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2010、1、3(日)付 読売新聞「編集手帳」
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過去・現在・未来の関係。宇宙を例にとれば、膨張している宇宙の大きさは今現在が最大値である。私の年齢は今現在が最大値である。情報を例に取ればその総量は今現在が最大値に達している。時間の経過とともに情報量は増えていくからである。過去の時点にもっていたよりも多い情報量を以って過去の出来事を眺めてみれば見通しはいい。結果がどうなったかわかっているからである。過去の出来事に対する現在の視点はあたかも“神の視点”の如くである。
だがその逆はどうだろう。現在もっている情報量で未来を推測しても見通しは悪い。未来に対しては現在の情報は「最大値の情報」から「限られた情報」になる。「かもしれない」としか言えない。筆者はそれを嘆いている。未来から原稿が送れないものかとお屠蘇気分で夢想している。段落ごとにまとめてみよう。
1 10年前は、さらにその10年前はどうしていたかと思いは巡る。10年前の大晦日はコンピューターの混乱に備えていた。
2 「2000年問題」ではトラブルは起きなかった。今思えば笑い話である。
3 1990年の正月は日本経済の絶頂だった。そこから転落が始まった。これも今だから分かることだ。
4 政権交代後の正月は期待と不安が交錯している。不安は杞憂なのか、期待ははずれなのか分からない。
5 未来から原稿を送れたらとお屠蘇気分で夢想する。
1 10年単位で過去を振り返る。
2 今から振り返れば「2000年問題」は笑い話だった。
3 今から振り返れば1990年正月は日本経済の絶頂だった。
4 今の政権はどうなのか。分からない。
5 未来から現在を見てみたい。
・私の付けた題名
● 「10年単位の過去・現在・未来」
・寄せられた題名
● 「2010年はどんな年」(そらさんより)
・寄せられた題名
● 「お屠蘇傾け時間旅行」(マッドサイエンティストさんより)
・寄せられた題名
● 「未来から見た正月」(メロンパンさんより)
・寄せられた題名
● 「区切りの年初に想う過去未来」(クムさんより)
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現在読んでいる本
◆ チー吉
『「正法眼蔵」を読む 存在するとはどういうことか』 南直哉著 講談社選書メチエ(11/27〜)
◆ そらさん
『水死』 大江健三郎著 出版社不明 (12/31〜)
◆ メロンパンさん
(1) 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子著 朝日出版社 (11/27〜)
(2) 『考えるヒント』小林秀雄著 文春文庫 (12/5〜)
(3) 『資本論』(一) K・マルクス著 岩波文庫 (12/12〜)
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「2010年はどんな年」
現在過去未来という時間意識は、いかなるものでしょうか。滝浦静雄先生の「時間」を読んでも講義を聞いてもわからず、わかろうという気持ちも失っていました。はて、時間とは?
2010/1/3(日) 午後 8:18 [ そら ]
「お屠蘇傾け時間旅行」
友達と昔話をしました。なかなか未来の話は出来ないものです。
2010/1/3(日) 午後 8:33 [ マッドサイエンティスト ]
「未来から見た正月」
そうか、今年は昨年と違い10年代の始まりか、と先日気づきました。年末、そして2020年の正月から振り返って、良い1年だったと言えますように。
2010/1/3(日) 午後 9:29 [ メロンパン ]
鳩山内閣、議事録残さず 政治主導の検証困難
鳩山内閣が政治主導の舞台としている閣議や閣僚懇談会、閣僚委員会、政務三役会議の議事録を基本的に残さない方針を続けている。「議事録作成が前提となれば政治家同士の自由な意見交換が妨げられる」との理由だが、関係者からは「政策決定のプロセスを歴史的に検証できない」と懸念する声も出ている。
鳩山内閣では各府省ごとに閣僚、副大臣、政務官の「政務三役」が政策を立案し決定。複数の府省にまたがる重要課題は担当閣僚で「閣僚委員会」をつくり調整するなど、官僚に関与させない仕組みだ。
閣議や閣僚懇談会については旧政権下でも議事録を残していなかったが、これには事務次官会議で事前に発言内容を調整していたという背景もある。鳩山内閣では事務次官会議を廃止したため、閣議での発言はこれまで以上に政策決定の上で重要な意味を持つのは間違いない。
平野博文官房長官は議事録作成に否定的な意向を示し「自由闊達な意見を述べてもらい方向性を出していく場だ」と強調。「記者会見や背景説明により、透明性を確保できる」との立場を崩していない。
2010/1/3(日) 午後 9:55 [ マッドサイエンティスト ]
そらさん。
滝浦静雄先生の講義を聞いてもわからないということは、そらさんは国立T大学の出身ですね。
時間が何か説明できなくとも、それが何かは端的にわかっているんですよね。よくわかっているのに説明できない。不思議です。生身の体が存在するのはいつも今のみで、未来や過去には生身の私は存在しない。いや逆に生身の私が存在する時制を<現在>としているのかもしれません。
では、生身の私はどのようにして開示されるのか。そう考えていくとハイデガーの『存在と時間』を読み直したくなるのですが、そんな説明は少しも書いてないんですよね。読み取れていないだけかな。
2010/1/4(月) 午前 3:06 [ チー吉 ]
マッドサイエンティストさん。
またおつな題名を。思い出話は時間旅行の趣がありますね。
考えてみれば、我々は片道切符の時間旅行を実際にしているんですね。
2010/1/4(月) 午前 3:09 [ チー吉 ]
メロンパンさん。
「良い1年だったと言えますように」と祈るのと、「良い1年になりますように」と祈るのとは何が違うのだろうかと不思議な思いにとらわれます。
過去の幸福を望んでいるのか、未来の幸福を望んでいるのかの違いでしょうか。
2010/1/4(月) 午前 3:31 [ チー吉 ]
「区切りの年初に想う過去未来」
過去の栄華を思い出し未来に期待する気持ちはわかるが、期待するんじゃなく切り開く勇気が必要だ。
2010/1/4(月) 午後 2:42 [ かりひ ]
クムさん。
的確な題名だと思います。
コラム筆者の語る未来とは、今現在を「過去」として振り返る視点としての未来のことを言っていますね。言い換えれば、その「未来」とは仮想的な「現在」のことです。
題名が五者五様になってしまったのもその辺に原因があるのかもしれません。
2010/1/4(月) 午後 7:20 [ チー吉 ]