前回の続きになりますね^^
一人で出歩くことを禁止されていたことに触れましたが、
こちらに来るときは必ず連絡するようにということもいわれてました。
日本人の単独での旅行者は滅多になく、
よほど慣れていない限り危険なことがたくさんあると聞かされてました。
大きなことでは日本人=お金みたいな感覚です。
どんなに日系人を装ってもいても旅行者とわかるといいます。
ある時
どうしても必要な物があって(女性専用の物)買い物に行きたいと
叔父に伝えるとガードが必要だといわれました。
女性独特のもので恥ずかしかったのですが、
それでも許しをもらうことができなかったのです。
ブラジル人のマリオという専属のガードは常に3mくらい後ろを歩き守ってくれたのですが、
彼と話をしたりいっしょに写真を撮ることなどは禁じられていたのです。
それにはいろいろな理由があるのですが.........
彼の運転で田舎道を走っていて
どうしてもトイレに行きたくなってしまった時のことも思い出します。
彼は町の公衆トイレの前で車を止めてくれたのですが、
外観を見るだけでとっても不衛生で入るのにも勇気のいるところでした。
そのうえトイレの周りには10人くらいの浮浪者らしき人たちがたむろしています。
考えるだけでもひとりでトイレは無理でした。
用が済むまで彼はトイレの前で立っていたのですが、
それだけで彼らは座り込んだままなにも行動を起こしませんでした。
おかげで無事に済ませることができましたが、
汚物で溢れる便器の不衛生さと恐怖はいまでも忘れることができません。
日本でそのような光景を目にしたのは、随分昔の海水浴場のトイレだったように思うのですが^^
サンパウロ市内のホテルやレストランの洗面所などの設備については
日本のように快適なものでした。
貧富の差が激しいブラジルでは日本では考えられないことがたくさんあります。
叔父たちは高い塀で囲まれた広い敷地のなかで暮らしてましたが、
家の周りにはほぼ一日中警備の人がいたように思います。
それらは叔父の会社においても同様のことでした。
ですから、
日本のように女性ひとりで買い物に出かけることもありません。
女性たちだけのお酒の集いも
会社帰りの男性の赤ちょうちん的なこともないと聞いています。
パーティーも外食も家族で楽しむことが基本のようでした。
このようなことはブラジル全体ではないとは思うのですが、
わたしたちが過ごしたブラジルの一部ではあります。
いまでも山からはだしの少年が下りてきて物乞いをするのだそうです。
生活に困窮するあまり親たちがそうさせざるを得ないというのです。
叔父たちは家族が食べられるだけの食糧を渡すそうです。
「いつでも?」と聞くと「いつでも」ときっぱり言っていたことも忘れられません。
その当時のブラジルの富裕層は全体の3%と聞いておりましたが
現在においてははっきりわかりません。
わたしたちが過ごしたのはクリスマスからお正月過ぎの頃でした。
真夏のクリスマスは昼間の太陽を避けて夕方のプールサイドで始まります。
ほぼ一か月くらいのクリスマス期間はこちらのお正月のような雰囲気があります。
気温は30度から35度くらいの毎日でしたが。
湿気の少ないカラッとした空気は暑くてもとても気持ちのいいものでした。
お話したいことはまだまだありますが、きょうはこの辺で失礼します。
お越しくださり読んでいただいたとしたらとてもうれしく思います(^^)
いつかまた思い出しながら書いてみますね。
ありがとうございます(*^^*)
※画像は咲き始めた庭のポティンティラです☆
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