阪神淡路大震災で村山さよくのバカが多くの住民を殺した
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国の機関の対応
当時、首相官邸をはじめとする政府および国の機関が、直接に被災地域の情報を収集する手段は整備されておらず、地方自治体や各省庁の地方支分部局、自衛隊の部隊などから本省等へ上げられた情報を迅速に集約する体制も、収集した情報を内閣総理大臣等へ通報する体制も整っていなかった。
そのため、テレビやラジオなどの報道機関が最大の情報源となり、集約整理されていない情報をもとに、各機関が行動する体制となっていた。災害対策の所管官庁とされていた国土庁にも独自の情報収集手段はなく、関係省庁に上げられた情報を集約することも十分にはできなかった。
内閣総理大臣であった村山富市には地震の一報がかなり早い時点で入ったものの、これは村山が地震発生直後にテレビでニュースをたまたま見ていたこと(午前6時のNHKニュース)によるもので、秘書官等から詳細な情報を上げることは遅くなった(首相への第一報は7時30分とされる)。
村山は総理公邸におり、8時26分に首相官邸に歩いて様子を見に行き待機したが、誰もおらず特に情報も入らず、また公邸に戻った。
その後、不完全ながらも随時上げられる情報により未曾有の大災害であることが明らかになりつつある中でも、村山首相は開会が差し迫った通常国会への対応や懸案となっていた新党問題、財界首脳との食事会など予定通りの公務をこなす傍ら災害対応を行ったため、十分な対応を行わなかった。
さらに、村山は、地震発生3日後に開かれた衆議院本会議の代表質問に対する答弁の中で、政府の情報収集の遅れと危機管理体制の不備を問われ、「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があったと思われまする」と答えたため、強く批判された。
出動した自衛隊も、交通渋滞や被災者がひしめく中で、部隊の移動・集結・宿営地の造営に手間取り、現地に到着したLO(Liaison Officer、連絡幹部)が状況を把握してから大規模な災害派遣部隊が現地に展開されて救助活動を開始するまでに3日間を要した。
しかし、この対応が特別であったわけではなく、当初から、各国からの支援の申し出にも政府として対応できていなかった。 アメリカ政府は空母インディペンデンスの提供を申し出たが、「あの時点では毛布であり水であり、そういうものが緊急である」との判断から日本政府はこの申し出を拒否した。
日本が地震多発地帯であるにもかかわらず、前述の被害地域の惨状を把握する手段が十分に講じられていなかったこと、危機管理体制の欠如・縦割り行政といった行政上の様々な弊害が現れた。
兵庫県からの自衛隊への災害派遣要請が、発生後4時間以上も後であったことは前述の通りであるが、地元選出衆議院議員・高見裕一(新党さきがけ議員)も神戸市東灘区住吉山手にいて、JR住吉駅まで歩いていき被災状況を直接目にしていた。県知事からの派遣要請がなされていない事を知った高見は、携帯電話で東京の議員会館にいる秘書を通じ、午前8時40分に防衛庁に緊急要請を行ったが、東京では「“大げさだ”」「非公式」「未確認情報」との認識しかされていなかった。高見は、さきがけ党首・大蔵大臣の武村正義、社会党の衆議院議員・五島正規にも8時30分に電話で連絡し、社会党の土井たか子衆議院議長に連絡をとろうとしたが、不在で秘書に連絡した。折り返しの連絡はなかった。
初動対処が遅れた原因として左翼的主義の影響も指摘された。批判で指摘されたのは、社会党・共産党の反自衛隊思想、被災地である兵庫県をはじめ京阪神地域が革新勢力の票田であること、社会党を支持している全日本自治団体労働組合の影響などである。
自治体組織の緩慢な初動の背景としてもこれらは指摘されている。産経新聞は1月28日、1面コラムにて社会党が野党時代に自衛隊の廃止を誓ったことを挙げて批判した。国内の批判は日系資本の英字紙や海外メディアも伝えられている。
政治的スタンスと関連した形でも、村山にも批判の矛先が向いた。内容的には初動期を通り越して復旧に着手するまでの期間全体を対象としたものもあれば、自衛隊への出動命令や発生から数日のリーダーシップの問題に重きを置いた内容もある。
しかし、その後に発生した地下鉄サリン事件も踏まえ、5月頃には産経は首相官邸の当時の危機管理体制の不備として総括、結論付ける社説も掲載することとなった。ただし地震発生当時の内閣は自社さ連立政権下にあり、日本社会党は自衛隊を合憲と認めていた。また国土庁長官の小沢潔と後に震災対策担当相に任命された小里貞利はいずれも自由民主党所属の国会議員であった。
一方、村山は1997年8月に行われたインタビューにて次のように述べている。
厚生省(当時)は、2月上旬から、国立病院の医師、看護師、ケースワーカーなどを現地に派遣し、災害地の医療を側面から支援する対策を行なった。ただし、これについては、各地の国立病院職員(医師、看護師、他)たちが、震災直後からボランティアとして現地に急行する希望を出していたにも関わらず、厚生省が直ちにはこれを認めず、派遣が大幅に遅れた事への批判がある。 |





