てっちゃんのまったり通信

まことに恐縮ですが、ネットビジネス系のコメントは削除させていただきます。ご了承ください。

583系引退の時

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別にこの発表を待っていた訳ではないが

記事にするタイミングを失って

お蔵入り寸前であった583系。

昨秋の尾久車両区の開放の際に撮影したものである。

この企画の目玉だったが引退が近いというムードが漂っていた。

「最後だよ。見ていって・・・。」

583系本拠地秋田から浦安の某巨大遊園地までの

「ワクワクドリーム号」運用も昨年末限りで立ち消えのまま。

各ブログでは、その消息のなさを心配する声が多く聞こえた。

実際告知も無いまま自然に消えていく列車は数知れない。

まさか、これだけの実績、人気を誇る列車がそんなことはないだろうと

趣味人の心配をさらいながら時だけが過ぎていった。

このままイベント列車として生き残るという朗報を待っていたが

目にしたものは想定内とは言え、残念なものだった。

このような報せは、何度遭遇しても慣れるものではない

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ここは、気持ちを変えて、今一度走行する機会を与えられたことを喜ぶべきなのだろう。

最後の姿は

4月2日に秋田、湯沢間、4月8日に秋田、弘前間で。

485系引退の際は直前に横浜を中心に首都圏での最後の姿を披露する機会があったが

583系は現在そのような予定は聞こえてこない。

首都圏でその姿を見ることは、もはや、叶うものではないだろう。

昨年の485系の例から見ても「はつかり」「はくつる」「みちのく」いずれかのヘッドマークで

有終の美を飾るのではないだろうか。

沿線は485系の時と同じように

熱心な趣味人で賑わうことだろう。

私も参加したいのはやまやまだが、流石に秋田は遠い。

ここは真に583系を愛する方々にその席を譲るしか無い。

参加した方々の作品を拝見するのを楽しみにすることとしよう。

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正面から見た顔は3灯の485系と基調の色を除けばほぼ同じである。

しかし3段寝台のキャビンは屋根が高く、運転席側面窓から寝台屋根に向かう

ブルーの流線型のデザインが独特で583系のファンの間でも人気が高い。

側面は夜の闇を走る大人の特急列車の風格を感じさせる。

さり気なく付されている寝台特急を現す星のマークも魅力的である。

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4月の最終運転の際にどのような企画がなされるのかは不明だが

485系の時に行われたSLとの同時発車のようなことは無いだろう。

昨年8月に「あいづ」に充当された際に「ばんえつ物語」と並んだ583系。

SLと顔を合せるのはこの時が最後だったのではないかと思う。

石炭の煙の匂い、輝くウイングマーク。良い思い出だ。

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その歴史もあと一ヶ月半ほど。

4月初めの秋田はまだ雪景色かもしれない。

雪国の寝台特急にふさわしいラストランになるのだろう。

また、国鉄時代が消えていくのは寂しいが

どのようなものでも、壊されるために生まれて来るのは

世の理(ことわり)である。

要はどのように生きたか。

惜しまれつつ去るのは幸福なことかもしれない。

言い尽くされた言葉であるが

昼に晩にお疲れ様。皆の期待は重いかもしれないが、あと少し。

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貴重な一枚

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お医者様でも草津の湯でも、と言われたあの草津温泉に向かう吾妻線に

ダムに沈む予定の温泉街があった。

かなり前に訪れたのであるが、当時も「ダムに沈む予定である」

と言われていたが、いっこうに計画が進まず立ち消え?なんて噂もあった。

木造駅舎から続く温泉街。

共同浴場があり古い旅籠と言う感じの温泉旅館やちょっとした土産屋

疲れ休めの喫茶店などがあり

古き良き温泉街の風情であったと思う。

目的なくそぞろ歩いているだけでも楽しい時間を過ごすことが出来た。

このままダムの計画など無くなってしまえばと無責任に思ったのを覚えている。

先日何かの弾みでその温泉街がついにダムの計画に飲み込まれて

なくなってしまったことを報じたニュースを見た。

温泉としては高台に移転したがあの町並みを歩くことはもう出来ない。

あの共同浴場も、いつか泊まってみたいと思っていた

モモンガが来る宿も、もはや存在しない。

そのニュースを見ながら、「そうか・・・」とつぶやき

しばし、あの時に見た風景を思い起こしていた。

記憶の彼方には残っているが二度と見ることが出来ない風景。

鉄道の世界でも毎年のように貴重な想い出の風景が失われていく。

来年の今頃は小田急の沿線もこの列車を惜別の思いで撮影する人が増えるだろう。

単独での走行シーンを撮影することもだんだん困難になってきた

VSEの代走にLSEが充当されたことで実現したLSE同士の交換風景。

箱根登山線の箱根板橋駅での一コマ。

一昔前までは当たり前に見られた風景であるが

今では貴重な一枚になった。

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渋沢、新松田間の山間区間では昨日の雪が木々に残って輝いている。

先週は189系、今週はLSEと連続しての雪景色が頭をよぎる。

新松田駅の駅を降りると路面は凍結状態。

地元の方々も方々で転倒している。

これは私のバランス感覚では確実に大怪我するだろう。

この日のメインディッシュはやはりLSEの交換風景。

そこまでたどり着かなくてはいけない。

もったいないなぁ、いい景色なんだがなぁ。

とは思ったが山へ向かう道に背を向けることとした。

その思いは新松田市街地でプチ雪景色撮影で。

LSE一番列車。これで一応2週連続の雪景色撮影達成としよう。

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「いやぁ、今日はLSEが2本走っていてよかったねぇ」

顔をみるなり、そう言葉をかけられた。

先日新松田の撮影地で知り合った方である。

その際は富士山が急に雲に隠れてしまい

富士山とLSEのコラボをバックショットでしか撮影できなかった。

ヘッドライトを求めて追試として再度この場所に立ち寄った。

鉄道好きの中にも色々な方がいるが

この方はいわゆる音テツという部類。

ゆえに音を聞いただけでどのタイプの列車が通過しているか分かるのだそうだ。

これは驚く。

しかも、この川沿いに住居をかまえ

日中はここで富士山と小田急線を眺めているのが何よりの楽しみとのこと。

そのために仕事も夜の仕事を選んでいるらしい。

本当に小田急線を愛してやまない方なのである。

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三脚とカメラの放列が並ぶ中、iPHONEを片手に黙々と動画を撮り

「いい音じゃないな」

と言って、私から見ると消すなら頂戴。と言うような素晴らしいものも

さっさと消してしまう。

青空が広がってこちらがホクホクするような天気でも

「風が強い。」と言ってがっかりしている。

ピリピリしているカメラマンの真ん中で

飄々と簡易腰掛けに座ってiPHONEを手に列車を眺めている姿が印象的。

ちょっと僕は君たちとは違うよというオーラ満載である。

その方のもう一つの嗜好が

列車同士のすれ違い動画の撮影。

それも駅での交換風景ではなく動いている者同士でなければダメだという。

どれだけハードル高いのか。

一体何処でどのタイミングですれ違うのか普通は分からない。

それでもVSE、EXE、MSE同士のすれ違い撮影は成功したらしい。

しかし流石にそんな彼でもLSE同士は成功されていないという。

「もう時間がないし、しょうがないからLSEの並びは駅での交換でもいいかな」

なんてことを仰っていたが

そんなことを言わずに、是非走行中のLSEのすれ違い動画の撮影に

成功してほしいものである。

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その人に「あの音は好きですねぇ。」

と言わせた箱根登山鉄道の吊り掛け音。

この人なら110号とその他の旧型車両の音も聞き分けられるのだろうか。

この日は110号機引退前日。

湯本の駅には「本日の110号運用」なる張り紙も。

「60年分のありがとう」という新しい慰労ポスターも見られた。

塔ノ沢で撮影されたもの。

まさにここで撮影しようと思っていたものだった。

ん〜先にやられたか。

時間の関係もありポスターからこの風景を頂戴し塔ノ沢の撮影はキャンセル。

スイッチバック駅の大平台へ向かった。

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粉雪舞う大平台の駅に旧型車両が登ってくる。

その様子は登山列車という名の通り登ってくるという表現が似つかわしい。

登山者が荷物を抱えて山小屋の扉を開く様子に似ているような気がする。

110号機が引退を迎えたからには

これらの旧型機たちの引退も近いだろう。

思い出に残る強羅から早雲山のケーブルカーなどは

とっくに新型に入れ替わっている。

子どもの頃の記憶のまま存在し続けているの姿を見るにつけ

よくここまでもっているというのが正直なところ。

110号機は私の記憶の前の塗装であるが

小田急のSE特急・NSE、そして今のLSEにあわせた塗色で

旧型の列車はまだ走り続ける。

新宿から箱根湯本を経由して強羅まで

この塗色はセットになっている。

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坂道を越えて110号機もその姿を現した。

この日を入れてあと2日。

あと少し頑張って、あとは孫の面倒でも見るか。

なんて言いながら荷物を上げてくるシェルパのようだ。

110号機の余生はどうなるのだろうか。

どこかで保存されるとか言う話は聞こえてきてはいない。

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「60年分のありがとう」

ネットで見ると最終日の今日。

湯本や強羅にはホームからあふれんばかりの人で

その花道を飾っているらしい。

60と言えば人間でも定年の年。
(ま、人間は生まれてすぐ仕事をするわけではアリませんがね。)

定年を花道で飾れるというのは60年間いい仕事をした証である。

私も意識をしないまま子どもの頃からここを訪れる度に

彼にはお世話になっただろう。

ここは素直にお疲れ様でしたと言う言葉を贈りたい。

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LSEの交換風景をもう一枚。

作品の出来はともあれ、撮ろうと思っていたものを

予定通り撮影出来た一日だった。

「♪人生は紙飛行機願い込めて飛んで行くよ

風の中を力の限り

ただ進むだけ・・・」

そんな歌が頭の中をよぎった。

残り時間は少ないかもしれないが

ただ進め・・・・。

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天国の景色と国鉄色

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天国というものが存在するのであれば、それは、きっとこんな景色なんだろう。

ふと、そんなことを思った。

民家の屋根まで積もった雪の壁を踏み固めながら登りつめると

目の前には、白い雪の平原が広がっていた。

その表面にはふわりとした霧がかかり

優しく平原をなめる風にゆらゆらと揺られている。

その向うには雪で化粧をした林と低い山の頂きを見ることが出来る。

雪による効果なのか静寂につつまれ、空気はキンと冷たく澄んでいる。

かといって寒くはない。

この写真ではたぶん、伝わっていないと思うが、初めて息を呑むという言葉の意味が

分かった気がした。

ふと、横を見ると民家の屋根。降り積もった雪の上にいるのだから

夏場では考えられない場所、まさに、空中に浮遊しているわけである。

そういう意味でも確かに天国かも知れない。

そして、そこにあの189系の国鉄色が通るのである。

ちょっとワクワクしたが、この素材をどう料理したらいいのだろうと

むしろ、途方にくれた。

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数年前に「特急ときの時代」という写真集を購入した。

新幹線開業前に上越線の看板特急だった「とき」を中心に

その次代の特急、急行列車の写真を集めたものだ。

積雪の多い上越を雄々しく走り続けた特急色。

白銀に国鉄特急色が良く映えていたし、

厳しい気候に立ち向かった力強さを感じたからだ。

その当時、ちょうど200系の撮影で越後湯沢を訪れることが多く

これも、国鉄特急色の183系列車で運用されていた「シーハイル上越」

というスキー客向けの季節快速列車をよく利用していた。

その際、乗っていて不安になるような上越の気候を体験していたので
(事実1回積雪の関係で3時間ほど遅れたことがある。」)

余計この写真集に惹かれたし、もう、こんな機会はないと思いつつも

こんな写真を撮ってみたいと考えていた。

2月4日一日限りの復活と銘打ったこの企画を見た時

多分上越路を走る国鉄特急色を撮影する機会はもう無いだろうと感じた。

これは行くしか無いだろう。

あの厳しい気候に対峙することも覚悟して訪れた上越路。

しかし、予想に反してこのような好天となった。

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天国の景色の中、赤とクリーム色の車体が姿を現す。

それは、それは、静かな登場だった。

そのように感じたのは私だけなのかもしれないが、ほとんど走行音が聞こえない。

雪の上をただ滑るように189系国鉄色は走っていく。

それは、あの写真集とは違い、あまりにも穏やかな一瞬であった。

順光に映える国鉄色。

天国の景色とマッチして神々しくさえ見えた。

勝手な思いであるが、その姿を見た時に

これが上越路での最後の花道になるのだろうと感じた。

写真としては褒められたものではないし、上手く表現出来ないが

その衝撃は私の目を通して、後頭部まで貫いていった。

こんな体験は初めてである。

通過後にしばし呆然。

それだけに上手く写真として残すことができなかったのが悔しい。

復路の撮影も考えたが、別件もあり、これ以上のロケーションは考えられず

あっさりと進路を反転させ東京方面に戻ることとした。

今回はこれでいい。できれば次回があって欲しいがたぶん無理な注文だろう。

私にとって幸福な一瞬だった気がする。

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蛇足ではあるが帰り道。

フリーきっぷに頼って鈍行列車の乗り継ぎで東京方面へ向かう。

沿線は素晴らしい景色が続き、私の目を楽しませてくれた。

負け惜しみでは無く新幹線では味わえない贅沢な時間を持てた。

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水上での乗り継ぎ。

多分この色の、この列車が待っていてくれているだろうと思っていた。

湘南色の115系。

この色も国鉄の遺産であるが、やはりどんな風景にもマッチしている。

この日の私はどうも感情に破綻をきたしていたようで

雪深い山間の温泉駅に佇む115系にも感動してしまった。

四季おりおりの景色の中で走り続けた国鉄色。

この日は余計なことは考えずに、その姿に素直に感動していよう。

と、これまた素直にそう思った。

不思議な一日であった。そして、心地の良い一日であった。

国鉄色と奇跡的な雪晴れに感謝しなければなるまい。

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はるかな星が

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はるかな星がふるさとだ☆彡

ウルトラセブン。

知人が取ったガチャガチャの景品。

このフィギュアの売りは目が光ること。目が光ると命が宿るというか

固定されたポーズでも動き、力強さを感じる。

早速借りてスマホで撮影会。

気に入ると何でも写したくなるのは病気に近い。

色々な角度で透かしてみて絵になる角度を探す。

もともとウルトラセブン自体が

ウルトラマンと比べて暗めのライティングが多かったので

逆光で攻めてみる。売りの光る眼も強調できる。

おお、カッコいいぞ。

昨今のデコレーションウルトラマンと違ってシンプル。

いい時代にウルトラシリーズを見たものだ。

キチンとしたストラクチャーがあれば全身いくのだがなぁ。

できれば光るキングジョーなどあれば最高。

久し振りにウルトラセブンのDVDが見たくなった。

やっぱりウルトラマンとウルトラセブンはこの分野の両横綱ですな。

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明るいとちょっとアラが目立つかな。

モノはカプセルトイですから結構小さい。

しかし、この大きさでこの精巧さは驚き。

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原点

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「ああ、そうか・・・そうだよな」

そう言う父の手にあるのは、当時まだ硬券、手書きのロマンスカー特急券。

そこには、1号車の1番の文字が踊っている。

「すごい席が取れたぞ。楽しみにしてな」

得意そうな父の顔を見て子ども心にある予感に震えた。

「ねぇねぇ!一番前?一番前なの!」

父はただ、静かに笑っているだけだった。

ロマンスカーの一番前。

これは多分、昔も今も変わらないプレミアムなものだ。

その頃は優雅などという言葉は知らなかったがデラックスと言う言葉は知っていた。

そこら辺にやたらと横行している偽物のデラックス。

ロマンスカーで過ごす時間はそんなものとは違う本物のデラックスが漂っていた。

しかも、一番前。絵本で見ても一番前に乗っている人はみんな笑顔だった。

そんな席に座る自分を想像することもできなかった。

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折角だから早めに駅に行こう。

いつもロマンスカーに乗る前に買う「♨はこね」の文字が入った白あんの

カステラ饅頭。

あと、子どもたちのための缶ジュース。
(当時はペットボトルなどというものは存在しなかった。やっと瓶から缶になった頃だ)

両手には旅行の荷物とお土産。

芦ノ湖の湖畔で買った鳥の形の笛はちょっと気になっている女の子のためのもの。

そして、今のLSEのカラーをまとったロマンスカーが、

それこそ優雅にゆったりとホームへ滑り込んで来た。

いつもであれば帰りのロマンスカーは寂しさがこみ上げてくるのだが

この日は違う。

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新宿行きのロマンスカーの1号車1番ABCD席。

これは一番前なんかじゃなかった。

そう、新宿を出発する時は始発駅として一番前が1号車となる。

箱根湯本から出る時はその逆。一番後ろのとなる。

ちょっとがっかりしている父を見て皆笑った。

「そうだよね。1番前なんか取れないよね〜。」

その時の父の顔をとても良く覚えている。

そして、みんなで勇躍乗り込んだ一番後ろの席でカステラ饅頭を頬張った。

離れていく箱根湯本の駅とカステラ饅頭の包み紙が

展望席の一番前の大きな冷房の通風口の風に揺られてカサカサと音を立てていた。

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いつも、仕事に追われている父のせめてもの罪滅ぼしが年に一回の家族旅行だった。

当時決して裕福ではなかったので

中強羅にある会社の厚生施設に泊まる。

これが私の幼い頃の家族の決まりのようなものだった。

今の今まで父が好きなフリをしていた。「父が好きです」と公言していた。

フリをしていたと言っても嫌いではない。ただ、好きになろうとしていた。

しかし、父はいつも好き嫌いを越えたところに居る。

休日も仕事をしている後ろ姿は「孤高」と言う言葉が似合っていた。

そんなちっぽけな判断をする余地など無かったのである。

やがて父は、仕事に殉じるように早逝してしまった。

今から思えばもう少し色々な話をしてみたかった。と思う。

酒でも飲んで男の話をしてみたかった。

そんな、近いようで居て遠い父ではあったが

でも、あの時の父は不思議に近しい存在として今も心に棲み続けている。

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箱根登山鉄道の撮影を終えた私は湯本駅の窓口で聞いた。

「展望席のキャンセルは無いですか?」

「後ろ向きの4列目なら取れますよ。」

また、後ろ向きか。

心のなかで苦笑いをしながらも一応押さえておく。

今新宿へ向かったばかりのLSEはあと3時間は戻ってこない。

直前に再度キャンセルが出た場合、交換することは可能だ。

湯元の街をブラブラしながら、あの温泉饅頭を買った。

「♨はこね」

刻限が来て、あの窓口のお姉さんに再度聞いてみる。

「展望席のキャンセルは無いですか?」

「あ、同じ4列目ですけど前向きが空きましたよ。どうします?」

覚えられていた(苦笑)。

これ以上は無理と判断して交換する。

今度こそ進行方向の展望席が私を待っている。

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前から4列目とは言え展望席からの景色は圧巻だった。

よく考えたもので一番前から少しずつせり上がる形となっているので

前方の視界はすこぶる良い。

むしろ、ゆったりと座ったまま展望席を見渡せるので前から迫って来る対向車が

すれ違って横に抜けていく様などは、下手な3D映画よりよっぽど迫力がある。

窓口で取れなかった一番前のシートは何故か空いている。

正規のチケットを持った人が現れる前にほんの少し一番前を体験したくなった。

あの日と同じように大きな空調の通風口が目の前にある。

あの時は冷房だったが今は温かい風が吹く。

同じように「♨はこね」の包み紙が揺れた。

「親父、今度こそ一番前だよ・・・。」

私はそっとつぶやいてみた。

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新宿からのロマンスカーを降りると登山鉄道に乗り換える。

それまで軽快にレールの継ぎ目を拾って走っていたものが

今度は「ゴォォー」という吊り掛け音に変わる。

たった2両編成の小さな列車。

それまでの都会的でスタイリッシュな感じから一気にローカルっぽい風情に変わる。

いくつものトンネルを通り、鉄橋を渡り、小さな田舎駅を拾っていく。

おまけにスイッチバック。

思えば私のローカル線の原点は登山鉄道なのかもしれない。

よく地方で見られるような跨線橋を使用しない

渡り廊下のような線路またぎも好きだった。

これは現在の箱根湯本駅でも健在である。

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いつ無くなってしまうかと心配している旧式の登山列車。

この日もあの吊り掛け音を響かせながら箱根の山を登っていく。

往年のロマンスカーとお揃いの塗色も変わっていない。

よくここまで生き延びていてくれているなぁ。

しかし、先般その中の110号機の引退が発表された。

遠からず他の旧式車両にもその波は及び

箱根の山から吊り掛け音が消えてしまう日が来るだろう。

そうなる前にやはり少しでも撮っておくべきだと思った。

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ちょっと色が薄いがドラえもんの映画STAND BY MEの110版。  

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「鉄道が好きなんですよね」

とよく言われる。

私が鉄道好きなのかどうか。

カメラを片手に集まってくる趣味人の話の内容の半分もわからないことが多い。

鉄道に関してそんなに知識があるわけでもないし

新しい鉄道にも、どうにも興味が持てない。

来る列車、来る列車全てを喜んで撮影している趣味人にはとてもかなわない。

たしかに鉄路をみるとワクワクもするが、鉄道そのものが好きなのかと言われると

疑問である。

好きなのは特定の路線。特定の列車だけである。

要するに私は鉄道を通して自分の人生の来し方を眺めているのだろう。

懐古趣味。ノスタル爺なのである。

残り少なくなってきたノスタルジックトレイン。

今までの想い出をかき集めるように多分私はこれからもカメラを構えているだろう。


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今年誕生日を迎え、私は父の年齢を越えた。

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