韓国人の「独島」妄言は戦後になってから
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(注)本日のタイトルはGTOMRさんのサイトのパクリであります。 https://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/korean-distorture-1945-52 これまで見て来た古新聞などを並べて見ます。 1922.8.1 独立新聞「獨立は同胞の一体負責」の記事では、安龍福が日本人の手から守ったのは鬱陵島だという認識であり、竹島/独島のことは触れられていない。 1926.5.1 「怪傑安龍福 鬱陵島を中心にした二百年前の朝鮮外交問題」 李允宰(イ・ユンジェ)掲載雑誌 東光 第一号 この文章でも、安龍福は鬱陵島を守った人物として賞賛されているだけである。 1928.9.1-9.11 東亜日報 島嶼巡礼 鬱陵島方面 全11回 1928年9月1日から11日まで東亜日報に11回に亘って書かれた詳細な鬱陵島ルポ。その筆者はあらかじめ鬱陵島の歴史に関する文献も調べたようです。また、その記事内容を見れば、鬱陵島に関する親近感というか愛情というか、そういう思い入れがあるように感じられる。しかしながら、竹島/独島のことは一言も出てこなかった。 その代わりに出てきた言葉は、 時間にして一千四百余年の歴史を有し、空間としては朝鮮の極東経度の限界となるところが、古い名前では于山国であり今は鬱陵島と呼ぶ、周囲百四十余里の小さくも大きくもない島だ。(第1回) であって、朝鮮の東の端は鬱陵島だと言っている。その鬱陵島の附属島として竹島/独島があるという認識であるのならば竹島/独島が朝鮮の東端だということになるが、残念ながら竹島/独島のことは出てこなかったのだから、朝鮮の東端は文字通り鬱陵島(あるいは細かいことを言うならば鬱陵島の東2キロにあるチュクト)だと認識していることになる。 また、第4回から第5回にかけて出て来た鬱陵島をめぐる日朝紛争と安龍福の話でも、竹島/独島の話は全く無し。 現代の韓国政府は、「鬱陵島の住民たちは自然に獨島が鬱陵島に属すると認識していた」などと言うけれども、竹島/独島が鬱陵島の附属島だとか、それが日本に強奪されたとかいう認識は当時の人にはなかったとしか考えられない。そういう指摘は既になされているが、こういう古新聞によっても改めてそういうことが確認されることになる。 もっとも、「怪傑安龍福」も「島嶼巡礼」も朝鮮が日本に併合されて朝鮮総督府の支配下にあった時に書かれたものだから、竹島/独島を日本に取られたなんてことは書きたくとも書けなかったのだ、なあんて言う人もいるのかも知れないが、果たしてそんなもんだろうか。全く何も書けないものかどうか。竹島/独島がある、というくらいなら書いても問題にならないだろう。また、総督府に何の気兼ねもする必要がなかった上海の独立新聞でさえ、竹島/独島のことは書いてない。 も一つおまけが上の新聞記事。これは杉野さんが昨年5月にブログに発表していたものだが、 http://ameblo.jp/nidanosuke/entry-10178031594.html 1926年8月7日 東亜日報「絶島風情 対馬島訪問」 「往昔の対馬島は朝鮮領土が確実」、「現在の対馬は我朝日本のものだが、昔は朝鮮の地」、「世宗大王のとき対馬を征服するときの諭書で明らか」などと堂々と報じている。対馬が朝鮮領だったなどと書く方がよほど総督府から睨まれそうなものだが、これくらい書けたわけだから、竹島/独島のことを一言も書けなかったはずはなかろう。 という次第で、1920年代の韓国では「自然に獨島が鬱陵島に属すると認識していた」などとは考えていなかったと言える。「独島=于山島」説もまったく出ていない。そういう話は韓国が竹島問題を引き起こした後になってから言い出したことだ。
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EEZ侵入、韓国船船長を竹島沖で逮捕
読売新聞 1月13日(木)22時32分配信
13日午前0時30分頃、兵庫県沖の日本海を航行していた水産庁の漁業取締船が、日本の排他的経済水域(EEZ)内に入っていた韓国のカニかご漁船「33サンヨン」(29トン、9人乗り組み)を見つけた。
日本語と韓国語で停船命令を出したが、無視して逃走。第8管区海上保安本部の巡視船「だいせん」(3100トン)など4隻が追跡し、約11時間後、島根県隠岐諸島の北西約100キロ、竹島の南東約60キロの海域で停船したため、海上保安官が乗り移り、船長のイ・チェボク容疑者(39)を漁業法違反(立ち入り検査忌避)容疑で現行犯逮捕した。
8管によると、逮捕した海域周辺は、日韓両国が主張しているEEZが重なっている部分で、韓国海洋警察庁の警備艇もいたが、トラブルはなかったという。
2011/1/14(金) 午前 5:42 [ 護れ尖閣国民行動に参加 ]
洞海湾沖の底質ダイオキシン類濃度より、韓国が不法占拠している竹島辺りの底質ダイオキシン類濃度が高くなっています。韓国は竹島周辺でダイオキシン類を投棄していることが証明されました。
環境省のパンフレットを見ればすぐにわかります。
しかし、竹島辺りのダイオキシン類濃度が高いのにとても驚きました。
韓国は竹島を不法占拠する狙いは、ダイオキシンを日本海に捨てるためのように思います。
韓国の竹島不法占拠を放置すると、日本海はゴミと有害物含有ヘドロによる毒溜めになりそうです。
アメリカは、ラスク書簡で「竹島は韓国領土でなく日本の領土である」ことを明言しています。
韓国は竹島から出て行ってもらわなければなりません。
2011/4/7(木) 午前 7:10 [ 護れ尖閣国民行動に参加 ]
なぜ存在しない于山島が描かれたのか
鬱陵島周辺の島の記述がある最初の記録は、『太宗実録』の1412年に流山国島の名で出てくる。
その中で、白加勿らは
「11戸60人余りが、武陵島から流山国島に移った。流山国島は、東西と南北がそれぞれ約24km、周囲が約96kmで豆や麦が採れる」
と観察使に証言している。
武陵島とは鬱陵島のことで、鬱陵島の周囲にはその様な島はない。
李氏朝鮮では1403年から鬱陵島の空島政策を実施していたため、白加勿らはその罪を逃れるためにこの嘘の島を作ってしまったと考えられる。
この島の大きさは後の多くの地図に描かれている于山島と似ていることから、地図は彼の証言を元に描かれていることが容易に推測できる。また証言の「流山」は過去にも呼ばれていた「于山」の音号から転訛したものと考えられる。
鬱陵島の空島政策以後、税や兵役を逃れる者が密かに住み着いていたが、島の周辺を知る者は限られ、18世紀後半からの本格的な調査が入るまで架空の于山島が描かれたのである。
2012/2/13(月) 午後 9:22 [ 中国により酸性雨やセシウムが高い ]
「韓国が知らない独島の虚偽」
第1 日本は古くから竹島の存在を認識していました。」
第2 韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。
第3 日本は、欝陵島に渡る船がかり、漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。
第4 日本は17世紀末、欝陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。
第5 韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福の供述には、多くの矛盾があります。
第6 日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。
2012/2/19(日) 午後 1:29 [ 日本の竹島の歴史を学ぶ ]