栃木県内見て歩る記

主に栃木県内各地の紹介です。

真性寺

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 真性寺は、東京の巣鴨駅近く、
 とげ抜き地蔵で有名な地蔵通商店街の入り口にあります。
 当寺には、江戸府内の六地蔵尊の1つがあります。
 3月25日に行って来ました。

【真性寺の概要】
 真性寺の正式名称は、真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺です。
 開基は不明ですが、
 聖武天皇の勅願により、行基が開いたと伝えられています。
 1826年(文久9年)の「地誌御調査上」によれば、
 1615年(元和元年)に祐遍法印により中興開基が行われたと記載されています。
 同書によれば、当寺は元禄の頃から田端東覚寺の末寺でしたが、
 1711年(正徳元年)にはそこを離れ、
 京都御室御所仁和寺の末寺になったとの事です。
 その後1900年(明治33年)に和寺を離れ、
 真言宗豊山派総本山長谷寺の末寺になって現在に至っています。

【地蔵尊について】
 江戸深川の地蔵坊正元が、1706年(宝永3年)に発願し、
 江戸市中から広く寄進者を得て、
 14年間の間に、大凡同型の地蔵尊菩薩像6体を造立し、
 江戸の出入口6箇所に丈六の地蔵菩薩坐像を造立しました。
 鋳造は神田鍋町の鋳物師、太田駿河守藤原正儀によるものです。
 その4番目が真性寺にある地蔵尊像で、巣鴨は中山道の入り口になります。
 高さ2m68cm、蓮花台を含めると3m45cmの巨大な像で、
 1714年(正徳4年)に完成しました。

【その他】
 1枚目は通りからの眺め、2枚目は地蔵尊像、3枚目は地蔵尊像の背面、
 4枚目は本堂です。
 その他の写真は下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.homeip.net/gallery/user.php?userid=17933

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旧日向邸別邸

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 熱海駅の近くの高台にある旧日向邸別邸は、
 ドイツ人の建築家ブルーノ・タウトが設計した我が国では唯一の建物で、
 現在は重要文化財になっています。
 3月19日に行って来ました。
 なお別邸の内部は、写真撮影が禁止されていましたので、内部の写真はありません。

【旧日向邸別邸の概要】
 旧日向別邸は、1936年(昭和11 年)に、
 実業家日向利兵衛の別荘として建築されたものです。
 太平洋を望む熱海市春日町の断崖上に位置しています。
 木造2階建母屋の前庭に擁壁を兼ねた鉄筋コンクリートの人口地盤が造られ、
 その地下室部分にある細長い空間の離れがタウトによる設計です。
 竹や桐をふんだんに用いた社交室、部屋の一部として階段のある洋室、
 そして和室の3室から構成されています。
 母屋の設計は、東京国立博物館や銀座和光、愛知県庁、
 以前紹介した原美術館などを設計した渡辺仁です。

 日向の死後、民間企業の保養所として利用され、
 2004年11月、熱海市の所有となり、翌年秋から一般公開されています。
 2006年7月、地下室が重要文化財の指定を受けました。

【ブルーノ・タウトについて】
 タウトは1880年、東プロイセンのケーニッヒスブルクに生まれました。
 ケーニヒスベルクの建築学校を卒業後、1909年ベルリンで建築設計事務所開業します。
 1914年のドイツ工作連盟ケルン展での「ガラス・パヴィリオン(グラスハウス)」は
 表現主義の代表的な作品とされています。
 1930年、ベルリンにあるシャルロッテンブルグ工科大学の教授に就任します。
 1932年から、ソ連で活動しますが、この事から、ナチスに職と地位を奪われ、
 日本インターナショナル建築会からの招待を機に1933年5月、日本を訪れ、
 そのまま亡命しました。

 来日当初は京都大丸の下村正太郎邸に滞在し、
 まもなく仙台の商工省工芸指導所で指導にあたり、
 その後、井上房一郎の招きにより高崎に移り、群馬県工業試験場高崎分場で、
 家具、竹、和紙、漆器など日本の素材を生かしたモダンな作品を発表します。
 1935年に東京・銀座に開店した「ミラテス」で販売を始めています。
 日本では建築の機会に余り恵まれませんでしたが、
 建築理論の構築に勤しみ、桂離宮を評価した著書を著しています。

 1936年にトルコのイスタンブール芸術アカデミーからの招請により、
 イスタンブールに移住し、多くの建物の設計を行いますが、
 1938年に長年患っていた気管支喘息のため死去しました。

 特に、桂離宮と日光東照宮を対比させ、前者に日本の伝統美を見出し、
「ニッポン」「日本美の再発見」などを著し、
 数寄屋造りの中にモダニズム建築に通じる近代性があることを評価し、
 日本人建築家に伝統と近代という問題について大きな影響を与えました。

 タウトが高崎市郊外の達磨寺で住んだ建物は現在も残されています。
 以前、ここにも載せました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/60379818.html 

【訪問記】
 旧日向邸別邸は、土日祝日のみ見学でき、事前予約制です。
 1時間ごとに各回10人程度のようです。
 写真が禁止されていて、外観も中々思うように撮れませんでした。
 地下室の別邸に降りて行くと、
 天井から吊り下げられた100個余りの電球が目に入りました。
 神社の灯明か船の漁り火をイメージした物との事ですが、
 これが、装飾を排したタウトの設計なのかと思いました。
 解説の人の話によると、同様の事を言う人も多いとの事でした。
 それ以外のテーブルや椅子、階段の踏み板、窓枠などは、
 細かい点まで気を使われた、良いデザインだと思いました。
 解説の方の話によると、
 タウトはナチスから睨まれていたため、日本でも監視が付いていて、
 そのため、建築設計の依頼がなかったとの事でした。

 別邸内部の写真や、詳しい解説は下記のサイトがよくまとまっていました。
 興味のある方はご覧下さい。
 http://sumai01.hatenablog.com/entry/2015/05/28/192706

【その他】
 1枚目の写真は建物の全景、2枚目は入口、3枚目は1階からの初島の眺め、
 4枚目は庭園ですが、この下にタウトが設計した別邸があります。

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台元寺

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 台元寺は佐野市の堀米町近くにある寺院です。
 栃木県の重要文化財の指定を受けた銅造の百観音で知られています。
 2月4日に行って来ました。

【台元寺の概要】
 当寺は、正式名称を和光山持廣院台元寺と号します。
 1601年(慶長6年)、佐野市内の春日岡山転法輪院惣宗官寺(佐野厄除大師)の
 13世三海大僧正が創立したと伝えられています。
 旧寺域は、現墓地(約100m北)にありましたが、
 1848年(嘉永元年)に焼失し、翌年現在地に再建しました。
 本尊は、木造地蔵菩薩半跏像(延命地蔵)で、
 12年に一度、午年に開扉されます。
 なお現在の本堂は老朽化のため、2009年(平成21年)9月に、
 観音堂と併せて再建されました。

【百観音の概要】
 百観音は。元々は惣宗寺の末寺普門山観音寺にあったものです。
 享保年間に観音寺住職了覚上人が発願、地元佐野の天明鋳物を用いて、
 1736年(元文元年)11月11日に、
 坂東33観音、西国33観音、秩父34観音、合わせて100体の観音像を
 当時の鋳物師達の競技の作として作られたとの事です。
 幕末から台元寺が管理していましたが、
 1873年(明治6年)に廃寺となり、台元寺に統合されました。

【その他】
 1枚目の写真は本堂、2枚目は百観音、3枚目はそのアップです。
 その他の写真は下記をご覧ください。
 http://orangestudio.homeip.net/gallery/user.php?userid=17933

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