風の吹く街、街に吹く風 ―神戸の税理士さん―

税もまた、世相を映す鏡である。生きる意味に思いを深くしたい。

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【「功利主義」という批判】

【「功利主義」という批判】
 
 功利主義はベンサムの「最大多数の最大幸福」として広く知られている。これをガンジーが攻撃した逸話がある。わが国の前首相菅直人は、「最小不幸社会」を提唱し、不評であった。
 
 最近世評がとみに高いマイケル・サンデル教授の白熱教室は、ケーススタディの手法で、学生に対して「判断力」を涵養するものだ。この世では、智恵よりも判断力が有効なことがある。つまりは、教え込むよりも考えさせるわけである。教授の意図を超えて、独自に考えるひとびとが増える社会のほうが「豊か」だと、私には思える。ところが、これとてもマイケル・サンデルは功利主義云々として批評するひとがいた。
 
 あるHPを偶然見ていると、そこでは著名な女流作家を功利主義だと批評していた。その対象の有名人については、じつは私も嫌いである。しかし彼女を功利主義と呼んで、それで批評になるかどうか、私は疑問に感じる。
 
 哲学で功利主義とは幸福と利益の追求を人生や社会の目的や価値基準とするものであろう。哲学であるので、ひとつの思想である。そのかぎり、そういう発想や考え方があるというだけのことである。哲学的な論議の対象になるもので、形而上的問題でもある。
 
 私は、日常生活の利己的行動と結び付けて、他人を功利主義と呼ぶことはしない。「だれそれは功利主義者だ」といってみても、批判の対象者が自分の利益だけを追求し、日常生活で他人に対し迷惑行為をしているかは定かでない。哲学と日常生活とは別の事柄である。
 
 私が目にしたHPの書き手は、明らかに「党派」的思想の持ち主である。そういう主義主張のひとが、他人を功利主義者だと呼んで、それが批判として成立しているかどうかは世界観の相違でもあろう。この世には、それで批判になっていると信じる一団のひとびとがいるが、それも、「党派」のなせる所以でもあろうか。ところが、「それが何か」として、自分に向けられた「批判」だとは夢にも考えないひとびとがいるわけだ。
 
 ついでに書いておこう。「処世術」という用語は、私にとっては世渡りのすべとか生活の知恵とかという謂いである。それ自体は言葉として、哲学の書物でも使う用語である。べつだん難しく考えるような用語でない。ところが、世の中は広い。「処世術」という用語に対して、ずるく立ち回る術のように思い込んでいたひとが過去にいた。
 
 仮に文章の中に「処世術」という用語があっても、前後のつながりを読めば、書き手の真意はおのずから判るものだ。ある種のひとは、「処世術」という言葉にも「功利主義」を読み取る。しかし、そもそも「功利主義」の定義や解釈が相違しているので、彼らとは、議論できない。それが私の感ずるところである。
 
 だいぶ前のことだが、高校同窓会で、私は相手に何気なく、「きょうは収穫があったか」と聞いた。ところが、相手は「収穫とは何だ」とめちゃくちゃに怒った。私は訳が分からず、不愉快きわまりなかった。
 
 5,6年前、私は小学校の学年同窓会を主催した。90歳にもなる恩師は、「きょうの収穫は君との出会いだ」と感想を述べた。「君の事務所へも行きたい」とも言った。恩師は歩行に幾分か困難を来たしていたので、それは実現せずに終わった。
 
 ともあれ、同じ日本語をしゃべっていても、それが通じるかどうかは、別問題であろう。
 
 
 

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