イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

変わったジャンルの音楽のメッセージで脳をマッサージ。

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                宇宙の心 それ が マンダラだ

                自然の心 それ も マンダラだ

                人間の心 それ で マンダラだ

               津島秀彦(松岡正剛共著『二十一世紀精神』工作舎・1975)



    ★――松岡正剛
    ▲――津島秀彦

★―例えば、暑いとき、「暑いな」と思う。風が吹いたりしている時、言葉にしないで、ふと何かに触れたと思えることがある。

▲―例えば「無を感じる」という形でね。

★―自然とはむしろ、その「無」に近い。本当の自然は、むしろ知覚の対象になっていないわけです。だからこそ、僕は、「忘れもの」とか「気配」を重視した。しかし、仏教全体とは言わないけれど、密教に感じているのはそれではない。密教は人工性への努力のようにも思える。密教は大自然をその一部において一挙に獲得するでしょう。部分から全体を導く。しかし、日常、そんな密教などに携わらない人達が感じていて、言葉になり切らないもの、つまり密教の言う不立文字は、密教にはなくて、巷にあるのではないか。衆生の持っているものが自然で覚者の持っているものが、人工的自然なのです。「人工」という言葉が誤解を招きやすいので、これを「抽象自然」と言っておきます。

▲―意味は大体わかりました。続けてください。

★―八百屋の親爺さんが、論理ではなくて、風が吹く体験から得たものこそが素晴らしいと僕は思っている。そこには「行」はない。体験のみです。これに対して密教は、最高の論理への到達を目指す。鮮明で最高の論理を使っている。けれども、この両者の行き着く果ては同じでしょう。僕はただ、そこに「自然」の安売りが語られすぎていることに非二十世紀的なものを感じている。

      ・・・・・

▲―人間は目的を持っているのか、いないのか。それから、いわゆる目的は方向を持っているのか。生きる目的はあるのか。その目的への途中で、人工化がおこる。そういうものがあるのでしょうか。

★―ないですね。

▲―無目的で……。

★―そうです。目的があるなら、当然、自覚はないでしょう。「先の先」ができていれば自覚は不必要です。だから、感覚そのものが自然であって、目的はない。つまり、人工とは、閉じるものである。「過未無体」と華厳で言います。それは、過去と未来のない境地という意味です。そして、過去も未来もある人工的な論理を駆使して、「過未無体」という寂浄の境地に突進する。だから、論理を一度使ってすぐ消費して無くすという、この抽象の極地がヒンドゥイズムやブッディズムではないですか。


ことさらに<行>を行なうことなく、無は気配として、そこはかとなくおとずれてくる。万人にそれはあちらからそこにやってくる。Here and There そのままからこのままへ。<信>としてやってくる。

まさに≪言葉になり切らないもの、つまり密教の言う不立文字は、密教にはなくて、巷にあるのではないか。衆生の持っているものが自然で覚者の持っているものが、人工的自然なのです。「人工」という言葉が誤解を招きやすいので、これを「抽象自然」と言っておきます。≫

      ・・・・・・・・セレンディピティー【serendipity】・・・・・


     ≪他人の作品と自分の作品の境界を撤廃することを開始しないで、

           何が「自由」であるものか、何が「世界」であるものか!≫

                           (タルホ=セイゴウマニュアル)

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