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エミネム?それは新しいチョコレートか何かかね? by ジョージ・ハリスン

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CBSソニー時代(1980〜1985)から現在へ

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【夏期特別企画】大滝詠一/ナイアガラ特集 最終回

No.7 CBSソニー時代(1980〜1985)から現在へ

またまた、間があいてしまいましたが前回までの流れが知りたい方は「GOGO
NIAGARA」の書庫をお読みください。ついに最終回です。大滝さんのアルバム
のリプライズのごとく初回の「A LONG VACATION」に戻ります。

◆「A LONG VACATION」
二年間の活動休止のあと「A LONG VACATION」がCBSソニーから発表されます。
アルバムの解説については”No.1”で記しましたがこのアルバムをきっかけに
ナイアガラレーベルとプロデューサー大瀧詠一が復活を果たす事ができました。

それまでの作品がベスト盤やボックスセットとして発表され、コロムビア時代
からの企画でもあったナイアガラ・トライアングルVol.2(大滝詠一・佐野元春・
杉真理/画像1)も企画され、大ヒットとなります。

80年代初頭といえばYMOが大ブームをおこし、Jポップ(当時はニューミュー
ジックと呼んだ)が台頭してきた時代でもあり、その元祖として「はっぴいえん
ど」への関心も追い風となりました。

◆ナイアガラの逆襲
70年代には散々辛酸をなめ尽くしたナイアガラレーベルでしたが、80年代
に入ると、お笑い(マンザイ)ブーム、アイドルブームとなったため、ロンバケ
のヒットに続き、ノヴェルティーソングの分野でもうなづきトリオの「うなづき
マーチ」や「イエローサブマリン音頭」、アイドルポップでは松田聖子などを
はじめとする当時一世を風靡したアイドルのプロデュースや楽曲提供、大瀧メロ
ディーが大流行となるのです。また、インストゥルメンタルの「NIAGARA SONG
BOOK」も当時大流行。

CMのほうでも、糸井重里さん、川崎徹さんというトップクリエイターと組んで
大ヒットを飛ばします。

◆プロデュースに対するこだわり
そんな中、「A LONG VACATION」に続く大滝詠一のソロアルバムとして1984
年「EACHTIME」(画像3)が発表されます。「A LONG VACATION」のヒットを受
けて、CBSソニーから期待されたのは「プロデューサー」としてではなく「歌手 
大滝詠一」のほうでした。ところが大瀧氏は「ナイアガラレーベル」は大滝詠一
のソロを出すためレーベルではなく、あくまでも「自身でプロデュースした音盤
を制作提供するレーベル」ということにこだわり、この「EACH TIME」を最後にソ
ロアーティストとしては休止状態になり、以降プロデュース業に専念していきます。

「EACH TIME」発売当時のラジオで、山下達郎氏と対談したとき大瀧氏は「結局
(A LONG VACATIONと)同じになっちゃった」と残念そうに語っておられまし
たが、山下氏は「誰もこういうのやんないんだから続ければいいのに」となだめ
ていたのを記憶しています。

◆200X年ナイアガラの旅
2000年以降過去の作品のリマスターCDなど再発が続いていますが、いよいよ
ソロアルバムの期待が高まります。メロディーもポップスもノヴェルティーも
数多くのフォロワァーが生まれた今、ナイアガラはどんな音楽を聴かせてくれるの
でしょうか?想像もつきません。

★余談ですが、このブログを始めてからTHE GOOD-BYEの楽曲を知ったのですが、
彼等の曲を聴くとナイアガラからの影響を感じざるをえません。ある意味、最も
大瀧氏に近いフォロワァーではないかとも思えます。ナイアガラファンは聴いて
損はないと思います。是非、ご一聴を。

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コロムビア時代

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【夏期特別企画】大滝詠一/ナイアガラ特集

No.6 コロムビア時代(1975〜1979)

◆日本コロムビアとの契約
 前回にも書いたように、大瀧氏はコロムビアへの移籍の際、福生45スタジオに16ch
 レコーダーを入れることと引き換えに「年間アルバム4枚※」という契約を結んでしまい
 ます。(仮に、あなたがソロ・アーティストだったとして、年間にアルバム4枚作ると
 したらどうしますか?オリジナルアルバム年4枚は不可能ですから、○オリジナルアル
 バム○アンプラグドバージョン○カラオケバージョン○カバーアルバムで4枚クリア!
 でしょうか?それでも同じ手は2度は使えません。まったく無茶な契約だったという事
 がお分かりだと思います。)

 ただ、当初のナイアガラ構想通りに事が進み、最初からコロムビアと契約していたら、
 ○大瀧詠一○布谷文夫+ココナツバンク○シュガーベイブ○3者のオムニバスという形
 でノルマがクリアできたわけですから、巡り合わせが悪かったとしか言いようがありま
 せん。

◆プロデューサー大瀧詠一
 そもそも「ナイアガラ」は、フィルスペクタ−に憧れる大瀧氏がプロデュ−ス活動の
 場、音盤提供の場として始めたものでしたので、コロムビアの要求に対して「所属ア
 ーティストが大滝氏一人」というナイアガラは「アイデア先行型」という策をとらざ
 るを得なくなっていったように思います。

 その後、コロムビアから多数のアルバムが発表されますが、No.4で解説した「CMソ
 ング」を集めたアルバム以外、セールス的にどれもパッとしない結果に終わりました。
 では、この頃の作品の質が悪いのかというと決してそうではなく、今聴いてもすばら
 しいものばかりです。ただ、この時代大滝氏がやろうとしていることへの理解・大滝
 氏に対する期待が、産み出される作品と噛み合わなかったのではないかと思います。

◆アルバム解説
1.「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」
 初期ナイアガラ構想の三者(大滝・山下達郎・伊藤銀次)によるオムニバスアルバム。
 山下氏はここでもすばらしい楽曲を提供。「ナイアガラ音頭」で布谷氏が再デビュー。

2.「GO!GO! NIAGARA 」
 大瀧氏自身のラジオ番組を音盤化。残念ながら、ラジオ放送は聞いていませんでしたが、
 私はこのアルバムが大好きです。書庫の名前にもしたくらいに。

「NIAGARA CM Special Vol.1」
 ここにきて、やっと念願のCMです。セールス的にはこのアルバムが一番良かったという
 のも、なんとも皮肉。(詳しくは、No.4の記事を読んでください。)

3.「夢で逢えたら/シリア・ポール」
 美人DJとしても有名になるシリア・ポールさんのプロデュ−ス作。「夢で逢えたら」
「恋はメレンゲ」などそれまでの大瀧ポップスからカバー曲まで、フィルスペクタ−的手法
が炸裂した、ナイアガラ・ガールポップアルバム。今聴いても最高デス。

4.「多羅尾伴内楽団 Vol.1」
 フィルスペクターの右腕アレンジャージャック・ニッチェのインストアルバム「Lonely
 Sufer」に対するパロディー(?)ナイアガラのアレンジャー「多羅尾伴内」のインスト
 アルバム。駒沢裕城さんのギターをフィーチャーした冬のイメージの曲を集めています。

5.「NIAGARA CALENDAR '78」
 アルバム12曲を12ヵ月にあてはめたオムニバスアルバム。ポップス・メロディー・ノヴ
 ェルティーという大瀧氏ならではの曲が完璧に配置されたアルバム。その後も名盤の誉れ
 高いアルバムなのだが、発売当時は空振りに終わる。

6.「多羅尾伴内楽団 Vol.2」
 Vol.1が「冬」とくればこちらは「夏」。村松邦男氏のエレキをフィーチャーしています。

7.「DEBUT」
 ヤングギター誌上で行われた「読者投票」をもとにリミックス・リテイク・ライブなどで
 構成されたベスト・アルバム。「DEBUT」とはまた自虐的なタイトル。

8.「LET'S ONDO AGAIN」
 コロムビア時代最後のアルバムはノヴェルティーソング、音頭などを集めたアルバム。
 やけくそ的とも聴こえなくはないですが、これはこれで楽しめます。

◆「LET'S ONDO AGAIN」以後、二年間大瀧氏は自作の発表を控えることとなります。

※追記…過去に1993年7月号のレコードコレクターズの記事の中で、アルバムの年間契約は
 年3枚という記述があったそうです。(tanuki1104さん、ご指摘ありがとうございます。)

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NIAGARA MOON

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【夏期特別企画】大滝詠一/ナイアガラ特集

No.5 NIAGARA MOON

◆Fussa 45 Studio設立
 大滝氏は、レーベル発足と同時期に福生の自宅を改築し、パーソナルスタジオ「福生45
 スタジオ(Fussa 45 Studio)」を設立する。「ナイアガラ・ムーン」はシュガー・ベイ
 ブの「SONGS」に続くナイガガラレーベル第2弾。大滝氏のソロアルバムとしては、ファ
 ースト以来ニ年ぶり、完成したFussa 45 Studioでの初レコーディングとあって、細野晴
 臣・鈴木茂・林立夫・松任谷正隆といったティンパンアレイの面々、シュガー・ベイブ、
 伊藤銀次・佐藤博などがこのアルバムの制作に関わっています。

 ただ、その後運悪くレコード発売元のエレックが倒産したため、発売元をコロンビアへと
 移籍する。そのとき、このFussa 45 Studioに16チャンネルのレコーダーを入れること
 とひきかえに大滝氏は年間アルバム4枚というトンでもない契約を結んでしまう。「これ
 が<悪夢>のはじまりだった」とご本人がおっしゃっているように、スタジオかわいさで
 選んだ道が大滝氏ご自身を苦しめる結果となってしまったわけである。

◆ノヴェルティーソング・アルバムの金字塔
 伊藤銀次率いるごまのはえ(後にココナツバンクと改名)が、本来はナイアガラレーベル
 のノヴェルティー部門としてデビューするはずが、デビューを前に解散してしまい、メロ
 ディータイプのシュガー・ベイブを先にデビューさせたこともあって、大滝氏本人のアル
 バムはノヴェルティーソングを集めたものとなりました。
 
 はっぴいえんど解散後の大滝氏は、はっぴぃえんど(特に松本隆氏の詞)からの脱却とい
 う意志が強く感じられ、このアルバムでも作詞は(「論寒牛男」と「サイダー」をのぞい
 て)すべて自身で書かれています。

 よって、気心知れたミュージシャンとのリラックスしたセッション、アソビゴコロ満載の
 楽曲、シャレのきいた歌詞と今でも十分楽しめる内容で、その後もロングセラーとなり、
 大滝氏の代表作の一つでもあるとともに、ミュージシャンからの人気も高い一枚。

◆アルバム解説

「ナイアガラ・ムーン」
 滝の音に続いて美しいストリングスで、アルバムが幕を開けます。この、滝の音もストリ
 ングスアレンジも山下達郎氏によるものです。

「三文ソング」
 ちょうどコントの場面転換のように、この曲が始まります。「三文オペラ」ならぬ、「三
 文ソング」は「三文の得」にはならず、「三文のソン」??最後に入っている「サッチモ
 〜あはっ」の声は大滝氏のご子息です。

「論寒牛男」
 エルビスを下敷きにしている曲ですが、鈴木茂の指で奏でるギター、細野のグルーブ感あ
 ふれるベースなど、職人技が光る一曲です。

「ロックンロール・マーチ」
 大滝氏はTVスポーツ中継などが好きで、途中の「GO!GO!」などにその嗜好があらわれて
 います。ちょっと前のビールのCMでも使われました。

「ハンドクラッピング・ルンバ」
 曲中に登場する「クミちゃん・ジュンちゃん・アンちゃん」とは、大滝氏が担当した花王
 ドレッサーのCMで登場した歴代イメージガール、秋吉久美子、風吹ジュン、アン・ルイス
 のことです。曲の終わりに「髪に栄養〜ドレッサ〜しましょ〜」とお馴染みのフレーズが!

「恋はメレンゲ」
 のちに、シリアポールが大滝氏のプロデュースで制作するアルバム、「夢で逢えたら」で
 カバーした曲です。他にも、色々カバーがでているようです。
 
「福生ストラット(part II)」
 ウルフルズのヒット曲「大阪ストラット(伊藤銀次プロデュース)」の元曲です。Fussa
 45 Studioのある福生市は「福が生まれる町」ということで、縁起かつぎに切符を買ってお
 守りにするということがあるようです。ちなみに、パート1は、後に「ナイアガラ・トライ
 アングルvol.1」に納められました。

「シャックリ・ママさん」
 バディー・ホリーのヒカップ(しゃっくり)唱法にインスパイアされた曲、鈴木茂のスライ
 ド・ギターがめちゃめちゃかっこいい。

「楽しい夜更し」
 僕も、以前は朝までマージャンというのをよくやってました。そんなときアタマにこの曲が
 流れてまいります。「た〜のし〜いよっ!たのしいよっ!」

「いつも夢中」
 キング・トーンズを従えての50年代風R&B調の曲。アカペラが美しいです。むちゅ〜。

「CIDER'73'74'75」
 大滝氏が73〜75年に手掛けた、三ツ矢サイダーのCMソングのメドレー。確かに、レコ
 ード化にこだわったというだけあって、ロンバケに通じるナイアガラサウンドが、すでに
 完成の域であることに驚かされます。ただ、このメドレーを入れたことで「ナイアガラ・ム
 ーン」は、一般には「サイダーのアルバム」として認識されてしまうことにもなるのですが。

「ナイアガラムーンがまた輝けば」
 オープニング曲のリプライズ。ちなみにこの曲は2005年公開の映画「イン・ザ・プール」
 の挿入曲としても使われています。

◆このアルバムの再発盤が、つい最近(2005年3月)に発売になりました。過去にも何度か
 再発されていますが、今回はボーナストラックも豊富でお買得だと思います。まだ、お聴きで
 ない方はぜひぜひ。

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ナイアガラとCM

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【夏期特別企画】大滝詠一/ナイアガラ特集

No.4 「ナイアガラとCM」

前回までのおハナシから少しあいちゃったんで、流れを知りたい方は、
「GO!GO! NIAGARA」の書庫を先に読んでください。

はっぴいえんどの解散が1972年12月。大滝さん初のソロアルバムは
その前の1972年11月に出ていて、それから次の「ナイアガラ・ムーン」
が出るまで、73年、74年というのは大滝さん自身のアルバムは出てない。
よく、ナイアガラファンのあいだでは「空白期」なんていわれるのですが

そのとき、大滝さんが何をやっていたかというと「CM」なのです。

今でこそ、CMタイアップというのはヒットの一要素として認知されていますが
70年代半ばまでのCMソングというのは、大半が企業名や商品名を連呼するような
ま、関西人ならわかると思いますが「キダ・タロー」の世界なわけで
今のような、イメージ的にカッコよく使われるのとは、随分環境が違うわけです。

もともとは、72年に吉田拓郎がフジカラーのCMをヒットさせたことから
はっぴいえんどのところにCMのハナシが来たのですが、当のはっぴいえんどは
解散状態だったため、ソロを出したばかりの大滝氏のところにハナシが来た
というのが始まりだそうです。

そのCMが「サイダー」で小学生時代にスター誕生なんかを見ていたら
毎回流れるそのメロディーが大滝さんだと知ったのは随分あとのことでした。
(もともと僕は小さいCMソング好きでテレビでも本編は見ずにCMばかりを見る
という変わったコドモでした・・・。)

大滝さんのすごい所は、本来スポンサーとなる企業のいいなりで作らざるを
えない、CMの世界でなんと「自分の音楽の追求と実験」を繰り返していた
ということなのです。たぶん、これにはCMに関わったまわりのスタッフのご苦労
もあったとおもうのですが、ちゃんとCMとして成功させた大滝さんの力量も
すごいと思います。

そんな、大滝さんのCMでの仕事のほとんどを、「NIAGARA CM SPECIAL」という
アルバムでまとめて聴くことができます。たぶん聴いてもらうとわかるとわかる
とおもうのですが、「A LONG VACATION」や「EACH TIME」などのカラフルな
ポップスの数々がCMでの実験で完成され、つながっているのです。

僕も長らく広告業界に携わってきましたが、この「大滝精神」には見習うところが
多く、「仕事でもアソビゴコロがたいせつだなぁ〜」なんて思うのです。

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SONGS

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【夏期特別企画】大滝詠一/ナイアガラ特集

No.3 SONGS / SUGAR BABE

シュガー・ベイブというバンドをご存じでしょうか?代表曲「DOWN TOWN」を聴いた
ら、「あっ、この曲知ってる」と言われるかも知れません。その昔、山下達郎と大貫妙
子が在籍したグループとして、そして高いメロディーセンスをもったポップスを奏でる
バンドとして、現在高い評価を得ています。

ナイアガラレーベル第一段アーティストとしてデビューしながら、たった一枚のアルバム
を残して解散してしまったシュガー・ベイブというバンドについて解説してみたいと思い
ます。

◆ナイアガラレーベル構想
はっぴいえんど解散時期と重なって、大滝詠一氏はプロデューサーとしての活動を目指し
ナイアガラレーベルを立ち上げることを考えます。手始めに伊藤銀次氏率いる「ごまのは
え」を手掛けることになり、最初のナイアガラ構想は大滝氏の「ポップス」ごまのはえの
「ノヴェルティータイプ」という計画でスタートします。

1973年9月21日のはっぴいえんど解散コンサートが、「ごまのはえ」がナイアガラとし
てのお披露目となりその後、本格的にナイアガラ第一号としてデビューする予定でした。

そんな折り、伊藤銀次がとある喫茶店で連絡先まで書いてある自主制作盤を偶然見つけま
す。これが山下達郎氏の自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」でした。

ボーカルに弱点を持つ「ごまのはえ」でしたので山下氏らのコーラスがステージで、レコ
ーディングでナイアガラの一員として活躍することとなります。

◆ココナツ・バンク解散
「ごまのはえ」はその後「ココナツ・バンク」と名を改めデビューに向けて活動を始めま
すが、すぐに解散となってしまいます。と同時に大滝氏がCMソングをレコード化するこ
とを目論んでいた(当時は前例のないことだった)ためか、ナイアガラ作品の販売元とな
るレコード会社がなかなか決まりませんでした。

やっと、エレックレコードから出すことが決まり、ココナツの次にと考えていた、山下氏
率いるシュガー・ベイブが第一号アーティストとなるわけです。

◆シュガー・ベイブ、ナイアガラとの契約破棄
今でこそ伝説のバンドとして語られていますが、シュガー・ベイブがデビューした70年
代半ばは、関西からの泥臭いソウル・ブルース系のバンドがライブハウスを賑わせていた
時代で、シュガー・ベイブの持つ都会的なポップセンスについて、正当な評価は与えられ
ませんでした。男女混成(しかもツートップ)という当時珍しい構成もあまり認められず、
デビューアルバム発売からわずか3ヵ月後に、シュガー・ベイブはコンサートでのサポー
トを継続する事を条件に、ナイアガラとの契約を破棄してしまいます。

その後、たった一枚のアルバムを残し、シュガー・ベイブは解散。メンバーはそれぞれソ
ロで活動を始めていくのです。

◆アルバム解説

「SHOW」
初のワンマンコンサートに向けてオープニング用に書いた曲(山下氏談)というだけあっ
て、アルバムのオープニングを飾るに最適の曲。山下氏の伸びのあるボーカルが心地いい。

「DOWN TOWN」
エポのカバー曲が「おれたちひょうきん族」という、これまた伝説のお笑い番組のエンデ
ィングテーマで使われたことでも有名。もともとはキング・トーンズに提供するはずの曲
だったとか、詞が伊藤銀次、作曲が山下達郎。間違いなく日本のポップスの名曲のひとつ。

「蜃気楼の街」
「風の世界」
山下達郎と人気を二分していた大貫妙子は山下氏とはまた違った、街をテーマに、はかな
い心情を唄ったものが多く、その後のソロ作品にも通じる世界がすでに漂っています。

「ためいきばかり」
ギタリストの村松邦男は、シュガー・ベイブ解散後もナイアガラ関係で活躍しますが、こ
の曲は彼のギタリストとしての嗜好が表れています。

「いつも通り」
再び、大貫妙子の曲。いつもにぎやかな「街」に暮らす孤独な「私」。「あきらめ」とも
「ひらきなおり」ともとれない歌詞が、それでも前向きに生きる姿を想像させます。

「すてきなメロディー」
山下と大貫のデュエット曲、間奏のバス・ボイスは大滝氏。ヤギの鳴きまねは山下氏。

「今日はなんだか」
ブラスの入ったカッコイイ山下氏の曲。やはり伸びのある山下氏のボーカルが圧巻。

「雨は手のひらにいっぱい」
ライナーノーツなどによると、プロデューサーの大瀧氏がこのアルバムでした仕事は、も
ともとサザンポップ風だったこの曲をフィルスペクター風のアレンジするようアドバイス
しただけだ。と語っていますがそのアイデアは大正解。このアルバムで一番好きな曲です。

「過ぎ去りし日々“60’s Dream”」
伊藤銀次の歌詞には、洋楽の日本語タイトルのようなフレーズがちりばめられています。
60年代NYポップを意識したというバラード。

「SUGAR」
最後の最後で大瀧氏のナイアガラ流、アソビゴコロが全開。ナイアガラレコーディングに
不可欠の布谷文男氏が最初から最後まで大暴れ、スタジオに関係者を集めてやりたい放題。

◆今回も長くなってしまいましたが、今聴いても色褪せない名曲が揃った、すばらしいポ
ップアルバムだと思います。ナイアガラの歴史を知る上でも是非一聴を。

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開設日: 2005/2/17(木)


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