ゼネコンも応援?
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いつも鋭いflurryさんのtweetから >なんかもう泣ける。> 除染、大手ゼネコンが本格参入 地元業者は危機感 http://t.asahi.com/5eza >見てのとおり、資本の論理と共同体の論理というのは、その時々に応じて都合良く使い分けられるわけであってね。「食べて応援!住んでいるひとを応援!除染も応援!」→「あ、大企業が受注しましたが何か?」 http://twitter.com/flurry ※市の全域除染、400億円で発注 南相馬市、福島で初 http://www.asahi.com/national/update/0202/TKY201202010800.html >東京電力福島第一原発の事故に伴う除染で、福島県南相馬市は、市内の生活圏全域を400億円でゼネコンに一括して発注することを決めた。 no1hasgoneさんも鋭い >インタビューで細野大臣。「シナリオの内容は現実にあり得ないもの。当時公開していたら、東京から人がいなくなった可能性があった。そうなれば、事故対応は危うかった」 [link]47NEWS(よんななニュース) : http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012901001214.html >細野大臣の本音は。「最悪シナリオが現実になろうが、その前に公開しようがどちらにせよ政府には対応能力がありません。なので、現実にならないことに賭けます」 …情報公開の是非ではなく、政府も東電も一旦起きた原発事故には対処できない状態のまま運転が続いている、ことが最大の問題。 http://twitter.com/no1hasgone なにを今更。 ――flurryさんとあらら(As Low As Reasonably Attainable)さんは、たぶん、二人とも女性研究者だと思われるが、いつも本当に鋭い。 http://twitter.com/A_laragi >必要なのは理解を求める言葉であって、敵対を煽る言葉で勝ち目はないですよ。 >これはどこまでいっても合意の問題ですよ。 >そこで福島の人を攻撃したら、終わってしまうということです。 >人間は誰しも、リスク比較を行なっているのです。チーム中川(このくらいなら大丈夫派――引用者)の問題は、そのことを無視して、リスク比較の主体性を、一人ひとりの人から掠め取ろうとしているところです。 ※わたしの第一印象。 「早川由紀夫の火山ブログ」2011/8/6(土) 午前 11:05 http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64636273.html 加害者と被害者を取り違えてはいけない →現状をできるかぎり冷静にとらえたうえで、これまでとは異なる未来を、社会の大多数をかたちづくる、ふつうの人びとの合意によって、創り出していかなければなりません。3.11の教訓を生かすこと、再び3.11を生まない未来を創り出すこと、それがわたしたちの責任です。 →で、どうすればいいのか。自然科学者だからといって、放射能の危険を訴えるだけで、社会の問題に目を閉ざすことは許されません。加害者でもあるわたしたちが、(狭い意味での「自己防衛」をはかるあまり)福島の人々を切り捨てることは許されません。「個人的に対処する」(それも必要ですが)だけでは、問題は片付きません。一市民として、共に考え、行動し、未来を模索していかねば。。。 (2012/02/02追加)平川秀幸さんのtweetから
>「安全/安心」=「科学/心理」という二分法を、感情の公共的次元に光を当てることで転覆させたい・・・ >不安の問題は単なる「心理」の問題なんかでは決してないことです。とくに不信と不満(怒り――引用者)は社会的・政治的な問題の表われですし。「安全/安心二分法」は不安の公共的次元を個人心理に縮減し、さらには心理的操作対象とする点で有害です。 >僕はよく「不安は不確実性・不可逆性・不信・不満の4つの不から成る」と説明してます。不確実性は知識のそれで、「現在、安全だということの根拠になってる知識が本当に正しいかわからない、将来誤りだとわかるかもしれない」という恐れ。不可逆性は「取り返しのつかない不幸なことが起きたらどうしよう」という恐れ。不信はいうまでもなく、リスクをともう行為や技術の主体や、リスク評価・管理する主体に対する不信感。不満は、意思決定において自分たちの意見や疑問に対して政府や専門家が聞く耳を持たないことに対するものです。 http://twitter.com/hirakawah http://togetter.com/li/251097 |
