でドンパチやってるのに、なんで後ろの正面の真珠湾にまで行って、わざわざアメリカとドンパチを始めたんだろう?」
親や祖父母の世代が、そんなにも愚かとも思えなかった。
これは、長年の私の疑問だった。教科書にも、ちょっとした本にも、その答えは書いてなかった。

 ルーズベルトは「日本の真珠湾攻撃」に先立つこと5ヶ月の昭和16(1941)年7月23日に,対日戦を決定する「日本爆撃計画」に許可の署名をした。2日後に在米の日本資産を凍結。8月1日にアメリカ,対日石油輸出禁止。その年の10月16日に第三次近衛内閣は総辞職。18日に東條内閣の成立。東條英機は日米開戦を回避する努力を続けたが,もはやどうにもならなくなっていた。東條らをA級戦犯とする東京裁判は茶番だ。東京裁判を是認する「東京裁判史観」はまやかしである。
 ところで,コーヒーさんが引用した1991年11月24日の読売新聞記事の
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/18552735.html
元となった米ABCテレビの動画を見つけたのでご紹介したい。
引用元:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5562/column/column088.html
なお,一部を編集した。

キャスター(この若造キャスターの
「信じられん!俺たちゃ『真珠湾攻撃の卑怯なだまし討ち』に対して立ち上がったんじゃないのか?そう聞かされてきたぞ・・」
という表情が面白い)
ルーズベルト大統領は,日本を挑発していたのか?
元・フライングタイガースのエド・レクター氏
確信をもって「そうだ」と言える。
「正義はアメリカにあったのだ」
と,心のどこかで願う若いキャスター。いきおい,当事者のスキップ・アデアー爺さんに何度もくどく念を押す・・・。爺さんはそれに耐えかねて,
「あまり言いたかないが・・・,今さら言いつくろったところで,もう済んだことだ。それに・・・,もうワシャ疲れたわい。」
といった本音まじりに,ボロッと真相を白状する場面もリアルだ。
 1991年12月6日の米ABCテレビ「20/20」ではイェール大・米国外交史専門のスミス教授が「本物の政府計画だ」とコメントしている。オリジナルの映像14分が2分割で見られるので、ご紹介しておく。出典は日本語ふきかえのNHK番組である。

(前半)http://www.youtube.com/watch?v=C1cX_Fr3qyQ
(後半)http://www.youtube.com/watch?v=2Uf_3E4pn3U

 動画の出典は,NHKのBSー1ですね。NHKも,単純な「東京裁判史観」ではマズイと知っているはずですが・・・?

ところで,「中国大陸からの日本爆撃」は,技術的にはすでに可能でした。Bruxellesさんによれば,ルーズベルトは「ルーズベルト秘録(上)」P.264で「アリューシャン列島から日本本土を空爆すべきだ」と1933年3月14日に言っているそうです。この10日前に、大統領就任。昭和12(1937)年の第二次上海事変の時に,日本海軍は「渡洋爆撃」を行っています。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E6%B4%8B%E7%88%86%E6%92%83

 さて,この動画に出て来るロークリン・カリー大統領補佐官については,文末に履歴をまとめておきました。今では故人ですから,貴重な証言ということになります。

 時系列に事実を箇条書きにしておこう。

1933年3月14日 ルーズベルト大統領 戦争になった場合は「アリューシャン列島から日本本土を空爆すべきだ」(「ルーズベルト秘録(上)」P.264より)。
1934年2月17日  中国広東空軍司令部と米航空機器公司との間で、米国の援助による空軍3年計画契約交渉が行われていることが明らかになる。
1934年2月20日  米国の借款により、米軍用機購入と米海軍予備将校の指導を条件として、福州およびアモイに飛行場を建設。
昭和 9(1934)年 というと,米国がはっきりと国民党に肩入れし出した頃です。
1934年11月29日 モーリス・モー・バーグ(Morris "Moe" Berg)は、日米野球のためメジャーリーグ選抜として来日した際、11月29日に大宮球場で開催された試合を欠場して、東京・明石町の聖路加国際病院の屋上から東京市街一円を16ミリカメラで撮影し、この時に撮影された映像は8年後の1942年に行なわれたドーリットル空襲で爆撃ポイントの選定に利用された。
Bergが東京で撮影した時は、まだOSSの正式メンバーではなかったようです。1942年にメンバーになって、そのときに8年前の東京でのFilmを提出、それが即Doolittleの東京空爆に役立った。今日記事に追加しておきました。大物スパイでした、この野球選手は(Bruxelles氏 私信)。
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-104.html
http://satotarokarinona.blog110.fc2.com/blog-entry-756.html
モー・バーグが撮影した映像は、ネット上で公開されていたが、現在は削除されている。
1936年8月10日  ルーズベルト大統領はこの段階で対日戦争を意識し、日系人隔離を自ら構想していた。
開戦5年前に日系人収容を検討=F・ルーズベルト大統領覚書
2008年12月3日2時32分配信 時事通信
【ワシントン2日時事】
1941年(昭和16年)12月8日(米時間7日)の日米開戦に先立つ5年前の36年(昭和11年)、フランクリン・D・ルーズベルト米大統領が対日有事を想定し、ハワイの日系人を強制収容所に収監する計画を検討していたことが2日までに、ニューヨーク州ハイドパークの同大統領図書館に保管されていた極秘の覚書から分かった。
日系人強制収容は、日本海軍機動部隊によるハワイ・オアフ島パールハーバー(真珠湾)奇襲攻撃に衝撃を受けたルーズベルト政権が「戦争ヒステリー」という異常な心理状態で、軍主導で急きょ実施したとするのが通説だが、同大統領は極めて早い段階で対日戦争を意識し、日系人隔離を自ら構想していたことが判明した。覚書は海軍作戦部長にあてられたもので、1936年8月10日付。関西学院大学非常勤講師の藤岡由佳氏(日米政治外交史)が入手した。同氏によれば、覚書は80年代に米国研究者によって発見されていたが、これまで日本の研究者には知られていなかった。
この中で、ルーズベルト大統領はハワイにおける日本側の秘密情報活動への危機感を背景に、「わたしに明確な考えが浮かんだ。日本船舶・乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して強制収容所に最初に送り込む特別リストに氏名を記載しておくべきだ」と提案している。
藤岡氏は「日系人収容は大統領自身が主導した可能性が出てきた」と話している。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081202-00000222-jij-int
魚拓
ttp://s02.megalodon.jp/2008-1203-1658-20/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081202-00000222-jij-int
関連スレ
【アメリカ】 開戦5年前に日系人収容を検討=F・ルーズベルト大統領覚書 [12/02]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1228339885/

1937年春〜夏頃  アメリカ人(旅行家・ジャーナリスト)フランシス・ラインが訪日。東京市中を映画に撮影してまわる。(7:20〜9:22)
https://www.youtube.com/watch?v=DCbYsFcMDcc#t=546
この動画の中のフランシス・ラインというアメリカ人旅行家の顔がぼやけているのですが、なぜでしょう?NHKが故意にそうしたとも考えられるのですが、だとすると何か都合の悪いことでもあるのでしょうか?
7:58でラインの脇にいる二人の男ははたして日本人でしょうか。
この旅行家の手記に書いてあることが本当ならば、この人物こそがスパイとして送り込まれ、東京のどこをどのように空襲すれば効果的か探っていたのではないのでしょうか?
確か、日米開戦の5か月前、ルーズベルトは支那大陸から日本の都市を空爆する計画にサインしましたね。その数ヶ月前、または1年以上も前にさまざまな調査が行われたことでしょう。

ラインのフィルム(サクラの花、人々の服装、「中国との戦争」)から、撮影されたのは4月〜8月頃だろう。
7:24〜「その頃、厳しい検閲の目をかいくぐって、日本本土の様子を撮影・・・。」
8:29〜「ラインは、当局の監視を振り切って、路地裏をフィルムに収めました・・・。」
「皆様の」NHKのナレーションには、戦前の日本政府に対する「敵意」が感じられる。日本共産党の視点だろう。ラインはスパイである。当局の見立ては正しかった。しかし、軍で訓練されたプロのスパイではあるまい。渡日に際して、アメリカ政府か米軍から「依頼」という形で密命を受けたのだろう。プロではないから、「空襲が予期される人々の運命を案じた」のである。モーリス・モー・バーグの映像は遠景だった。近接した映像で、木造家屋の材質と構造、密集度合いを知りたかったのだろう。アメリカは、「木造家屋がどこに、どの程度密集しているか?人口密度はどのくらいか?」などを調査したのである。「風の強い日に、大量の爆弾を投下されれば・・」とは、爆撃の専門家から説明を受けていたということだ。
アメリカは、この頃から、ハーグ陸戦協定違反の「日本の民間人大量殺戮をねらった」無差別爆撃を計画していた。
ラインは、二重底のトランクかなにかで出国審査をかいくぐり、フィルムをアメリカへ持ち帰った。
その成果が、1945年3月の東京の下町の民間人をねらった「東京大空襲」なのである。

1937年7月    米陸軍航空隊シェンノート(動画ではシュノルト)大尉が退役して中国(国民党軍)空軍を指揮。
  同年8月    第二次上海事変で,台湾・九州・済州島基地より,日本海軍の 爆撃機が中国大陸を「渡洋爆撃」。
  同年12月    南京陥落
1938年5月    重慶から米国製マーチン製139型爆撃機(B-10 (航空機)の輸出型)2機で漢口と寧波を中継して九州(熊本県人吉の山中)に宣伝ビラを撒き各々玉山と南昌を経由して漢口に帰還(入力者思うに・恐らく,搭乗員は米・軍人)。

1940年11月    蒋介石がアメリカ財務長官のヘンリー・モーゲンソーに送った覚書に「500機の戦闘機と米軍パイロットを派遣してもらえば、広東と漢口を取り戻し、日本本土さえも爆撃出来る」と書いてあったのが始まり。
  実は蒋介石は、日本との停戦交渉を行っていた。重要拠点を日本軍に占領され、連日の重慶爆撃を受けて、継戦能力に自信を失っていたからである。支那派遣軍の板垣総参謀長と蒋介石が8月に長沙で和平協議を行うことが7月に決まった。
 ところが、それまで隠れていた中国共産党軍が8月に大規模な攻撃(支那では百団会戦という)を日本軍に加え、交渉をブチこわしたのである。
 次に、松岡外相の日本政府が事態収拾に乗り出した。
   11月中旬、国民政府の回答(和平交渉の開始の条件)が到着した。
   11月24日 日本政府は、国民政府に「交渉条件」を受諾するむね通告したが、回答はなかった。
 後に、蒋介石は停戦交渉を中止したことが分かった。

   11月30日 ルーズベルトは蒋介石に、1億ドルの資金援助と50機の新型戦闘機を送ると約束したからである。(ルーズベルトは、実現しそうな「日本爆撃」に心を動かしたのであろうか?
 私は、この決定が日米戦争の起点と考えている。)

   12月19日  蒋介石の提案はホワイトハウスの愉快な仲間たちの前で発表されたけど、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルと海軍作戦部長、ハロルド・スタークの反対により却下。
1940年12月21日  モーゲンソー財務長官、シェンノート(シュノールト)らが米軍人による日本爆撃を立案。「(実験結果から推定して)木と紙でできている日本家屋には焼夷弾が効果的」と意見一致。

1941年1月27日  日本軍の真珠湾攻撃計画を、駐日大使グルーが国務省のハル長官に報告した。
        これは、日本の真珠湾攻撃の約10ヶ月前のことである。
その内容は、「米大使館員が入手した情報によると日米関係が難しくなった場合、日本軍が総力をあげて真珠湾を攻撃する計画があるという。驚くべきことであるが、東京の日本人を含む複数の外交筋からの情報なので急ぎ報告する」というものである(米国ウィスコンシン大学の国務省外交文書図書館で公開された、戦前の駐日大使グルーの国務省あての公電)。

1941年3月  アメリカは対日経済戦に着手した〔エドワード・ミラー(2010)「日本経済を殲滅せよ」、p.183-184.)〕。輸出管理局は「日本の経済的脆弱性(品目名)」を調査し、中立国から原材料を先回りして買い占め、日本が手を出せなくした場合、日本の損害がどの程度になるか数値化した。官僚らは「禁輸を使って対日経済戦を仕掛けろ」と提言していた。
これが、ABCD包囲網の原形''である。
ルーズベルトは金融専門家を動員して「支那事変で日本はいつ破産するか?」を探っていた(エドワード・ミラー(2010)「日本経済を殲滅せよ」)。
米・財務省によれば、1938年10月まで、
FRBによれば、1939年7月まで、
米・国務省によれば、1939年9月まで、
FRBの再試算によれば、1940年4月まで、
米・陸軍情報部によれば、1941年1月まで、
米・国務省の再試算によれば、1941年6月まで、
駐日大使館によれば、1941年11月まで、
だった。これらは、外れることになる。

1941年5月   統合参謀本部(JB)が対日奇襲作戦「JB355」を策定。
    6月上旬  米人パイロットら三百人がサン・フランシスコを出港。
1941年7月22日 カリーはシェンノートに以下の秘密電報を送る。
「今日、大統領が66機の爆撃機を中国へ送るように指示した。うち、24機はすぐ送る。 (作戦には)米国人パイロットが搭乗する。」(ABCテレビ「20/20」より)。
1941年7月23日  ルーズベルト大統領が対日奇襲作戦「JB355」にゴーサイン。
  7月25日 アメリカが在米日本資産を凍結。
  7月26日 イギリスも在英日本資産を凍結。
  7月27日 蘭印政権は28日蘭印よりの日本、満州、中国、仏印への輸出、日本からの輸入に対し全面的許可制を布くとともに、在留邦人の資産を凍結する布告を発する。これでABCD包囲網完成!
蒋介石の国民党軍中国人パイロットは、技量が劣ることがはっきりしていた。中国人パイロットの訓練に時間をかける余裕はなく、フライング・タイガースに対する5000万ドルの資金と武器・弾薬・人員について、 「ルーズベルト政権主導の援助プロジェクト」が発動していた(ABCテレビ「20/20」より)。
これで日本の在外ドル資産は使えなくなり、輸入の代金を支払えなくなった。手持ちの金(きん)を売却してドルを得る方法も封じられた。軍需物資だけでなく、民需物資も輸入できなくなった。
〔ディーン・アチソンは1941年11月23日、国務長官ハルに
「金融締めつけは禁輸よりもはるかに日本に壊滅的な打撃を与えた」
と、自慢げに報告した(ミラー.2010.「日本経済を殲滅せよ」)〕
  7月28日  日本軍、南部仏印進駐。
  8月1日  アメリカが対日石油輸出を全面的に禁止。
          このように日本への包囲網が出来上がって行きます
私(ヘンリー・S・ストークス)にはネーサン・クラークという伯父がいた。
伯父は、1941年の初頭からインドに展開していたイギリス軍部隊に所属していた。鋭い観察力を有する人物だったが、その伯父から聞いた話がある。

 1941年中頃のある日、伯父はイギリスの統治下にあったビルマ(現・ミャンマー)のラングーン空港に降り立った。そこで膨大な数のアメリカ軍の爆撃機が展開しているのを目の当たりにし、我が目を疑った。伯父は大尉だったが、目の前に展開している大規模な軍備増強の目的が戦争以外の何物をも意味しないことをたちどころに悟った。アメリカは対日戦争の準備を着々と始めていたのである。真珠湾攻撃のおよそ6カ月前のことだった。伯父は言葉を続けた。
「アメリカ政府が、とりわけルーズベルト大統領はアメリカ市民を欺いていた。」と、
伯父の声にはとても強い怒りが込められていた。
その時まだ20代半ばだった私には、なぜ、伯父がそれほど怒りに駆られていたのかわからなかった。

 しかしその後、私は、日本在住50余年という長い年月を経て、様々な歴史的事実を知るにつれ、
実は伯父がタブーともいえる"秘話〃を語ってくれていたのだということを理解したのである。
伯父がラングーン飛行場で膨大な数の米軍爆撃機を目撃した6カ月後の1941年12月8日未明、日本海軍は、ハワイ・オアフ島で米海軍太平洋艦隊に対し、航空機と潜航艇による攻撃を敢行した。真珠湾攻撃である。
 アメリカはそれに対し、「卑怯極まりない日本は、極秘裏に大艦隊をハワイに進攻させ、宣戦布告することもなく、休日(日曜日)を楽しんでいた罪もない人々に奇襲攻撃をしかけた」と、自国民の対日感情を煽った。アメリカの世論は一気に日米開戦へと傾いた。それまで開戦に消極的だったアメリカ国民たちが一斉に戦争へと向かっていったのだ。
 しかし、伯父が目撃していたことからも明らかなように、アメリカは、それ以前から着々と対日戦争の準備を進めていた。つまり、アメリカにとっての「太平洋戦争」は日本が始めたものではなかった。アメリカがしたくて仕掛けた戦争だったのだ。
私がこの話をするのは、大東亜戦争がいつ起こり、いかなる方途へと世界を導いたかを見直してほしいからだ。私は、日本人は歴史の真実をもっと知るべきだと思っている
〔ヘンリー・S・ストークス(2015)「外人特派員重鎮が反日中韓の詐偽を暴いた」(悟空出版)〕。
                         私のコメント
 ヘンリー・S・ストークス氏の伯父がラングーン空港で目撃したのは、JB355作戦の一部だろう。カリーの秘密電報によれば、1941年7月末以降のことではないか?ストークス氏は、「日本人は、歴史の真実を知らない」と言っている。戦後日本の指導層は「アメリカの代官」で、「日本悪玉論」で国民を飼い慣らしてきた。これが、日本の戦後指導層の「身過ぎ世過ぎ(世渡り)」だったのである。
  8月下旬 シンガポールに米人パイロット等三百人が集結。
  計画では9月下旬に奇襲爆撃決行を予定。しかし対独戦で苦戦するイギリスに爆撃機の貸与を求められて欧州戦線に回し,爆撃機の中国到着がズルズルと遅れた。
  12月7日 日本側の真珠湾奇襲攻撃決行。

 「20/20」のスクープでは、戦闘機の護衛がなくて目的が果たせるかと疑問が出されていたが、後に出版された『ルーズベルト秘録』(産経新聞社、2000年12月)では、カーチス戦闘機350機がロッキード・ハドソン長距離爆撃機150機を護衛する計画だったと新しい情報を記している。

アメリカ政府がこんなに堂々と対日奇襲作戦を計画し、実行に移していたというだけでも知らない人は驚くだろう。
しかし、これだけは付け加えておきたい。同じ奇襲作戦といっても、日本側は真珠湾の「海軍力」のみが攻撃目標であり、しかも直前に宣戦布告をする計画だった。
これに対して米側の計画は、初めから民間日本人の家屋を焼き払い、しかもそれを中国軍(国民党軍)の攻撃に偽装しようというものだった。
どちらが「sneak attack」(卑怯なだまし討ち)と断罪されるべきか、答えは明らかであろう。(06/11/27)(追補15/10/28)

ロッキード・ハドソン爆撃機

イメージ 1
     カーチスP-40戦闘機

ロークリン・カリー(ルーズベルト大統領)補佐官の履歴
 この空爆計画の推進者だったロークリン・カリー大統領補佐官(当時)は、実はソ連と極秘情報のやりとりをしていた ことが、当時の米暗号解読機関によって確認されていた。
 この文書はVENONA資料と呼ばれ、1940年代後半、ニュー ヨークとワシントンにあるソ連代表部とモスクワ間の交信記録を 米特殊機関(戦後の国家安全保障局=NSA)が暗号解読したものだ。

 カリー補佐官はカナダ生まれの経済学者で、39年から45年まで大統領補佐官(経済担当)をつとめた。41年初頭には対日戦略を調整するため米国の中国支援担当特使に任命され、ルーズベルト大統領と中国国民党の蒋介石主席(当時)の橋渡し役をしていた。48年にソ連スパイだったことを告白した政府職員、エリザベ ス・ベントレーによる「カリー氏もスパイだ」という訴えをきっかけに、カリーは米下院・非アメリカ委員会の追及を受けた。しかし最後まで容疑を否定し、50年に米国市民権を放棄し、南米コロンビアに移住、93年に死亡している。
  
 ソ連がスパイを送り込んで、日本と蒋介石軍との戦いをアメリカに支援させていた動機は容易に理解できる。両者が戦えば、毛沢東軍が漁夫の利を占めることになり、中国共産革命が近づく。
 さらに日米戦争ともなれば、ソ連にとっても日本からの軍事的脅威はなくなり、ドイツと日本から挟撃されるという最悪の事態を避けられる。まさに一石二鳥の見事な謀略なのである。


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「ルーズベルトの戦争責任」とフライングタイガース
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1166018175/101-200

2010/5/11(火) 午後 11:28 tatsuya11147 返信する

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同内容の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/qbggk095/1595686.html

2010/7/2(金) 午前 3:11 tatsuya11147 返信する

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歴史・外交史の裏側には、教科書で示されている公式?な表現とは、異なる真の事実が有りますね。

2010/12/23(木) 午前 8:27 [ 井頭山人 ] 返信する

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そうです。
「公的な表現」とは、一つの史観です。
「史観」とは、
特定の政治勢力が「自己を正当化する宣伝材料」です。
そうしたものから漏れた事実に着目すべきでしょう。
ちなみに、韓国は「自国の尊厳に都合の悪い事実」は、意図的に無視しています。

2010/12/23(木) 午後 7:26 tatsuya11147 返信する

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今晩は、
歴史は覇権をめぐって起こる戦いの連続です。二次大戦は先進帝国である英米と、おくれて来た日独の覇権をめぐって行われた。今の時点では英米は凋落の傾向にある。石油が欲しい為に先ず中東を支配したい英米は失敗したかの観が深い。ロシアも復活の観があり、英米は今中国に仕掛けようとしているが、さて上手く行くか?疑問です。日本はどう動かなければ成らないか?なんせ老人大国ですからね。

2010/12/24(金) 午後 9:10 [ 井頭山人 ] 返信する

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時代錯誤 さん、ようこそ。
1)憲法九条の破棄(含む・非核三原則)。
2)核装備。
3)諜報機関の確立(含む・スパイ防止法制定)。
4)日米安保の維持。
5)中韓には距離を置く(反日教育には文句を言え。むやみに人を入れるな。)。
6)モンゴル・中央アジア・インド・ベトナム・台湾と連携する。
7)中ロの離間を国策とする。
8)経済圏は、インド・東南アジア・アメリカに基礎を置く。

自国の手足を縛るような現状から早く脱却し、普通の国になる。
国防は基本的に自前を基準とする。
諜報機関は、戦争回避のため。
政策と政権の安定のために、大統領制を考慮する。
これで20年も行儀よくしてれば、自然と世界から頼られるようになる。そのうちに、石油を基礎とするエネルギー事情も変わる。
基本は、
政策の選択肢を多様に保つこと。
社会構造の激変を避けること。

まあ、こんなところですかねえ・・。

2010/12/25(土) 午前 1:57 tatsuya11147 返信する

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GHQによって発禁されたフーバー元大統領の回顧録にも「ルーズベルトは狂人だ」とあるそうです。対独戦にしたいために、無理やり日本と開戦したと。戦争は避けられた、ということです。

ここで気をつけなければならないのは「アメリカは、やろうと思ったら、無理やりでも開戦する」ことですよ。最近の戦争も、みなそうですよ。だから、絶対に米国には気をつけるべきです。やつらは恐ろしい、と私は心底思っておりますよ。

2011/12/13(火) 午後 6:43 single40 返信する

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そうですよ。
9.11は「真珠湾」ほどのインパクトがあったので、米国民をイラク戦争に駆り立てました。んで、「大量破壊兵器はなかった」ですもんねえ。カダフィも始末されましたね。石油とドル防衛のためらしい。アメノウズメという人が、一連の動画を作っています。
市丸少将の「ルーズベルトに与ふる書」に
卿等何スレゾ斯クノ如ク貪欲ニシテ且ツ狭量ナル。
とありますな。
アメリカは恐ろしい国です。

10月は貧乏暇無しだったのですが、
「TPP」でアメリカならやりかねないと、
ドタバタ記事書きしてました。

今回「真珠湾70周年記念」で記事も多く、コメント欄などからいろいろ情報を仕込みました。

そのうち、ぼつぼつ記事にしようと思います。

2011/12/13(火) 午後 8:29 tatsuya11147 返信する

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ウィキより
アメリカの景気

これらの政策によって1930年代中ごろには経済に回復の兆しが現れたが、いち早く均衡財政へ回帰しようとする動きから、政策後退が起きたために1930年代後半には危機的な状況へ陥り、NIRAやAAAといった政策のいくつかが最高裁で「公正競争を阻害する」とする違憲判決を出された[3]。法政大学経済学部教授の飯田隆は『図説 西洋経済史』で、「ニューディール政策は計画的なアメリカ経済の立て直しの方策ではなかった」と主張。後年には「場当たり的で一貫性に欠けていて、行うべきではなかった」と経済学者に酷評されていたことを紹介している。

2012/1/10(火) 午前 6:53 tatsuya11147 返信する

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一連の政策をもってしても失業者は急激に減少せず失業率は高いままで推移し、雇用も実質GNPも目立った変化は見られなかったとしている。

以後、本格的な景気の回復は第二次世界大戦による軍需の増加を待たねばならなかった。実際、1941年の第二次世界大戦参戦以降は軍需の増大によってアメリカ経済は完全に恐慌以前の水準に回復した。このため、ニューディール政策が成功したのかどうかについては賛否が分かれている。

近年では太平洋戦争が無くても成功したのではないかという意見と、最初から太平洋戦争の開戦が無ければ成功しえない政策であったという意見が対立し、議論の対象になっている。

2012/1/10(火) 午前 6:53 tatsuya11147 返信する

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>実際、1941年の第二次世界大戦参戦以降は軍需の増大によってアメリカ経済は完全に恐慌以前の水準に回復した。

2012/1/10(火) 午前 6:55 tatsuya11147 返信する

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記事中の「事実の箇条書き」追加事項

1941年7月22日
カリーはシュノールトに以下の秘密電報を送る。
「今日、大統領が66機の爆撃機を中国へ送るように指示した。うち、24機はすぐ送る。(作戦には)米国人パイロットが搭乗する。」。

蒋介石の国民党軍中国人パイロットは、技量が劣ることがはっきりしていた。中国人パイロットの訓練に時間をかける余裕はなく、フライング・タイガースに対する5000万ドルの資金と武器・弾薬・人員について、
「ルーズベルト政権主導の援助プロジェクト」が発動していた(ABCテレビ「20/20」より)。

翌日、ルーズベルト大統領は「JB355計画」を承認。

2012/1/12(木) 午後 8:47 tatsuya11147 返信する

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2つ上の経済について、こういう文がある。

>大恐慌に陥ったフーバー政権の次のルーズベルト大統領 は、
国債を増発し、財政出動を拡大して、アメリカ人たちへ、所得付きの仕事らを回しまくった ので、一応の景気回復を実現し得たものの、
1937年に、財政再建派の無学の圧力に負けて、
政府支出を減らし : すなわち、
政府が、政府の借金を返し 始めた せいで、
米国の景気を二番底へ叩き落としてしまった為に、

2012/1/13(金) 午前 2:41 tatsuya11147 返信する

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日本との 戦争を 始めて から、
ようやく、戦争用品らの生産と 供給との各現場などへ、出来る限りの働き手らを当てがって、
仕事上の所得らを 獲得させしめ、
アメリカ国民らの憎むべき相手を、経済無策だった米国の支配層ではなく、 日本 へとすり替えると共に、
本格的な景気の回復をも果たす、という、
離れ業をやらざるを得なく成ったのです。

アメリカ国民一般に恨まれて当然の 経済失策を後押しした、米国の支配層の者らには、戦争用品を造る、事業や、 それへの投資を行う機会ら等を与えて、儲けさせ、資本らを吐き出させて、
彼らに吐き出させたものら で、
一般アメリカ国民らが 食って行ける 様に 段取り し得る 状況 を もたらしたのが、

アメリカ にとっては、
日本 との 戦争 だった のです。

2012/1/13(金) 午前 2:45 tatsuya11147 返信する

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私のコメント
この内容はここにのっている。
http://blogs.yahoo.co.jp/bergflat/29646140.html
どこかの論評らしいが、出典は不明。
当時の共和党・歴史学界の大物チャールズ・ビアードの著作・ヘレン・ミアーズなど
ルーズベルトに批判的で陰謀の臭いを嗅ぎつける意見があるにも関わらず、
ルーズベルトは今でもアメリカで評判はよい。
それは、不況を脱したからである。

しかし、その裏に
1)指導層の経済政策の失敗
を隠しているなら、隠蔽する勢力があったと考えられる。
彼らは、自らの責任回避の他に
2)米軍兵士の戦病死などの被害への責任
3)日本人への人種差別や日本国の損害への責任

も隠蔽する必要があるからだ。
このあたりを証明する公文書などは、
あと30年ぐらいしないと機密解除しないのではあるまいか?

2012/1/13(金) 午前 3:14 tatsuya11147 返信する

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昭和 15(1940)年
11月30日 ルーズベルト大統領は、蒋介石に1億ドルの資金援助と50機の新式戦闘機を送ることを約束。1億ドルのうち2500万ドルは、中国の航空計画及び地上兵器部品の購入のために使用された。

このルーズベルトの決定が、
蒋介石と日本政府の停戦交渉をツブシたのである。

そして、日米戦争の導火線になったのである。
以下に、北村・林(2008)「日中戦争」から説明する。

2013/8/13(火) 午後 7:01 tatsuya11147 返信する

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p。189−190.
支那派遣軍の板垣参謀総長と蒋介石の停戦交渉が共産党軍につぶされた1940年8月の後、
日本政府主導の和平工作が松岡外相を中心に開始される。
1940年11月中旬に、重慶側の回答が到着。
重慶側の和平交渉開始の条件は、
1)全面撤兵
2)汪兆銘政権の承認取り消し
だった。陸軍参謀本部は、段階的撤兵を条件にしていたから「全面撤兵」には反発したが、政府の工作を見守る態度を示した。
日本政府は11月22日に重慶側の交渉条件の受諾を決定し、24日に回答を香港にいる重慶側の特使に届けた。しかし、特使は重慶に出発しており、日本側回答は重慶に電送された。これを受け、交渉担当の銭永銘は再び特使を香港に派遣しようとしたが、飛行機の事情で27日まで遅れたという。
この間、日本は要領を得ないまま待たされ、28日には汪兆銘政権の承認を決定し、この和平交渉も失敗に終わった。
後に判明したところによれば、重慶側が交渉の最後の段階で日本との和平交渉を中止したのである。

2013/8/13(火) 午後 7:31 tatsuya11147 返信する

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私のコメント
蒋介石はボロボロだった。そこで、「日本政府との和平交渉」と「ルーズベルトへの武器・経済援助依頼」の二股をかけたのであろう。
要するに、ダメもとで「援助してくれないと、日本と手打ちしちゃうぞ」と、ルーズベルトを強請ったのであろう。

ルーズベルトは金融専門家を動員して「支那事変で日本はいつ破産するか?」を探っていた(エドワード・ミラー(2010)「日本経済を殲滅せよ」)。米・陸軍情報部によれば、1941年1月まで、国務省によれば、1941年6月まで、駐日大使館によれば、1941年11月まで、だった。
これらは、外れることになる。

また、1941年3月には、アメリカは対日経済戦に着手した(同書、p.183-184.)。輸出管理局は「日本の経済的脆弱性(品目名)」を調査し、中立国から原材料を先回りして買い占め、日本が手を出せなくした場合、日本の損害がどの程度になるか数値化した。官僚らは「禁輸を使って対日経済戦を仕掛けろ」と提言していた。

2013/8/13(火) 午後 11:58 tatsuya11147 返信する

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ルーズベルトにしたら、「もうひとふんばりで、日本は破産してくれる。そうなりゃ、支那の市場はアメリカのものだ。ここで弱気になった蒋介石に支那事変の矛を収められては、俺の目論見は水の泡だ。ここは1億ドルと軍事援助で、蒋介石にもう一踏ん張りしてもらわねばならぬ」
てなもんだろう。

当時の1億ドルである。俄然、蒋介石はやる気を起こした。「重慶爆撃でさんざんな目に遭わされたから、今度はコチラが仕返ししてやる」で、アメリカを引っ張り込んで行くのである。

「見てきたようなこと言う」けど、ツジツマは合います。

2013/8/14(水) 午前 0:04 tatsuya11147 返信する

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https://www.youtube.com/watch?v=DCbYsFcMDcc#t=546

フランシス・ライン(7:25−9:45)

2016/12/9(金) 午後 6:50 tatsuya11147 返信する

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