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子孫を守る

ここ数日、古い記憶と古い知識が結びつき、現代日本で失われてしまった「こころ」について考えていました。

私はずいぶんと祖父にかわいがられまして、理由はひとつには祖父の孫であったこと、それも本家の孫であったこと、幼少期に死にはぐったのが、なんとか元気に育ったこと、しかも、私が機械が好きで、祖父は某放送局の技術研究所の所長だったことから、孫が技術者になってくれることにひとかたならぬ思い入れがあったようです。

奇遇なことですが、海外放浪、遍歴の果てに、私が今の居をかまえたところの氏神さまは、祖父の研究所の敷地のところの氏神さまと同じでした。それに気がついたのは、住み始めて3年も経ったころのこと。

私と何歳も違わない歳の従妹のひとりは、私が小学校のころ、幼くしてなくなっています。

そうしたなか、祖父の関心は、私が健康に育つことによせられ、病気のあとなどには、「栄養をつけないといかん。ワシが魚を釣ってきてやる」などと言って、鯛を釣ってきてくれたりしたのを覚えています。また、台湾の友人からもらった果物やドライフルーツ、当時は高かったバナナやパインアップルなどを持って来てくれたものでした。

祖父は詩人のカーライルの親戚に英語を習い、英国に住んでいた経験があったことから、英語は堪能でした。私の野望は長らく、外国語で祖父と並ぶことでした。祖父の影響がなかったら、確実に、英国派の私も、自転車や機械が好きな私もいなかった。

祖父が亡くなって、私が中学生にあがろうという時、祖父の残した工具、ヤスリ、グラインダー、スパナ、ドライバーなどありとあらゆるものが私のところにきました。中学1年になると同時に「自転車をいじるための道具が一式手許に来た」というのは、まさに運命的だったと言えます。

もうひとつの遺産は、祖父のネクタイやら革靴、セーター、ツイードなどが来たことで、それは今の英国式のもとになりました。英国式のトラッドな服装というのは、その意味でたいへん経済的なものなのです。

私が母と夕方買い物に出ると、祖父はよく焼き鳥屋でビールを飲んでいました。私は当時も、青年期も、まったく意識しませんでしたが、ここ数年「あれはパブの替わりだったんだ」とはっきり思います。

祖父は最晩年は、昆虫を透き通った樹脂の中に入れて保存する技術で特許を取り、それで、私がひろってきた死んだコガネムシなどを保存していました。だいたい祖父がどういう道筋で考えたか、今ではよくわかる。「玉虫の厨子」の話があって、「トランジスターやダイオードを樹脂の中に閉じ込める」やりかたを知っていて、セント・ぺテルスブルクに2年間住んでいた祖父はなかに蜂の入ってる琥珀を持っていました。その3つがつながると、昆虫の羽根や蝶の羽を封じ込めた「人工琥珀ができる」。

私は祖父と世田谷の林のなかを歩き回り、虫を探して歩いていました。

その頃、祖父は農薬で虫が減っていること、虫に悪い農薬は人間にも悪いだろう、と私の父に家庭菜園をすすめていました。庭には桜の木などがあって、毛虫が付いたのですが、殺虫剤を使わず、物干し竿の先に油に浸した布をつけ、それに火をつけてさーっとあぶると毛虫がボトボト落ちてきたものです。まあ、今なら消防署がクレームをつけるかもしれませんが。

そんな祖父が、真面目な顔で、
「やがて、カブトムシやクワガタを養殖して売る時代が来る。」
と予想していましたが、みんな笑ってまともに取り合わなかったのを覚えています。

そのころ、世田谷のあちらこちらに、「畑として使わないから栗でも植えとけ」と言う感じで、誰も収穫しない栗がけっこうありました。私も小学生の特権で、拾い歩いていました。

「うん、これは健康的だ。こういうものを食わなきゃいかん。」
というのが祖父の口癖でしたが、その栗にもそういうコメントがついていました。

そのせいか、私の仲間が20代とか、30代前半とかで病に倒れてゆくものも少なくなかったなかで、私はここまで、さしたる病気もなく生きてくることができました。健康と言うのは「何十年がかりで維持できるもの」という感覚が有ります。それには祖父の影響が少なくない。

食生活とか、健康と言うようなものは、そうして何代にもわたってつちかわれてきたもののはずです。そうして、今の自分がある。そう考えたとき、今の放射能汚染騒ぎの中、いいかげんな判断でものを食べて自らの健康を損なったら、祖父にも祖母にも申し訳ないと思う。それは、自分の家族だけでなく、ひろく世の中の人々にも、「子孫への自分の責任」ということを考えてもらいたい。

実りの秋が来て、新穀や新米を氏神様にささげ、木の祠や藁の祠をあたらしくつくりなおし神の座を新しく居心地のよいものにする。本家へ分家の者たちも集まって、氏神様とともに食事をする、ここに意味がある。

この原発放射能汚染騒ぎの中、セシウムたっぷり、食べた牛を処分しないといけないほどの藁で、神の座をつくり、放射能で疑問符が付く食物を供え、みんなで不安と疑心のうちに食べるのか?はるかな先祖の代から家に付いた氏神様がそういうお供え物で喜ぶのか?

そう考えると、原発が日本の何を破壊するかわかるでしょう。

私の祖父は栗と桃が好物でしたが、今年は桃は供えません。熊本の栗とバナナ、マンゴー。神棚のお茶はやはり九州のお茶。お供えしたものが、自分へ戻ってくる「回向」えこうということは、そういうことだと思います。すべては自分のところに帰ってくると言えるのです。

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