新聞コラムを題材に読解問題をつくる

引き続き論理トレーニングをしていきます。その間、新聞コラムの読解問題作成はしばらく休みます。

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「論理トレーニング」第2章 練習問題 問3

2012、5、28(月)
 
『論理トレーニング』 第2章「逆接の論理」の総まとめとして練習問題7問にとりかかる。
 
接続関係のまとめ
 
順接の接続関係
付加 A+B (「そして」、「さらに」、「また」、「むしろ」、「しかも」など)
解説 A=B (「つまり」、「すなわち」、「要するに」など)
論証 A→B A←B (「だから」、「したがって」、「なぜなら」など)
例示 A―例B (「たとえば」など)
 
逆接の接続関係
転換 A―転B (「しかし」「だが」など)
制限 A―制B (「ただし」)
譲歩 譲A―転B (「たしかに」「もちろん」「もっとも」など)
対比 A―比B (「一方で」「他方で」「…に対して」など)
 
問3 文章中、下線部の「もちろん」を受ける「しかし」を適当なところに入れ、譲歩の接続構造を図示せよ。

 ①公務員の政治活動の禁止はおかしな制度である。もちろん、②公務員が国民全体に対する奉仕者であって、特定政党の利益のために働くことが、いかに大きな弊害をもたらすことかは、多くの国の歴史が証明している。④行政の中立・公平がいかに大切なものかは強調してもしすぎることはない。⑤この意味での行政の中立・公平と、公務員個人の政治信条・政治的活動とは、全く別問題である。⑥個人の政治活動が、その公務遂行と関係ないことは常識であろう。

問題文の出典 渡辺洋三 『法とは何か』(岩波新書)をもとに改変
設問は『論理トレーニング』P・23より引用
 
解答と解説は明日発表予定

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「論理トレーニング」第2章 練習問題 問2

2012、5、27(日)
 
『論理トレーニング』 第2章「逆接の論理」の総まとめとして練習問題7問にとりかかる。
 
接続関係のまとめ
 
順接の接続関係
付加 A+B (「そして」、「さらに」、「また」、「むしろ」、「しかも」など)
解説 A=B (「つまり」、「すなわち」、「要するに」など)
論証 A→B A←B (「だから」、「したがって」、「なぜなら」など)
例示 A―例B (「たとえば」など)
 
逆接の接続関係
転換 A―転B (「しかし」「だが」など)
制限 A―制B (「ただし」)
譲歩 譲A―転B (「たしかに」「もちろん」「もっとも」など)
対比 A―比B (「一方で」「他方で」「…に対して」など)
 
 
問2 [  ]内から適切な語を選び、その接続構造を図示せよ。

 ①生きた会話と開いた心とは非常に大切な関係にある。(a)[そして/しかし/ただし]②開けっぱなしの馬鹿正直とか天衣無縫の人がひとりいたからとて、会話が活発になるとはかぎらない。③他の人々の心が閉じていたとすれば、会話は開放的な人のひとり合点に終るかもしれない。④ほかの人々は不愉快な思いで、さらに黙りがちとなるかもしれない。(b)[そして/しかし/ただし]⑤誰かもうひとりが少しでも心を開いて応じたら、その場の会話は生気の加わるものとなる。(c)[そして/しかし/ただし]⑥話がはずみはじめて他の人も連られて心を開くとなれば、その場の会話は思いがけぬ面白いものに転じるであろう。

問題文の出典 加島祥造 『会話を楽しむ』(岩波新書)をもとに改変
設問は『論理トレーニング』P・23より引用
 
以下の解答と解説は私の考えたものであり、出題者(野矢茂樹氏)によるものではありませんから、本当に正しいのかどうかはあてになりません。
 
(解答と解説)
(a)について
①と②の内容がどういう関係になっているかを考える。②は①の概略的な内容に制限を加えることで説明を補足していると解釈できる。単なる補足ではないし(だから「そして」ではない)、①を反対方向に転換しているわけではない(だから「しかし」ではない)。
解答 「ただし」 接続構造 ①―制②
 
(b)について
⑤は②〜④までの内容と正反対の状況である。④と⑤の間で転換が起きている。
解答 「しかし」 接続構造 (②〜④)―転⑤
 
(c)について
⑥は⑤の主張をそのまま引き受けていることは容易に見て取れる。当然、「順接」だが、「付加」「解説」のどちらだろうか。さらにもうひとりが会話に加われば、と言っているのだから同じ内容の「解説」ではない。
解答 「そして」 接続構造 ⑤+⑥
 
全体の文章構造を考慮すれば(a)の接続構造は①―制②ではなく、①―制(②〜⑥)となっていることがわかる。同様に(b)の接続構造は(②〜④)―転⑤ではなく、(②〜④)―転(⑤〜⑥)となるだろう。全体の構造は①―制〔(②〜④)―転(⑤+⑥)〕となる。このような複雑な構造があったとは設問を解かない限り気がつかない。まあ、気がつかなくとも文章の趣旨は理解できるのだが。

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「論理トレーニング」第2章 練習問題 問1

2012、5、16(土)
 
本日から『論理トレーニング』 第2章「逆接の論理」の総まとめとして練習問題7問にとりかかる。
 
接続関係のまとめ
 
順接の接続関係
付加 A+B (「そして」、「さらに」、「また」、「むしろ」、「しかも」など)
解説 A=B (「つまり」、「すなわち」、「要するに」など)
論証 A→B A←B (「だから」、「したがって」、「なぜなら」など)
例示 A―例B (「たとえば」など)
 
逆接の接続関係
転換 A―転B (「しかし」「だが」など)
制限 A―制B (「ただし」)
譲歩 譲A―転B (「たしかに」「もちろん」「もっとも」など)
対比 A―比B (「一方で」「他方で」「…に対して」など)
 
問1 [  ]内から適切な語を選び、その接続構造を図示せよ。

 ①日本人は世界に対して美的態度をとる傾向が強い。(a)[たしかに/ただし]、②この美的というのは必ずしも芸術的ということを意味してはいない。(b)[しかし/むしろ]③情緒的な感動をもって最高の境地とし、最後の解決とするというほどの意味である。④こうした美的態度=情は、日本文化にいちじるしい特徴であろう。
 
問題文の出典 竹山道雄 『文化の形態と接触』(新潮社)をもとに改変
設問は『論理トレーニング』P・23より引用
 
以下の解答と解説は私の考えたものであり、出題者(野矢茂樹氏)によるものではありません。
 
(解答と解説)
①と②の関係だけを見る限り(a)は難しい。「たしかに」「ただし」のどちらも可能である。そこでまず(b)を検討する。
 
(b)について
②の「芸術的ということを意味してはいない」と③の「情緒的な感動をもって…というほどの意味である」は同じ方向を向いている。よって「むしろ」となる。③の主張はそのまま④に引き継がれる。
解答 「むしろ」 接続構造 ②+③
 
(a)について
(b)のところで見たように、②の主張は③を経て④へと引き継がれていく。「たしかに」が来るなら、それは(譲歩A―転B)の構造になるから、どこかで必ず「しかし」と転換されなければならない。ところが最後まで転換はない。よって(a)は「たしかに」ではなく「ただし」である。この接続関係は上の表によれば逆接の「制限」になる。何を制限しているかといえば、「美的態度」の意味である。「芸術的という意味ではない美的態度」という意味の制限である。
解答 「ただし」 接続構造 ①―制②
 
(a)にた①と②の関係を「逆接」の「制限」とは違う解釈も可能である。
①の「美的態度」が文字通りに「芸術的」と誤解されることを予想して、②ではその補足説明をしているという解釈である。そう解釈しても「ただし」が入るが、この接続関係は順接の付加と考えられる。
解答 「ただし」 接続構造 付加 ①+②

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「論理トレーニング」第2章 例題3 

2012、5、26(土)
 
『論理トレーニング』 第2章「逆接の論理」
2・2 譲歩と対比
2・2・2 対比(A―比B)
 
「対比」はAとBを対照させその違いを際立たせることである。対比構造が成立するためには共通点と相違点がなければならない。共通点がなければ比較することはできず、また相違点がなければ比較しても何も浮かび上がってはこない。例えば、「この店はうまいが、あの店はまずい」という対比では、飲食店であるということが共通点であり、「うまい」と「まずい」が相違点である。このとき、共通点を「対比の主題」、相違点を「対比のポイント」と呼ぶことにする。そして以下の図式を「対比図」と呼ぶことにする。
 
対比図
             [対比の主題]
         _____|_____ 
        |               |
   A[対比のポイント]     B[対比のポイント]
 
以上を踏まえて例題をやってみよう。
 
例題3 次の文章中から対比の構造を取り出し、対比図を作成せよ。

 ①都市のあり方、捉え方は大別すれば、次の二つに分かれるだろう。まず、②為政者・指導者の構想に基づき、都市計画によって人為的につくられた都市である。③明確な時代精神、都市の理念に裏打ちされてはじめてこれが可能になる。一方、④人々によって生きられた空間としての都市、という捉え方がある。⑤都市の中で生活し、行動する人々の様々な営みの集積が実際の都市空間を意味づけ、それに豊かなイメージを付け加えていくという見方である。
 ⑥このような観点から江戸の都市形成を見るならば、次のようなことがいえよう。まず、⑦初期の江戸は、城下町の明快な理念に基づき、計画された空間として為政者の意図通りに形成された。だが、⑧明暦大火後、とりわけ中期以降の江戸は、城下町としての枠組みを越え、豊かな自然をとりこんで周辺部に大きく発展し、山の手では「田園都市」、下町では「水の都」という、いずれも生きられた空間としての都市の魅力を大いに高めたのである。

問題文の出典 陣内秀信 『東京の空間人類学』(ちくま学芸文庫)をもとに改変
(設問は『論理トレーニング』P.21より引用)
 
以下の解答と解説は私の考えたものであり、出題者(野矢茂樹氏)によるものではありません。
 
(解答と解説)
①の「都市のあり方、捉え方は大別して二つある」が、〈さあ、これから対比がはじまるよ〉という道しるべである。
「都市計画によって人為的につくられた都市」と「生きられた空間としての都市」が対比されている。
この二つのことがらが対比されているということは直感的にわかるが、だがよく見てみると両者は「広い/狭い」「長い・短い」などのような既存の対比ではない。ではこの対比の核となるのはどのような概念なのだろうか。「死んだ/生きられた」なのか、「人為的/非人為的」なのか、「計画的/非計画的」なのか、「為政者・指導者/庶民・人々」なのか。考えてみるとよくわからない。
 
⑥以降では①から③で展開された都市論が江戸時代の都市に適用される。そこではまた「計画された空間」「生きられた空間」という対比が繰り返されるが、これは先に見た対比のうちに含められるだろう。むしろ「生きられた空間」の中での小さな対比に着目したい。「生きられた空間としての都市」のうち山の手が「田園都市」、下町が「水の都」として対比されている。
 
解答
対比構造
(②〜③)―比(④〜⑤)
⑧の中での対比
 
対比図
(1)
対比の主題: 都市のあり方・捉え方
対比のポイントA: 「都市計画によって人為的につくられた都市」
対比のポイントB: 「人々によって生きられた空間としての都市」
(2)
対比の主題: 中期以降の江戸
対比のポイントA: 山の手の「田園都市」
対比のポイントB: 下町の「水の都市」
 
 
(設問を解いての雑感)
この問題文もそうであったが、対比構造はマトリョーショカ人形のように入れ子構造をとることができるということに改めて気づいた。

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「論理トレーニング」第2章 例題2

2012、5、24(木)
 
『論理トレーニング』 第2章「逆説の論理」
 
2・2 譲歩と対比
2・2・1 譲歩(譲A―転B)
 
「譲歩」(譲A―転B)とは、「たしかに〜だ、しかし…」という形で主張する形式のことである。しかし、「しかし」の働きには前言を認める働きがすでにあるわけだから、(A―転B)と(譲A―転B)との区別が厳密にあるわけではない。ただ、筆者(野矢茂樹)は、(譲A―転B)には議論の相手が想定されているという違いがあると説明している。そして文章の論理的構造をつかむ上で必要なのは、「譲歩」の範囲がどこまでおよぶのかを理解することであると言っている。
 
では、(譲歩A―転B)の構造をつかむ練習として例題をやってみよう。
 
例題2 文章中2箇所、下線部(a)の「たしかに」と(b)の「もちろん」を受ける「しかし」を適当なところに入れ、それぞれ譲歩の接続構造を図示せよ。

 ①日本国民は、ついに今日にいたるまで、自らの手で法をつくるという歴史的経験をもたなかった。(a)たしかに、②明治初期、とくに自由民権運動の展開の中で、近代日本の憲法をつくろうという国民の運動はあった。③最近、明治時代の資料が新しく紹介されるようになり、国民の間には自らの手で憲法をつくろうという動きが各地にあったことが、専門研究者の間で少しずつ明らかにされてきている。④これらの運動は実を結ばず、明治憲法は、これらの運動の弾圧の上に天皇陛下から国民に与えられた欽定憲法として成立した。⑤現行憲法もまた、敗戦と占領という特殊な状況の下で、多分に「上から」与えられた憲法としての性格をもっている。(b)もちろん、⑥それは近代憲法の成果と現代憲法の成果とを合わせもつものであり、その意味で広く世界諸国民の100年以上にわたる努力の中でかちとられたものであることはいうまでもない。⑦明治憲法と闘った日本人の血と汗の結晶が、現行憲法にも盛られている。⑧全体としてみるならば、やはり日本国民が自らの手でかちとったものとは言えないであろう。

問題文の出典 渡辺洋三 『法とは何か』(岩波新書)をもとに改変
(設問は『論理トレーン二ング』 P・19より引用)
 
以下の解答と解説は私の考えたものであり、出題者(野矢茂樹氏)によるものではありません。
 
(解答と解説)
「たしかに」と「もちろん」で提示される〈譲歩〉がどの文にまで及ぶか―それはつまり「しかし」による〈転換〉がどこで始まるかということだが―を見極める設問である。
 
(a)について
(a)の「たしかに」の後では、①の内容に反することが述べられている。日本国民が自らの手で憲法をつくろうとした運動があったという内容である。その内容がどこまで続くかを見ていけば自ずと答えはわかるだろう。④ではその運動が失敗に終わったとあるから、「しかし」は④の直前に置かれるはずである。
解答 ④の前に「しかし」を入れる。 接続構造 (譲②〜③)―転④
 
(b)について
(b)の「もちろん」の後では、近代・現代憲法の成果が盛り込まれており、「明治憲法と闘った日本人の汗と血の結晶が盛られている」と⑤の「『上から』与えられた憲法」だとする見方に反論する意見に譲歩している。当然これは筆者の言いたいことではない。言いたいのは⑧であり、ここで⑥、⑦は転換される。
解答 ⑧の前に「しかし」を入れる。 接続構造 (譲⑥〜⑦)―転⑧
 
 
(設問を解いての雑感)
ここでいう「譲歩」とは、書き手の言いたいことに対して想定される反論を認めるということである。したがって、当然筆者はそれに対して再反論する。それは仮想の相手と議論するということである。思考はたとえひとりで行うものであっても対話・議論という形式によって進められるのだ。いや、その形式でしか進められない。思考するとは問答することだ、と言える。そうだとすると思考の原型は他者との対話である。葛藤もまたその一変種である。葛藤とは結論のでない思考とも言えるからである。

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