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さすがはプロ。スリは人ごみの中を逃げて姿をくらました。

なんだかクリスマスの熱気が急に冷めてゆき、自分の周りだけガラスで隔離されてゆくような気がする。ひとまず、飛び出したレストランへ戻り、友人二人と会う。ちょっとトイレへゆき、ベルトをはずし、裏側についたチャックを開ける。パスポートナンバー、ライカのM3のシリアルナンバーを書いた紙と万が一の時の日本円にして5万円ほどの紙幣を取り出す。これが役に立ったのは生まれて始めて。

友人二人には、こんなアクシデントで、せっかくの再会がスポイルされてしまったことを詫び、一人に大きいポンド紙幣をわたして、両替をしてきてくれるように頼んだ。そのレストランの支払いを済まさないといけない。レストランのマネージャーに、警察署の場所をたずねた。また警察の検証がきたときの協力と、スリの人相を訊かれたら証言してくれるように頼んだ。

そして警察署へ。イタリアの警官はのんきなものだ。一応の事情徴収をすませ、書類を書き上げ、旅行の盗難保険用にコピーをもらう。
「しかし、なんでイタリアにはこんなにスリや物取りが多いのか?警察はなにをやっている?」
「シ二ヨール。彼らを取り締まるなんて、それは無理だ。彼らはいわばアルティーストです。いわばスリと言う大道芸の天才のようなものです。すられる方も防ぎようが無いし、我々も事前につかまえることはおろか、現行犯逮捕も難しいのです。」
警察がスリを「芸術家」とか「天才」とか言っているのだから世話はない。

さいわい、カメラの代金は警察の調書がきちんと出たので、保険会社が払ってくれそうな具合だったが、ここで、予想外の落とし穴があった。パスポート。

なんと日本領事館へ行くと、即座の再発行には、本人であることを確認するために、兄弟、もしくは両親かの認知か、もしくは同じ会社の社員が立ち会わないと再発行は出来ないという。
「しかし、それだけのために親兄弟のいずれかをイタリアまで呼び寄せないといけないのですか?」
「そういうことになります。もしくは勤め先の会社の同僚の立会いが必要になります。」
「しかし、私の契約会社はインドにあり、私が雇われている会社はイタリアに支社はありません。」
「そうしますと、再発行は書類を日本へ送り、確認し、向こうで再発行してもらって、それを再び郵送してもらってのお渡しになるので、だいたい1ヶ月から1ヶ月半かかります。」
「1ヶ月から1ヵ月半???そんなにかかりますか?」
「ええ、こちらはもうクリスマス前ですから込み合っております。郵便物も1週間では届かないでしょう。そうすると日本では新年の休みに入りますから、日本で確認作業に入れるのは一月10日過ぎごろ、それから再発行してこちらに届くわけですから、最も早くて1月末、しかし、イタリアの郵便事情ですから、2月の第一週とお考えになられのが良いと思います。」
「それではこういうのはどうでしょう?私の顔写真と領事館の作った書類を、私が自前でDHLで日本へ送るというのは?DHLなら最短1日半で日本へ届くでしょう?その輸送費用は私が持つということではできませんか。」
「そうした前例はございません。FAXで書類を送ると言った前例もございません。通常郵便のやりとりで1ヶ月ほどお待ちいただくよりほかありません。」
「ホントですか。それはイタリアでパスポートと財布を同時にやられて、こちらに勤め先の出先支社のない旅行者は1ヶ月ほど足止めを食うわけですか!」
「そうです。友人がいらっしゃらなくて、宿泊がホテル以外にない方の場合、さらに仕事を抱えていらっしゃるかたなどは、簡単に100万円近い出費になるようです。しかし、それは私たちにはかかわりのないことです。」
とのいかにも官僚的な無愛想な応対。
「滞在するお金がない人は?」
「仮のパスポートで即時帰国していただくことになります。」
「それで、その飛行機代は?」
「正規料金でディスカウントなしとなります。」
「ファーストクラスじゃないでしょうね?そんな大金を払うくらいなら、Diplomat bag で送り返して欲しいモンです。」
私は皮肉をかました。

ちょっと、頭を冷そうと、カウンターを離れ、ミラノ近郊にある日本企業の住所録を見せてくれ、と言う。何か閃くかもしれない。親戚の勤めている企業のイタリア支社、ヨーロッパの友人の勤めている企業のイタリア支部、そういうラインから「私が私であること」を承認してくれる人を見つければ、パスポートは翌日出る。

ありました。私がかつて会社員時代、在籍していた会社の同系列の会社のミラノ支社が。その会社の社長は私が勤めていた会社の社長と同じです。私はニヤリとして、時計を見ました。日本はもう真夜中。私はその会社の電話番号をメモすると、職員に、明日朝に出なおします、と告げてアルベルトの家に戻りました。

翌日の朝、私はアルベルトの家の電話を借りて、そのイタリア支社に電話をしました。朝一番なら日本人駐在員がすでに出社してきている確率が高いと踏みました。
「どなたか日本の方をお願いします。」
「はい、お電話かわりました。」
「じつは私は日本からの旅行者なのですが、パスポートをすられてしまいまして、たいへん困っております。再発行には同じ会社の同僚のものの認知が必要ということなので、私はかつて御社の◎×社長の別の会社に勤めておりました関係で、ご助力お願いできないかと思いまして、お電話さしあげたしだいです。」
「そういう電話は月に一度ぐらいあるんですよ。イタリアでパスポートを盗まれる方は多いので。しかし、私どもといたしましては、R&F様がほんとうにそういう方かどうかはわかりかねますし、そういうご要望は一切お断りしている状況なのです。申し訳ありませんが、お力にはなれないと思います。」
「証拠はございます。いま、東京はまだオフィスに残っている人もおられるでしょうから、お手数をおかけしますが、電話で確認をお願いできないでしょうか。◎×社長のホットラインの電話番号とご自宅の電話番号をお教えします。メモのご用意はよろしいですか?東京の本社の総務か取締役の方にご確認ください。全社内でも社長のホットラインは5人ほどしか知らないはずです。私は社長の名代でアメリカへ行ったりして居りましたので、その番号を知っております。そういう人物がいたかどうか、私が本物かどうか本社にご確認くださいますか?あるいは私がそちらへ確認の電話を、総務部長か社長本人から入るようにお願いしてもかまいませんが。」
受話器のむこうで生唾を飲み込む感じがした。
「はい。わかりました。いますぐ確認いたします。今R&Fさまはどちらにいらっしゃいますか?」
「友人のところにおります。電話番号は********。なにとぞよろしくお願いします。」

10分たたないうち電話が鳴る。
「プロント。」
「プロント、ミキアーモ×◆▼。あっ、R&Fさまですか?」
「そうです。さきほど東京本社に電話いたしまして、間違いないと確認いたしました。私はこれからすぐオフィスを出てますが、30分後に領事館でお待ち合わせということでよろしいですか?」
「ありがとうございます。私はコート無しでツイードジャケットですので、すぐわかると思います。」
私はタクシーを飛ばした。無事パスポートは再発行されるはこびとなった。

「では、東京へ戻られたら、◎×社長によろしくお伝えください。」
「ええ、必ずそうします。ではよいクリスマスを。」
さて、パスポートはなんとかなった。しかし、タクシーに乗ったりで、財布の中はどんどん少なくなっている。私の飛行機はミュンヘンからロンドンへ飛び、日本へ帰る。財布の中の銭を読むと、どうやっても電車でロンドンへ戻るだけの金はない。もう許された時間も手持ちの金もない。絶体絶命はまだ続くのだった。

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