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宇都宮市の北部、市の周辺を走る環状線である、宮環のすぐ北側に、長岡百穴古墳があります。
宇都宮丘陵の南端部の凝灰岩が露出した所に掘られた横穴式の古墳です。
【古墳の成立など】
この古墳が造られたのは、古墳時代終末期の7世紀前半と考えられています。
凝灰岩は宇都宮市の特産である大谷石と同じで、柔らかく加工しやすいため、
墓地として選ばれたのかも知れません。
かつては、100基あったのかも知れませんが、現在は東群44基、西群8基の合計52基が残っていて、
全て南側に向けて開口しています。
その状況から、家族墓的な性格を持っていると考えられています。
【古墳の構造など】
古墳の入り口は概ね1m四方で、奥行きは2m前後になっています。
形状は羽子板型で、奥の方が広くなく構造です。
開口部には、扉になる石をはめてあった跡の残っているものがあります。
しかしながら、石室そのものは後年破壊されていて、ほとんど原形をとどめていません。
室町時代から江戸時代に掛けて、それぞれの石室に観音像が彫られました。
それが、石室の保存に影響を及ぼしてしまったようです。
【百穴の伝説】
二荒山神社の祭神豊城入彦命がこの地で反抗する土豪たちと戦った折、
ここで100名余りの家臣が戦死したため、その亡骸を葬った墳墓跡だという伝説があります。
その後、宇都宮を訪れた弘法大師空海は、百穴の伝説を聞き、この地を訪れましたが、
人々の記憶から消え去ったように、ヤブの中に埋もれていました。
そこで彼は雑草を切り払って清め、先の豊城入彦命の家臣達の霊を慰めるため、
一夜で100体の観音像を彫る事を発願します。
しかし、さすがの彼も99体目まで彫り上げたところで、
村で一番気の早い鶏が早々に夜明けを告げてしまいます。
このため、空海は、100体目を刻むことなく姿を消してしまいました。
それでもこの偉業をなしとげた彼を偲んで、村の人々が、100体目が置かれるはずだった穴に
石彫りの観音像を祀ったとされています。
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初めて見ました。珍しい古墳ですね。
2006/7/30(日) 午後 3:56
お墓ですよね!?蜂の巣みたいな形に感激ですが、すぐ前の手入れの行き届いた菜園にもびっくりです。1人での畑作業怖くない?ちなみに畑のこちら側はどんな風景ですか?
2006/8/1(火) 午後 1:56 [ ginngah ]
イチローさん コメント有難うございました。 小さい頃から見慣れた風景なので、それほど珍しいとは思いませんでした。やはり載せてみるものですね。
2006/8/1(火) 午後 8:12 [ ten*n*nn*ozi ]
ginngahさん コメント有難うございました。お墓です。すぐ近くまで畑になっていますが、何しろ1400年前のお墓ですから、怖くはないでしょうね。こちら側には道があって、住宅と畑がありました。
2006/8/1(火) 午後 8:17 [ ten*n*nn*ozi ]
宇都宮美術館行く時の合わせ技として立ち寄ったことがありますが、そんな歴史のあるものとは知りませんでした。勉強になりました。
2006/8/1(火) 午後 10:29 [ JITTA ]
JITTAさん コメント有難うございました。宮環を走っていても見えますよね。子どもの頃は不気味だと思いましたが・・・
2006/8/2(水) 午後 7:20 [ ten*n*nn*ozi ]
珍しいお墓ですね。一見したところ蟻塚にも見え、おかしみを覚えましたが見方によっては不気味かもしれませんね。像を彫ると言えば空海ですね。こちらでも大活躍ですね。
2006/8/3(木) 午後 11:51 [ tak*s*im*jp ]
takashimtjpさん コメント有難うございました。 写真で見ると、蟻塚のようにも、蜂の巣のようにも見えますね。こちらだけの墓制だったのでしょうか?別な所にも、同じような墓があります。こちらにも、弘法大師の伝説は多いです。来た事はなかったと思いますが。
2006/8/4(金) 午後 7:32 [ ten*n*nn*ozi ]