『 米 山 』 石文
|
三輪田米山(みわだべいざん)は松山の生まれ。1821(文政4)年、伊予松山の日尾八幡神社神主三輪田清敏の長男として生まれた伊予の神主である。明治維新を境に幕末と明治の激動の時代をすごした。王羲之を初めとする書の古典を深く学び、独自の書風を形成し、大胆な表現を展開した。 1908(明治41)年に没し、2008(平成20)年は、没後100年にあたり、NHK日曜美術館で取り上げられ、「米山没後百年展」が愛媛県美術館で開かれた 戦前に佐伯祐三や墨蹟などのコレクションで知られる実業家・山本発次郎が米山書を積極的に世に出し、その魅力が広く知られるようになった。山本発次郎コレクションは現在、大阪市立近代美術館建設準備室に保管されている。 松山は何度も訪れていますが、講習会場とホテル往復だけで、自由時間がなかなか取れず、今回は13日の午後少々時間が。そこで米山の石文を観に。
黒住神社 愛媛県美術館近く 松山市松前町
養無・一誠 1895年12月 明治28 75才 客天満宮 松山市水泥町
神名石 1901年3月 明治34 81才
神名額 1879年5月 明治12 59才 木額(客天満宮)の下で遊ぶ小学生の子供たち。自転車で10人集合。 神社、お寺はいつの世も子供たちの遊び場。40年前の昭和の子供たちは、ベーゴマ、メンコ(埼玉ではブツケと言っていた)ビー玉、缶けり、陣取りと大騒ぎ。 平成の小学生たちは、木額の下で静かに流行のカードゲームに興じていた。 日尾八幡神社 松山市南久米町
鳥舞・魚躍 1880年10月 明治13 60才
上善・如水 ? 百度石 1890年12月 明治23 70才 参考ホームページ(多数の石文が紹介されています)
きまぐれ“あぶる”さんの http://blogs.yahoo.co.jp/luka_mtht
『三輪田米山の石文を歩く』 http://beizan-madonna-orange.rakurakuhp.net/ |
トラックバック(1)
トラックバックされた記事
トラックバック先の記事
- トラックバック先の記事がありません。





先生 おはようございます。
HPの紹介有難うございます。
TB&ポチ☆させていただきます^-^
2009/6/23(火) 午前 10:18
勝手にすみません。
またどんどん紹介してください。
2009/6/23(火) 午後 10:59
三輪田米山って、たとえば私のように大学で書道の教員免許をとるための授業を受けても、または書道部に所属していろいろ勉強しても、出てこない名前ですよね。実家にある「墨」のバックナンバーで「三輪田米山」特集をしていたので、それで知ったという感じです(あ、私まじめに勉強してないだけかな)。
2009/6/29(月) 午前 10:07
私も18の姫と同じですよ。
2009/6/29(月) 午後 10:56
大酒を飲んで書くと素晴らしい字が書けるという方でしたね・・・
たしかTV放映されたと思います
大きな大胆な字を書く方だったと思います
2009/6/30(火) 午前 8:17 [ 夢想miraishouta ]
夢想さん、米山さんは大酒飲みだったそうですが、実は書く文字を羲之系統から集字していたらしいです。
私はお酒の力で豪胆な字を書いたのではなく、緻密・繊細さを悟られないよう、紛らわしたかったのでは、と思います。
2009/6/30(火) 午後 11:11
なるほど・・・
心の奥深くはなかなか読めませんけど、米山さんも思うところがあったのですね
書も心を写したものでしょうから・・
2009/7/1(水) 午前 7:44 [ 夢想miraishouta ]
愛媛に行った時、三輪田米山の作品展を見た事があります。不思議な魅力を感じました。文字を羲之系統から集字していたそうで、やはりしっかり勉強しないと、良い書は書けませんね!!
2009/7/21(火) 午前 10:55
研究・勉強をしっかりやっていても、それを誇示しない自然な表現、素敵です。
2009/7/22(水) 午後 9:46