エコロジー的近代化論に対するラディカル派の批判
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「エコロジー的近代化」というキーワードでCiNii検索をかけてみたら、以下の14件の論文がヒットした(2011年10月10日現在)。日本では「エコロジー的近代化」に関する(あるいは、少なくとも、「エコロジー的近代化」という文言をタイトルに含む)研究論文が、現時点ではいかに少ないかということがよくわかる(3.11を契機に、今後急速に増えると予想されるが)。 http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E7%9A%84%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8C%96&range=0&count=20&sortorder=1&type=0 「エコロジー的近代化」という文言をタイトルに含む単行本は、日本では、現在のところ一冊も出版されていないようだ。 松下和夫さん(京都大学大学院地球環境学堂教授、エコ・フォーラム21世紀委員)によれば、 >ドイツ連立政府与党は、2011年5月29日、国内の原子力発電所17基を順次停止し、2022年までに、全て廃止する計画に合意した。福島原発事故を受け止め、化石燃料依存度を高めずに、原発廃止を早める方向に確実に動き出したのである。エネルギー転換のための費用負担など、解決すべき課題はあるが、基本的にはエネルギー効率改善と自然エネルギーへの投資を増やすことによって、原子力と気候変動リスクに立ち向かう戦略である。 ドイツでは90年代初めまでは、自然エネルギー産業がまったく存在しないも同然で、しかも他の多くの国に比べて、自然エネルギー資源の賦存量は豊かではなかった。それから10年もたたないうちに、自然エネルギーのトップランナーになったのである。2000年にはドイツの電力中、自然エネルギーの占める割合は6.3%強、2010年には17%となり、2020年までには35%、2040年には65%にしようとしている。ドイツの経験から、「明確に方向性を打ち出して、効果的な政策を施行すれば、急速な変化が可能であること」がわかる。ただし、これらの変革のきっかけには、地域からのボトムアップの消費者運動や市民運動があったことも銘記する必要がある。たとえば、自然エネルギー普及のきっかけとなった固定価格買取制度は、アーヘン市の制度がモデルとなったのである。 http://www.worldwatch-japan.org/NEWS/worldwatchreport110826.htm オランダ人のモル他による『世界各地のエコロジー的近代化』(Arthur P.J. Mol and David A. Sonnenfeld, Ecological Modernization Around the World, Routledge, 2000、邦訳なし)という本の「序文」によれば、 >エコロジー的近代化理論は、1980年代初頭に、主として西ヨーロッパ諸国(特に、ドイツ、オランダ、英国)の小さなグループの中で最初に生まれた。Martin Jänicke, Volker von Prittwitz, Udo Simonis and Klaus Zimmermann (ドイツ), Gert Spaargaren, Maarten Hajer, and Arthur P.J. Mol (オランダ) and Albert Weale, Maurie Cohen and Joseph Murphy (英国)といった社会科学者たちが、エコロジー的近代化理論の発展に大きく貢献した。最近では、エコロジー的近代化に関する実証研究も行われるようになった。特に、フィンランド、カナダ、デンマーク、リトアニア、ハンガリー、ケニア、東南アジアなどを対象とする実証研究がおこなわれている。しかし、おそらくエコロジー的近代化理論の創始者とみなされるべき人物は、ドイツの社会学者のヨーゼフ・フーバー(Joseph Huber)だと思われる。 エコロジー的近代化理論が誕生してから比較的わずかの年月しか経っていないが、この理論はかなりの多様性と多くの論争をともないつつ発展してきた。各国ごとの背景の違いや理論的基盤の相違があるだけでなく、時の経過に伴う差異が生まれている。エコロジー的近代化理論の発展と成熟に関して少なくとも三つの段階を区別することがさしあたりの目的のために有益であろう。 http://www.tricity.wsu.edu/sonn/ecomod_intro.htm エコロジー的近代化論の「三つの段階」については、孫引きではあるが、すでにこのブログで紹介してある。 エコロジー的近代化についてのメモ http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64631223.html http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64631228.html Hein-Anton van der Heijden『社会運動、公共圏、ヨーロッパの環境政治:緑のパワーのヨーロッパ?』(Social Movements, Public Spheres and the European Politics of the Environment: Green Power Europe?, 2010、邦訳なし)の第五章では、ラディカル・エコロジズムとエコロジー的近代化に関する諸言説(弱いエコロジー的近代化論と強いエコロジー的近代化論)が、「さまざまなアイディア、概念、カテゴリー化の特定のアンサンブル」として分析されている。なお、この本の第二章では、「等値化の言説(discourse of equivalence)」と「差異化の言説(discourse of difference)」という区別が導入されている。「等値化の言説」とは、言説を通じて構築される異なる立場ないし主体の両極化、および、この二つの極を相矛盾した、不等で、敵対的なものとして解釈することを意味する(「等値化」と「差異化」という訳語を逆転させた方がわかりやすいかもしれない。ここでの「等値化」とは、対立する二つの極「それぞれの内部にある差異を等値化する」という意味。これに対して二つの極はむしろ互いに差異化される)。これに対し、「差異化の言説」とは、イデオロギー的に構築された敵対関係を、一つの、同一の、包括的な視点内部の差異として再解釈することによって、この「内部的」敵対関係を中立化・緩和しようとする(この場合「差異化」とは「基本的に同一のものの内部の小さな差異」ととらえる、ということ。「小異を捨てて大同につく」という立場)。 Hein-Anton van der Heijdenによれば、ラディカル・エコロジズムとエコロジー的近代化論とを明確に区別する特徴の一つは、ラディカルエコロジズムが明らかに「等値化の言説」の特徴を示している(敵を明確にする)のに対して、エコロジー的近代化はどちらかといえば、「差異化の言説」(まあまあ、みんな基本的には同じなんだから・・・)と呼ぶことができる、という点にある。 しかし、エコロジー的近代化論それ自身の内部において、二つの流れを区別することができる。すなわち、「弱いエコロジー的近代化論」と「強いエコロジー的近代化論」である。強いエコロジー的近代化論の「善き社会」像は、ラディカル・エコロジズムの「善き社会」像と数多くの点で類似している。ラディカル・エコロジズムと強いエコロジー的近代化論が思い描く「善き社会」を実現するためには、現在支配的な経済的、社会的、政治的な構造を根本的に変化することが必要であると考えられている。しかしながら、ラディカル・エコロジズムが「善き社会」を実現するための方法について沈黙を保っているのに対して、強いエコロジー的近代化論は、進化的・漸進的な(革命的ではない)変化を選択している。したがって強いエコロジー的近代化論において、必要とされる構造的な変化は「等値化の言説」を強く想起させるが、これらの変化を実現するための方法については、「差異化の言説」に類した戦略から出発する。(つまり、長期的な目標は「二者択一的」だが、短期中期的な戦略――具体的な実現方法、もしくは、変化のプロセスについては、「小異を捨て大同につく」的な、いわば「統一戦線」的戦術をとる、ということ。) カントの構成的理念(柄谷行人『世界史の構造』岩波書店、2010年参照)的な「究極目標」としては、ラディカル・エコロジズムも強いエコロジー的近代化論も、いわば「脱成長」運動や「ポスト開発」思想が理想とするような、脱資本主義・脱国民国家・脱産業社会・脱労働社会・脱中央集権システム・脱専門主義・脱エリート主義・脱テクノクラシー・脱官僚システム・脱近代・・・・的な(本ブログの基調をなしているような主張)、政治・経済・社会・文化・ライフスタイルの大転換を目指すのだが、中短期的な変革の具体的プロセスとしては、強いエコロジー的近代化論は、当面弱いエコロジー的近代化論とも部分的な連携をはかりつつ、ピースミールでグラジュアルな変革を目指す、ということなのだろう。以下に、ラディカル・エコロジズムの立場からのエコロジー的近代化論批判を紹介する。 HTTP://WELLSHARP.WORDPRESS.COM/2008/09/13/ECOLOGICAL-MODERNISATION-THEORY-AND-THE-CHALLENGE-TO-RADICAL-GREEN-POLITICS/ SEPTEMBER 13, 2008 • 5:08 AM Ecological modernisation theory and the challenge to radical green politics 「エコロジー的近代化理論と、ラディカルな緑の政治に対する挑戦」 上記英文は、ニュージーランド人によるエコロジー的近代化論に対する批判である。 >経済成長と環境悪化との間には強い因果関係がある。したがって、地球と地球上に暮らす、人類を含む全ての生物種のために、量的な経済成長に終止符を打たなければならない。無限の経済成長は不可能である。私たちは経済成長メンタリティを克服しなければならない。 >しかし、保守派のニュージーランド国民党の環境主義者たち(青緑派)は「経済成長と環境改善は両立しうるし、両立しなければならない」と主張する。社会民主主義派のニュージーランド労働党もまったく同じで「きれいで健康的な環境は、経済成長と万人のための生活の質の向上の鍵となる社会的機会と両立する」と主張している。主流の政治グループは、細部では異なる点があるにせよ、環境問題については経済成長と環境保護が両立可能であるばかりか、実際には相互に補強する関係があると主張している。このような主張はペテンであり、緑派の思想を180度逆転させるものである。ペテン師たちの合言葉は「持続可能な開発=発展」うんぬん。(続く)
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