情と理のあいだ
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除染ごみの仮置き場となった福島県大熊町の町営野球場。除染ごみ1立方メートル入りの袋が1日200〜400個運び込まれる=[2012年2月]9日午後 http://www.47news.jp/photo/365193.php 「というのも、会話というのがつねに情(ハート)と理(リーズン)のあいだを行き来するものであること、つねに複数のシステム内部およびそれら相互の関係とコミュニケーションとを扱うものであることを、それが思い出させてくれるからである」(メアリ・キャサリン・ベイトソン) >警戒区域内モデル除染の実証試験も佳境に入りデータもまとまりつつあるみたい。これが終わればいよいよ結果を踏まえどこかの企業が落札し大規模プラントが造られる。除染にかける予算は莫大なんだ。オイラはそこまで大金かけて元に戻る成果が出るとは思えないでし。同じ大金かけるなら老人や子供が安心して暮らせる新たな緑豊かな未来地区を造り、避難してる人が暮らせるようにして欲しい。そして未来地区を造る為の雇用は避難してる人を優先に雇用し、自らの手で自らの住む場所を造る喜びと希望を与えて欲しいでし。 http://twitter.com/Happy20790 除染政策批判をつぶやいてたらそれどころじゃない話が http://togetter.com/li/255227 >未だかつて、自分の領土から領民が出ていってもいいよ、などと言った権力者の存在はなかろう。それは「敗北」を意味する。生徒が不登校になるのが許せない教員、みたいなものだ。自分の権力が弱まる。自分の仕事が、存在意義が無くなることを自ら行えるわけがない。 >これから放射能と何十年、何百年?もの戦いですので、冷静な対処をお願いいたします。 >関東に住む以上、さまざまなものから逃れられませんので、ご自身の許容値というものを設定せざるをえないのではないかとも感じます。 和田誠ポスターに対する静岡大学理学部化学科坂本健吉教授による批判 http://togetter.com/li/255206 >お母さん達の怖い思いやパニックの原因は,爆発した4つの原発とそこから降ってきて土や水や森や山や公園を汚した放射性物質,ザル検査で流通しまくりの汚染食品,そして政府や東電,自治体の不信感を招く対策,ではなくて,このポスターであるというのが「科学的な」反応ということですね。 >いろいろツッコミたくなるけど、とりあえず <今もお子さんにしんしんと放射能が降り続いているように感じられるのでしょう。もちろんそんなことはないわけですが> とサラリと記述されるところが秀逸だと思う。 >あの方達、福島母子への差別差別って連呼してるけど、私(茨城在住)や、友達(さいたま、都内等など)などの東日本のハハ達は皆、自分と子どもを重ね合わせてました。そうした感覚がわからないのでしょうかね。 >何ごとも波風を立てず、なかったことにしたいあまり、アーティストの表現にまで口を出す人たちというのは、理解に苦しむな。坂本氏の「原発については科学的に議論すべきで、こういった叙情的手段での世論喚起は不要だろう」などという発言は、SFとかホラーの世界に出てくる狂人の台詞ですよね。 >すばらしい作品だ。だいたいこういうときはもっと風刺画とかどんどん出てるのがふつうだ。 >どう感じようが勿論その人の自由だが、「有害絵画」と言わんばかりの主張は感受性の問題ではもはやない。その裏付けが「科学的」の三文字…何かこの国の科学教育は根本的に間違っているのではないか。 ※再臨界をめぐるキクマコ君と紀藤氏のお話の解析 http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/1155.html >しかし、どんなに低い確率でもゼロではないのだから、「ゼロではない」と言った方が正確なのは当然です。今回の発表でも、例えば「温度上昇の原因は不明だが、検出されている核種の分析などから、再臨界の可能性はほぼないと判断できる。注水量を増やすことで対処を行なう。これによって再臨界が起きる可能性もほぼゼロであるが、念のためにホウ酸を使用する」のように断言せずに正確な発表を行なうことは十分にできたわけです。 にも関わらず、「再臨界はない」と断言したわけですから、断言した側にはそれなりの動機があったと考えられます。一番考えられるのは、再臨界の可能性を少しでも残すことで、「すわ、再臨界か!」といった騒動が起こることを避けたかったということだと思います。そこで想定されている人々は、端的に言うと「愚民」のような存在です。断定によって逆に紀藤氏からの批判を受けているように、情報をきちんと判断するような人からは断定はむしろ非難の対象となるわけですから、逆効果です。 こうした「愚民」的存在を想定して、「ほぼゼロと言えるほど低い確率」を「ゼロ」と言い切ってしまう言い換えは、原発の安全神話の言説の中でくり返し用いられてきました。 簡単に図式化してみます。まず、参与者は以下3者です。 A 情報の発信者 B 情報を的確に判断できる人々 C 情報を誤解して(Aから見て)不適格な行動をする人々 Cは状況に応じて、「反原発運動家」であったり「農家のおじいちゃん」であったり、「小学生」であったりします。Cなんて本当にいるのか?というのも実は疑問ではあるのですが、まあ少なくともAとこの情報発信を肯定する場合のBの頭の中には存在するとして話しを進めます。 次に情報は、 a その状況を最も的確に表現した情報 a' Cがaによって不適格な行動を取ることを防ぐためにaを改変したもの の2つです。Aは当然正確なのはaであることを知っていますが、C対策としてa'を発信します。Bは、正確な情報はaであることを見抜くわけですが、即批判するとは限らず、場合によっては擁護したりします(キクマコ君はこっちですね)。 さて、ここで、aでは「ゼロではない」ものがa'ではゼロになっています。つまり、本来行なわれるべき対策が行なわれないことも考えられるわけで、これは実はAにとってもBにとっても困った事態になります。にも関わらず、この情報発信が時としてBにも許容されるのは、「AはC対策としてa'を発信しているのであって、正確にはaであることを当然知っている。だから実際の対策はaに基づいて取られるはずだ」ということが暗黙の前提になっているからです。最初の話は、この前提に全くあてはまっています。 対外的な発信としてはa'「再臨界はない」、正確な情報aは「再臨界の可能性は低い」、現実の対策はaに基づいてホウ酸を入れているわけですね。 いつでもこううまく行けばいいわけですが、福島原発事故の検証から明らかになったことは、aが正確で、a'は方便だと知っていたはずのAが、いつの間にかa'を事実のように信じてしまったとしか思えないような対策をしていた、ということです。実例はいくらでもありますが「貞観津波のような津波は想定しなくてもよい」でも「軽水炉はメルトダウンしない」でも、「全電源喪失は想定する必要はない」などが代表的なところになります。これらは原発村が御用学者をやとって、反対意見を徹底して抑圧していた言説です。つまり、原発村は、これらの言説がa'であって、「貞観津波があった」ということは認識していたから、抑圧していたはずです。 しかし、実際には、aつまり想定以上の津波が来た場合の対策は全く取られていませんでした。あろうことが非常用ディーゼル発電器を2機とも地下に移設する、つまり津波が来ないことを事実として想定したような改悪から被害の拡大を招くという事態に至ったわけです。 つまり、この話法は、頭がいい(と自分では思っている)人にとっては魅力的なようですが、使っている内に自分が使い分けていると思い込んでいる本音と建前の、建前の方を事実と思い込んで深刻な被害をもたらすという重大な副作用がある、というのが今回の事故の大きな教訓です。 ※ 'Abundance of birds in Fukushima as judged from Chernobyl' 「福島の鳥への影響はチェルノブイリより強い」とする論文 http://bit.ly/ysQsBW >The relationship between abundance and radiation was more strongly negative in Fukushima than in Chernobyl for the same 14 species, demonstrating a negative consequence of radiation for birds immediately after the accident on 11 March 2011 during the main breeding season in March-July, when individuals work close to their maximum sustainable level. st7q高岡 滋 >過去の水俣病の対応は…動物の異変無視→排水止めず→健康障害が潜在的に進行→行政対策なし、学者は調査せず無関係と言う→異常が出ても関係ない、別の病気と強弁し続ける。 「ひかぬ、こびぬ、かえりみぬ!」
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